仏の言く、「若し衆生有りて我が出家と為り、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せば、設(タト)ひ戒を持せざるとも、彼等悉く已(スデニ)涅槃(ネハン)の印の為に印せらる也。
 若し復出家して、戒を持せざる者も、非法を以て悩乱罵辱(メニク)毀呰(キシ)を作(ナ)し、手に刀杖を以て打縛(ダバク)斫截(シャクセツ)し、若しは衣鉢を奪ひ、及び種々の資生の具を奪ふ者有らば、是の人則三世諸仏の真実の報身を壊し、則一切人天の眼目(ガンモク)を挑(クジ)るなり。
 是の人 諸仏所有の正法、三宝の種を隠没(オンモツ)せんと欲するが為の故に、諸天人をして利益(リヤク)を得ず、地獄に堕せしむるが故に、三悪道増長し盈満(エイマン)するが為のゆえに。」
 しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひとこれを悩乱すれば、三世諸仏の報身を壊するなり、逆罪とおなじかるべし。
 あきらかにしりぬ、出家の功徳、ただちに三世諸仏にちかしといふことを。
 

【現代語訳】
 釈尊が言うことには、「もし、人々が私を拠り所にして出家となり、髪を剃り落として袈裟を着ければ、たとえ戒を守っていなくても、彼等は皆、涅槃(煩悩の消滅した安らかな悟り)に至ることが約束されるのである。
 又、出家して戒を守らない者であっても、仏法に反していると誹謗したり、杖や刀で危害を加えたり、衣鉢や生活の道具を奪うなどする者があれば、この人は三世の諸仏の真実の仏身を壊し、人間界天上界の指導者を害しているのである。
 この人の行いは、諸仏の正法や、三宝(仏 僧という宝)の種を無くそうとする行為なので、天人たちの利益を得られず、地獄に堕ちて三悪道が増長し満ちるのである。」と。
 この釈尊の言葉から知りなさい、髪を剃り衣を染めて出家すれば、たとえ戒を守っていなくても、無上の大涅槃の悟りが約束されるのです。人がこの者を誹謗すれば、三世の諸仏の成就した仏身を壊してしまうのです。それは逆罪(殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血など)を犯すことと同じなのです。
 明らかに知られることは、出家の功徳は、すぐに三世の諸仏に近くなるということです。
 

《この頃、このあたりを読みながら、ずっと思っていることがあります。それは、ここで説かれているのは、出家の功徳そのものではなくて、これから出家しようとする人、または出家はしたもののまだ迷いがあって後悔しそうになっている人への激励なのではなかろうか、ということです。
 その道を選んで大丈夫だよ、脇見をしないで進みなさい、先師たちもこのように保証している、…。
 しかし、もし私が禅師の前にいることができたのだったら、私は次のようなことを訊ねたいのです。
 出家したら、私は今とどう変わるのでしょうか。どういう景色が見えるのでしょうか、「無上大涅槃」とは一体どのような状態なのでしょうか、…。
 おそらくそれは、お前が自身でやってみるしかない、と言われるでしょう。いや、その前に、臨済の「六十棒」(『行持』第三十章1節)の数倍の棒をいただくことになるか、直ちに破門となるか、または無視されるか、…。気の利いた人なら、「六十棒」を受ければ、そこではっと悟るのでしょうが、残念ながら私はそうはいかないだろうなあと、我が身を振り返ります。
 それでも、そういう境地に憧れはあるのですが、…。》



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