しかあれば すなはち、世人もし子孫をあはれむことあらば、いそぎ出家せしむべし。父母をあはれむことあらば、出家をすすむべし。
 かるがゆゑに、偈にいはく。「若し過去世無くんば、応に過去仏無かるべし、若し過去仏無くんば、出家受具無からん。」
 この偈は、諸仏如来の偈なり。外道の過去世なしといふを破するなり。しかあればしるべし、出家受具は過去諸仏の法なり。われらさいはひに諸仏の妙法なる出家受戒するときにあひながら、むなしく出家受戒せざらん、なにのさはりによるとしりがたし。
 最下品(サイゲボン)の依身(エシン)をもて、最上品(サイジョウボン)の功徳を成就せん、閻浮提(エンブダイ)および三界のなかには、最上品の功徳なるべし。この閻浮の人身いまだ滅せざらんとき、かならず出家受戒すべし。
 

【現代語訳】
 ですから世の人が、もし子孫をいとおしむのなら、急いで出家させなさい。父母をいとおしむのなら、出家を勧めなさい。
 それゆえに、仏法の詩句は次のように説いています。「もし過去の世が無ければ過去の仏は無かったであろう。もし過去の仏が無ければ 出家受戒も無かったであろう。」と。
 この詩句は 諸仏如来の詩句であり、外道の説く過去の世は無いという考えを破るものです。このことから知りなさい、出家受戒は過去の諸仏が伝えた法なのです。我々が、幸いにも諸仏の優れた法である出家受戒をする機会に会いながら、空しく出家受戒しなければ、それは何の障りによるものか知り難いところです。
 最下等のこの身によって、最上等の出家受戒の功徳を成就することは、人間の住む世界、この世の中では最上等の功徳なのです。ですから、この世の人身がまだ滅しないうちに、必ず出家受戒しなさい。
 

《昔、王侯貴族の心ある人々のもとで無数の人々が出家し、釈迦一族が釈迦の導きによって皆が出家したように、お前たちも、身内を大事に思うなら出家を勧めるのがよい、…。
 その後の「かるがゆゑに」がよく分かりません。この前後はどういうふうにつながるのでしょうか。
 その前に偈の意味を考えます。この偈から否定語を除くと「過去世があるから過去仏があり、過去仏があるから出家受具ということがある」となります。
 で、その先を勝手に続けると、そのように出家受戒ということが可能なのだから、それに沿ってよろしく出家受戒すべきである、というこになるでしょうか。
 そして後段の、出家受戒こそは「最上品の功徳」なのである、となります。
 この偈はそこまでの意味を持っている、という理解でしょうか。
 それにしても、「かるがゆゑに」の原因と結果が反対で、だから出家を勧めよと始めに返るのが普通の言い方ではないかと思いますが、…。》


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