いまこの坐禅の功徳、高大なることをききをはりぬ。おろかならん人、うたがふていはん、「仏法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禅をすすむるや。」
 しめしていはく、「これ仏法の正門(ショウモン)なるをもてなり。」

 

【現代語訳】

あなたは今、この坐禅の功徳の広大なことを聞き終わりましたが、愚かな人は、疑って言うことでしょう、「仏法には多くの門があるのに、なぜもっぱら坐禅を勧めるのか。」と。
 答え、「この坐禅は仏法の正門だからです。」

 

《ここからは問答形式で十八のことが語られます。「古来十八問答といわれている」のだそうです。

 初めに、『道は』が、その「概要」を見だしふうに挙げていますので、引いておきます。

①② 坐禅が仏法の正門であること

③  坐禅には広大な功徳があること

④  大乗諸宗との優劣について

⑤  坐禅は仏法の全体であること 

⑥  坐禅は安楽の法門であること

⑦  修証一等

⑧⑨ この正法は道元がはじめてつたえたこと

⑩  自然主義(本覚思想)批判

⑪  戒律は当然重視されるべきこと

⑫  兼修否定

⑬⑭ 平等主義(男女・貴賤・出家在家)

⑮  正像末の三時否定

⑯  自他の見をやめるべきこと

⑰  悟りへの正しい道は坐禅であること

⑱  坐禅は日本人の機微にもかなうこと

 さて、第一の問いは、仏教にはいろいろな教えがあるのに、どうして坐禅だけをそんなに勧めるのですかというものです。たいへんまっとうな問いで、別に「愚かな人」の質問とは思えませんが、禅師の思いの強さがそう言わせるのでしょう。

 むしろその答えの方が、質問の意図を外したもので、本来この質問には、他の様々な教えと坐禅を比較してその優れている点が示されるべきで、それによって「正門」であることがおのずと理解されていくはずです。

 いきなり「正門」だからだと言われても、困るので、当然次の質問になります。》