高宗の永徽辛亥(エイキカノトイ)の歳、閏(ウルウ)九月四日、忽ちに門人に垂誡(スイカイ)して曰く、「一切諸法は、悉く皆解脱なり。汝等各自護念して、未来に流化(ルケ)すべし。」
 言ひ訖(オワ)りて安坐して逝す。
 七十有二、本山に塔をたつ。明年四月八日、塔の戸、故無くして自ら開く、儀相生けるが如し、爾後(ソノノチ)、門人敢て復閉じず。
 

【現代語訳】
 唐の高宗の代、永徽二年九月四日、四祖は、突然門人たちに教えて言いました。
「全てのものは、ことごとく皆解脱している。お前たちは、各自このことを大切に護り、未来に教えを広めなさい。」
 このように言い終わると、安坐して亡くなりました。
 寿は七十二歳。本山(破頭山)に墓塔が建てられました。明くる年の四月八日、塔の扉が理由もなく自然に開くと、その姿は生きているようでした。その後門人たちは、敢て扉を閉じようとしませんでした。
 

《大医の二つ目のエピソードです。
  死期を悟ったということでしょうか、急に弟子に教えを垂れて、そこに坐ったままで亡くなりました。その言葉は「一切諸法は、悉く皆解脱なり」でした。
 「諸法」の法については、『全訳注』が、「一には存在そのもの、二には、存在の法則、三には、存在の法則にもとづいて説かれた教えの三つの意味がある」と言っていました(「現成公案」巻頭)。
 「解脱なり」は、普通には「解脱である」という意味になり、ちょっと分かりにくいのですが、ここは諸注、「解脱している」という意味に解しています。特有の言い方だと思っておきます。意味は『提唱』によれば「われわれの住んでおる世界に存在するところの全ての者は、いずれも何らかの拘束を受けておるというふうなものではなく、それぞれがそれぞれの自由な立場で現にこの世界の中にある」といことのようですが、次節で少し詳しく考えてみます。
 そして死後に、寺に塔が建てられて、そこに亡骸が納められたのですが、七ヶ月の後に、どういうわけか、その塔の戸がひとりでに開いたのでした。
 どういうわけだったのでしょうか。手元の諸注は何も語ってくれません。戸が開いたので、弟子達が中に入ってみると、亡骸は「生けるが如し」だったと言います。
 実際には、戸の建て付けが緩んだということなのでしょう(ちょっと早い気がします)が、人々は、大医が自分のいなくなった世を案じている気持ちがそういう奇蹟を起こしたのだと考えた(「生けるが如し」だったから余計にそうだった)のでしょうか、その後、弟子達はその戸を閉めることをしなかったと言います。


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