この五無間業を、なにによりて無間業となづく。そのゆゑ五あり。
 一には、果に趣くこと無間なるが故に、無間と名づく。此の身を捨て已りて、次の身に即ち受くるが故に、無間と名づく。
 二には、苦を受くること無間なるが故に、無間と名づく。逆の罪は阿鼻獄に生まれて、一劫の中に受苦相続して、楽間有ること無し。因って果に従いて称して無間業と名づく。
 三には、時量無間なるが故に、無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生まれて、決定して一劫時不断なるが故に、故に無間と名づく。
 四には、寿命無間なるが故に、無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生まれて、一劫の中に寿命絶ゆること無し。因って果に従いて称名(ナヅケ)て無間となす。
 五には、身形(シンギョウ)無間なるが故に、無間と名づく。
 五逆の罪は阿鼻獄に生まる。阿鼻地獄は、縦広(タテヨコ)八万四千由旬(ユジュン)、一人中に入るも身亦遍満し、一切人入るも身亦遍満して、相障礙(ショウゲ)せず。因って果に従いて号名(ナヅケ)て無間と曰ふ。
 

【現代語訳】
 この五無間業(無間地獄に堕ちる五つの罪業)を、なぜ無間業と言うのかといえば、それには五つの理由があります。
 一には、果へ間無しに赴くので無間という。今生の身を捨ててから、次生の身に直ちに果を受けるので無間というのです。
 二には、苦を絶え間なく受けるので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれ、一劫という長期間 苦を受け続けて楽な時がない。このような果を受けることから無間業というのです。
 三には、時に限りが無いので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれて、必ず一劫という長期間終わることがないので無間というのです。
 四には、寿命に終りがないので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれて、一劫という長期間寿命は絶えることがない。このような果を受けることから無間というのです。
 五には、身体に隙間が無いので無間という。
 五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれる。阿鼻地獄は、縦横八万四千由旬(由旬はインドの里程。くびきを牛に付けて一日に旅行しうる距離)といわれ、一人中に入っても身体がいっぱいになり、全ての人が入っても身体がいっぱいになって、互いに妨げ合うことが無い。このような果を受けることから無間というのです。
 

《紛らわしいのですが、「無間業」自体が五つあって(第七章)、それを「無間業」と呼ぶ理由もまた五つある、と言います。
 その理由の一は悪業から苦を受けるまでの間がない、二は苦を受け続けて途切れることがない、三は期間の限定がない、と、ここまでは、なるほどと思いますが、四は三とどう違うのでしょうか。三は報いを受ける期間が無間(無限)であるのに対して、四はそこに身を置く当人の寿命もまた無限である、ということでしょうか。
 以上四つは時間の問題ですが、五はその報いを受ける身体に隙間がない、つまり体中あらゆるところにその報いを受ける、と言うようなことでしょうか。
 終わりの部分は、阿鼻地獄には空間がないということのようです。しかもそれは、一人が入っても一杯になり、多くの人が入っても同じように一杯になるという、不思議な空間です。いずれにしてもぎゅうぎゅう詰めの場所で、そのこと自体が地獄であるようです。
 なお、この一節は、『全訳注』、『提唱』には全くない内容です。》