真丹(シンタン)第二祖、太祖正宗普覚(ショウシュウフガク)大師は、神鬼(ジンキ)ともに嚮慕(キョウボ)す、道俗おなじく尊重(ソンジュウ)せし高徳の祖なり、曠達の士なり。伊洛に久居して群書を博覧す。くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。
 法高徳重のゆゑに、神物倏見(ジンモツシュクケン)して、祖にかたりていふ、
「将(マサ)に受果を欲(オモ)はば、何ぞ此(ココ)に滞るや。大道遠きに匪(アラ)ず、汝其れ南へゆくべし。」
 あくる日、にわかに頭痛すること刺がごとし。其師(ソノシ)洛陽龍門香山宝静(コウザンホウジョウ)禅師、これを治せんとするときに、空中に声有りて曰く、
「此れは乃ち骨を換ふるなり、常の痛みに非ず。」
 祖、遂に見神の事を以て、師に白(モウ)す。師、其の頂骨を視るに、即ち五峰の秀出せるが如し。乃ち曰く、
「汝が相、吉祥(キチジョウ)なり、当に所証有るべし。神の汝南へゆけといふは、斯(ソ)れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり。」
 この(オシエ)をききて、祖すなはち少室峰に参ず。神(ジン)はみづからの久遠修道(クオンシュドウ)の守道神なり。
 

【現代語訳】
 中国の第二祖、太祖正宗普覚大師、神光慧可(エカ)は、神と鬼に慕われ、出家者と在家者から尊重された高徳の祖師であり、心の広い人物でした。伊洛に久しく住んで、さまざまな書物を学びました。この国でも希な優れた人物であり、会い難き人でした。
 仏法に優れ人徳に優れた人なので、ある日 神がにわかに現れて慧可に言いました。
「仏法の悟りを求めているのなら、どうしてここに居るのですか。大道は遠方ではありません。あなたは南へ行きなさい。」
 慧可は次の日、にわかに刺すような頭痛がしました。師の洛陽竜門の香山宝静禅師が、これを治そうとすると、空中から声がしました。
「これは骨を換えているのです。普通の痛みではありません。」
 そこで慧可は、前日 神に会ったことを師に話しました。師がその頭の骨を見てみると、それは五つの峰が秀でているようでした。そこで師は言いました。
「お前には吉祥の相が現れている。きっと悟る所があろう。神がお前に南へ行けと言ったということは、少林寺の達磨大師が、きっとお前の師に違いない。」
 この教えを聞いて、慧可は少室峰の達磨大師の所へ行きました。その時の神は、慧可自身の、永遠の修行の守り神でした。

 

《二十六人目は二祖慧可です。『行持』が、先の達磨の項の書き出しが「真丹初祖」であったことに対応していると指摘して「これによってわれわれは、前章の達磨と同じく、著者が、どのように、この第二祖慧可の行状を伝えているかに関心を注がれる」と言います。
 とは言え、実は達磨の場合、その「行状」はそれほど語られず、語られたのはむしろその業績の大きさなのでした。
 ところがここはいきなり、ある日突然頭の形が変わった、それも「五つの峰が秀でているよう」に骨の形からして変わった、という、思いがけないエピソードが語られます。
 それは不思議な語られ方です。
 まず先に、彼の「法高徳重」に感じた神が彼に南に行くことを勧める、ということがあって、その翌日、彼の頭の形が変わるという「吉祥」が現れ、そこで南へというのは達磨のところという意味だと教えたと言います。
 ということは、彼が優秀であることは分かっていたが、それだけでは達磨の元に行くには足りず、頭の構造変革が必要だった、というようなことなのでしょうか。
 「伊洛」(「伊水と洛水の二つの河水」(『行持』)から少林寺は、地図を見るとほぼ真東に当たり、南とは言えないように思われ、それも不思議ですが、ともあれ、彼は勧めに従って達磨の門をくぐります。




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