むかし仏祖のかしこかりし、みな七宝千子をなげすて、玉殿朱楼をすみやかにすつ。涕唾(テイダ)のごとくみる。糞土のごとくみる。
 これらみな、古来の仏祖の古来の仏祖を報謝しきたれる知恩報恩の儀なり。
 病雀なほ恩をわすれず、三府の環(カン)よく報謝あり。
 窮亀なほ恩をわすれず、余不(ヨフ)の印よく報謝あり。
 かなしむべし、人面(ニンメン)ながら畜類よりも愚劣ならんことは。
 

【現代語訳】
 昔、仏祖は優れていたのは、皆、七種の珍宝や多くの子を投げ捨て、美しい宮殿楼閣を早々に捨てたことです。それらを涙や唾のように見、腐った土のように見たのです。
 これらは皆、古来の仏祖が古来の仏祖に報恩感謝してきた、恩を知り恩に報じるための方法なのです。
 楊宝に助けられた雀が恩を忘れずに、その子孫を三府に登らせて恩に報いた話があります。
 また、孔愉が余不亭で助けた亀が四度首を左に向けて去り、その後 孔愉が侯印を作ると、印の亀の首が三度鋳直させても三度とも左を向いて、亀は恩に報いたという話があります。
 悲しむべきことは、人の顔をしていながら畜類よりも愚劣であることです。
 

《「七宝」を捨てるのは分かるにしても、「千子」をも捨てなくてはならないということは、禅師の言葉だけではなく、仏教の世界ではよく言われる基本的な考え方のようですが、やはり理解に苦しみます。
  それはたしかに煩悩の元ではありますが、種の保存のために人間に付与された本質的な性質なのであって、それを否定することは究極的には種の保存を否定することであり、つまり人間の存在を否定することにならないでしょうか。人間の存在しないところに仏法が存在しても仕方がないわけで、そこのところが理解できません。
 「涕唾のごとくみる。糞土のごとくみる」と禅師は言いますが、それは端から見ればそう見えるというだけで、当人にとっては断腸の思いだったのではないか、と思ってしまいます。
 病雀、窮亀については、それぞれ逸話があるようですが、禅師はこういう話をどのくらい事実として信じていたのでしょうか。こういうおとぎ話は枚挙にいとまないほどですが、それを示して子供を諭すならいざ知らず、議論として「人面ながら畜類よりも愚劣」と言われては、人間も立つ瀬がないような気がします。
 もちろん、禅師が熱い気持ちでこれを語っているということは理解しなくてはなりません。ここは、そういう理屈は抜きにして、その熱い気持ちを汲んで、読み過ごすべきところだということです。
 とは言え、私の父は生前、渋谷のハチ公の像が嫌いで、犬に教えを受けなくてもいい、と言っていましたが、私にはその方がよく理解できます。ついでですが、犬は好きでしたが、私たちが飼い犬を戯れに部屋に連れて上がろうとしたときには、犬は犬として飼えと言って、許しませんでした。
 
 
これを初めてちょうど一年になりました。もう少し頑張ります。よろしくお願いいたします。



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