潙山のそのかみの行持、しづかにおもひやるべきなり。おもひやるといふは、わがいま潙山にすめらんがごとくおもふべし。
 深夜のあめの声、こけをうがつのみならんや、巌石の穿却(センキャク)するちからもあるべし。冬天のゆきの夜は、禽獣もまれなるべし、いはんや人煙のわれをしるあらんや。
 命をかろくし法をおもくする行持にあらずば、しかあるべからざる活計なり。薙草(チソウ)すみやかならず、土木いとなまず、ただ行持修練し、辨道功夫あるのみなり。
 あはれんべし、正法伝持の嫡祖(テキソ)、いくばくか山中の嶮岨にわづらふ。潙山をつたへきくには、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん。人物の堪忍すべき幽棲にあらざれども、仏道と玄奧と、化成(ケジョウ)することあらたなり。
 

【現代語訳】
 潙山での当時の修行を、静かに思いやるべきです。思いやるとは、自分が今、潙山に住んでいるように想像することです。
 深夜の雨の声は、苔を穿つばかりでなく、岩石をえぐる力もあることでしょう。冬天の雪の夜は、禽獣も希なことでしょう。まして煙立つ人里に自分を知る人がありましょうか。
 これは、命を軽くして法を重んじる修行でなければ出来ない生活です。土地を切り開くための草刈りを急がず、土木を営むこともなく、ひたすら行持修練し精進するだけの日々でした。
 いたわしいことです。正法を相伝 護持する祖師潙山禅師は、どれほど山中の険阻に苦労されたことでしょうか。潙山のことを伝え聞くには、池があり、水があり、氷が重なり、霧が重なる所のようです。
とても人の堪え忍べる幽居ではありませんが、そこで新たに仏道と幽玄な奥義の教化が行われたのです。

 

《以下、潙山がどれほどの辛苦に耐えて行持に努めたかが語られますが、その辛苦の様子は、例えば慧可が達磨を訪ねたときの雪の夜に「「堅立不動」した話(第十四章1節)や、慧稜の「蒲団二十枚を坐破す」(第二十一章1節)とかと比べて、やや具体性を欠いて一般的ですので、そいうことだったのだなと理解して通過することにします。
  途中、「禽獣も希な」は、獣も姿を見せないほどの厳しい寒さだったという意味、また終わりの「薙草すみやかならず、土木いとなまず」は、堂宇を広げるための作業をしなかったという意味のようです。
 また、「潙山をつたへきく」は彼が住んだ潙山についての話で、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん」は、「いかに環境的にも、風土的も、地理的にも、過酷・峻烈であったかを思いやっている」(『行持』)ということのようです。


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