太宗は有義の国主なり、相見(ショウケン)のものうかるべきにあらざれども、かくのごとく先達の行持はありけると参学すべきなり。
 人主(ニンシュ)としては、身命ををしまず、引頸就刃して身命ををしまざる人物をも、なほ歎慕するなり。これいたづらなるにあらず、光陰ををしみ、行持を専一にするなり。
 上表三返、希代の例なり。いま澆季(ギョウキ)には、もとめて帝者にまみえんとねがふあり。
 

【現代語訳】
 太宗は道義を具えた国主ですから、会うことにおっくうであったわけではありませんが、我々は、このように先達が行持されたことを学ばなければいけません。
 人々の主の太宗としては、身命を惜しまずに、刀の前に首を伸ばす人物も、また感歎し敬慕するのです。この禅師は無用な事をしたわけではなく、光陰を惜しんで修行を専一にされたのです。
 国主の招きに三度までも断りの書を送ったことは、世にも希な例です。今日のような道徳人情のすたれた世には、自ら求めて帝王に見えようと願う者がいるものです。
 

《実は太宗は「有義の国主」だったので、会うことを厭わねばならないような人ではなかったのだが、大医はただ「行持を専一に」したいがために、招きに応じなかったのだ、と禅師は言います。
 「有義の国主」だったにしては、「如し果して赴か不んば、即ち首を取り来れ」というのは、穏やかでありませんが、当時の天子としては、このくらいのことは普通だったのでしょうか。
 それに復命する使いに相対する大医の「乃ち頸を引いて刃に就く、神色儼然たり」が見せ場で、ここは、さあ殺せというような態度ではなく、行持大事とする信念から生まれた凜とした覚悟を示した、それならばどうぞといった態度なのでしょう。
 しかし、こういうときに、その事情を言葉で説明することはできないものでしょうか。いや、それは天子の言葉と自分の考えを天秤に掛けるような話で、大変不敬なこととも思われます。やはり、暗黙の内に天子に理解してもらうほかにないような気がします。
 「珎繒を就賜して、以て其の志を遂ぐ」とありますから、太宗は、説明されないままに、それと察したということでしょうか。やはりこれは「有義の国主」たる所以でしょうし、言葉で伝えるよりも、受け取る感動は大きかったのでしょう。》


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