在家出家の称、このときはじめてきこゆ。
 ただし宿善のたすくるところ、天光のなかに坦路(タンロ)をえたり。つひに王宮をいでて石窟にいたる、まことに勝躅(ショウチョク)なり。世楽をいとひ俗塵をうれふるは聖者なり、五欲をしたひ出離をわするるは凡愚なり。
 代宗、粛宗しきりに僧徒にちかづけりといへども、なほ王位をむさぼりていまだなげすてず。盧(ロ)居士はすでに親を辞して祖となる。出家の功徳なり。
 ほう居士はたからをすててちりをすてず、至愚なりといふべし。
 盧公の道力(ドウリキ)と ほう公が稽古と、比類にたらず。あきらかなるはかならず出家す、くらきは家にをはる、黒業(コクゴウ)の因縁なり。
  

【現代語訳】
 在家、出家という呼び名は、この僧伽難提尊者の時代に初めて聞かれるようになりました。
 さて尊者は、過去世の善業に助けられて、天空の光の中に一筋の平坦な道を得ることが出来ました。そして遂に王宮を出て石窟に至り出家したのです。まことに勝れた先人の足跡というべきです。世間の楽しみを厭い、俗世のけがれを愁える人は聖者であり、五欲(名誉欲、色欲、食欲、財欲、睡眠欲など)を求めて、迷いを離れることを忘れている者は、愚かな凡人です。
 代宗皇帝、粛宗皇帝は、しばしば僧徒に親近して仏法を学びましたが、それでも王位に執着して、その地位を捨てることはありませんでした。盧居士は、母と別れて中国の六祖となりましたが、これは出家の功徳です。
 ほう居士は、自らの財産を舟に積んで河に沈めましたが、世俗を捨てることはありませんでした。愚の極みというべきです。
 盧居士の道力とほう居士の道の稽古とは比べ物になりません。道理に明るい者は必ず出家し、暗い者は在家で終わるのです。悪業の因縁によるものでしょう。
 

《最初の「在家出家の称」は、ここの訳では「在家、出家という呼び名」となっていますが、諸注、「在家のままの出家」という意味の熟語として解するのが普通のようで、話の流れからしても、その方が自然だと思われます。
 代宗、粛宗については、「袈裟功徳」巻のはじめ(第一章2節)に「唐朝中宗、粛宗、代宗、しきりに帰内供養しき」とありました。粛宗が玄宗皇帝の息子で、代宗はその息子のようですから、安禄山の乱で乱れた時代、それにしては仏道を尊んだということで、それなりに立派な皇帝だったのではないかと思われますが、禅師は容赦がありません。
 盧居士は「六祖慧能のなお居士であったころは廬氏であったので、かくいう」(『全訳注』)のだそうです。
 また、「ほう居士」は「龐居士」で「唐代の仏教者。名は蘊。衡州(湖南省衡陽)の人。馬祖と石頭に参禅して,印可を得るが,出家せず,晩年は家族と襄陽の鹿門山に住み,禅風を起こす」(コトバンク)という人です。優れた人だったようですが、出家しなかったので禅師の認めるところとなりませんでした。》

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