かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず。金銀(コンゴン)珠玉、綾羅錦繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。
 この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ仏法のためなり。
 これを用著(ヨウチャク)する、すなはち三世の諸仏の皮肉骨髄を正伝せるなり、正法眼蔵を正伝せるなり。
 この功徳(クドク)、さらに人天に問著(モンジャク)すべからず、仏祖に参学すべし。

 正法眼蔵 袈裟功徳

【現代語訳】
 このようなぼろ切れや、清浄な生活で得たものは、絹でも麻や綿でもありません。金銀 珠玉や綾羅 錦繍などでもなく、もっぱらこれは糞掃衣と言うべきものです。
 この糞掃衣は、破れ衣のためでも美服のためでもなく、ただ仏法のためにあるのです。
 これを着用することは、過去現在未来の仏たちの皮肉骨髄を正しく伝えることであり、仏法の真髄を正しく伝えることなのです。
 この袈裟の功徳を学ぶには、決して人々に尋ねてはいけません。このことは仏や祖師に学びなさい。
 

さて、このようにして得られた布は、ぼろ布であろうと、綾羅錦繍であろうと、そういう布の名前を失って、ただ糞掃衣なのだ、…このことも先の第十一章2、3節にありました。
 そういう袈裟を身にまとうことは、それはそのまま直ちに「正法眼蔵を正伝せる」ことなのだ、と禅師は言います。形が人を作る、ということでしょうか、その糞掃衣を身につけることが彼を仏徒にするということでしょう。
 先にも書きましたが、人は心をただそうとしても、心に直接的に働きかけることは、実は大変難しい、むしろ形から入る方が易しいし、それさえしておればいいという安心感があります(第三十一章)。もちろんそれは、ただ形だけに終わってしまう恐れもありますが、形はただすがって立つ杖なのであって、行く先を目指して歩を進めるのは自分だということを忘れなければ、そうした過ちに陥ることはないでしょう。
 ところで、これまで幾度か見てきたように、このようにこの巻には、重複する内容があちこちにあります。『読む』によれば「道元禅師は『伝衣』巻に手を入れ、書き加えて『袈裟功徳』を書かれた」のだそうで、二つの巻の末尾にある日付は同じ日になっていますから、あるいはそういうことが理由なのかもしれません。
 
この袈裟功徳の巻は一応ここまでが本文であるようで、この後は禅師の感慨が語られています。