南嶽いかにしてかこの道得ある、江西いかにしてかこの法語をうる。
 その道理は、われ向南行(コウナンコウ)するときは、大地おなじく向南行するなり。余方もまたしかあるべし。
 須(シュミ)大海を量としてしかあらずと疑殆(ギタイ)し、日月星辰(ニチガツショウシン)に格量して猶滞(ユウタイ)するは少見なり。
 

【現代語訳】
 南嶽は、どうしてこのように説いたのでしょうか。江西は、どのようにこの教えを会得したのでしょうか。
 その道理とは、自分が南へ向かって行く時には、大地も同じように南へ向かって行くということです。他の方角でもまたその通りなのです。
 これを須弥山や大海の分量から、そうではあるまいと疑ったり、太陽や月星を推量して、なお躊躇することは、狭い見方です。
 

《「われ向南行するときは、大地おなじく向南行するなり」と言われると、先に挙げた石井訳の「東西南北は、ただ自己のなかの方角にすぎない」(3節)という解釈がにわかに有意義に思えてきます。
 それは、砕いていえば、『行持』が言っている、南嶽は「修行の途中で中断して帰郷すれば、馬祖は、どうしても『十方県の人』となって」、広く衆生の迷いを救うという仏道の教えから外れてしまうことにもなるのを恐れたのではないか、という理解にもつながっているように思われてきます。
 同書は、この巻の初めに「わが行持すなはち十方の帀地漫天、みなその功徳をかうむる」(「行持 上」巻第二章1節)とあったことを挙げて「この道理がここにもそのまま適用されるのである」と言います。 
 確かに、覚者は宇宙とともにあってほしいのであって、地球上のとある小さな地域を指して、それを故郷と呼んで懐かしがるというのは、ちいせぇちいせぇ、と言わなくてはならないでしょう。
 サルトルとは全く異なった角度からの答えですが、「天上天下唯我独尊」の精神からの発想と考えれば、結果としてはそれほど遠いわけではないようにも思われます。》
 

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