彼の本の奥書(オクガキ)に曰く。
 建長五年正月六日、永平寺に于(オイ)て書す。
 如今(イマ)、建長七年乙卯(キノトウ)、解制の前日、義演書記をして書写せしめ畢(オハ)んぬ。同じく之を一校せり。

 右の本は、先師最後の御病中の御草なり。
 仰ぎ以(オモン)みるに、前(サキ)に撰ずる所の仮字正法眼蔵等、皆書き改め、竝(ナラ)びに新草具(ツブ)さに都盧(トロ)一百卷、之を撰ずべしと云云。既に始草の御(オン)此の卷は、第十二に当たれり。
 此の後、御病漸漸(ゼンゼン)に重増したまふ。仍(ヨ)って御草案等の事も即ち止みぬ。所以(ユエ)に此の御草等は、先師最後の教勅なり。
 我等不幸にして一百卷の御草を拝見せず、尤も恨むる所なり。若し先師を恋慕し奉らん人は、必ず此の十二卷を書して、之を護持すべし。此れ釈尊最後の教勅にして、且つ先師最後の遺教(ユイキョウ)なり。
                               懐弉之を記す

【現代語訳】
  本書の奥書きに言う。
  建長五年一月六日、永平寺に於て書く。
  今、建長七年、解制の前日に、義演書記に書写させ終り、同じくこれを一校正した。

  右の本は、先師最後の病中の御起草である。仰いで考えるに、先師は以前に撰述した仮名正法眼蔵などを皆書き改め、並びに新たに起草して、すべて合わせて一百卷を撰述しようとしたようである。すでに起草されたこの卷は、第十二に当たる。
 この後は、御病状がしだいに重くなられたので、御草案等の計画もそこで中止されたのである。故にこの御草案等は、先師最後の教えである。
 我々は不幸にして、先師の一百卷の御起草を拝見できなかったことを、最も残念に思う。もし先師を恋慕している人であれば、必ずこの十二巻を書写して護持しなさい。これは釈尊最後の教えであり、また先師最後の遺教である。
                              懐弉これを記す。

 

《この章は、巻末に懐弉が書き添えた部分で、先に記したように、『全訳注』には原文は載っておらず、「開題」にその現代語訳があります。
 禅師最後の教えとあって、懐弉には格別の思いがあったのか、この巻の由来を語り残します。
 途中「始草の御此の卷は、第十二に当たれり」が分かりませんが、禅師の真筆とされる『正法眼蔵嗣書』などではそのようになっている、という意味でしょうか。
 ちなみに、特に関係はありませんが、禅師が京に向かう道中、木ノ芽峠で詠んだとされる歌を挙げておきます。
 

  草の葉に かどでせる身の 木部山 雲に路ある 心地こそすれ     》
 

八大人覚おわり。

次は「三時業」巻を読んでみます。


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