如来般涅槃(ハツネハン)したまふ時、迦葉菩薩、仏に白(モウ)して言(モウ)さく、「世尊、如来は諸根を知る力を具足す、定めて善星(ゼンショウ) 当に善根を断ずべきを知りたまへり。何の因縁を以てか、其の出家を聴(ユル)したまえる。」
 仏の言(ノタマ)はく、「善男子、我往昔に於いて、初め出家せし時、吾弟難陀(ナンダ)、従弟阿難(アナン)、調達多(チョウダッタ)、子羅睺羅(ラゴラ)、是の如くの等輩(トモガラ)、皆悉く我に随って出家修道せり、我若し善星の出家を聴さずんば、其の人次に当に王として王位を紹(ツ)ぐことを得ん。其の力自在にして、当に仏法を壊すべし。是の因縁を以て、我便ち其の出家修道を聴せり。
 

【現代語訳】
 釈迦如来が般涅槃(仏が亡くなること)される時、迦葉菩薩は仏にお尋ねになりました。「世尊よ、如来は人々の能力 性質を知る力を具えておられます。ですから、きっと善星が自ら善根を断つことを知っておられたことでしょう。それなのに、なぜ善星の出家を許されたのでしょうか。」
 仏が答えて言うには、「善男子よ、私が昔出家した頃、我が弟の難陀、従弟の阿難や提婆達多、子の羅睺羅など、これらの者たちが、皆私に従って出家し修道したのである。私がもし善星の出家をゆるさなければ、彼は次に王位を継ぐことになったであろう。そうなれば、彼はその力を思うままにして、仏法を壊してしまうであろうと考えたのである。それで私は善星の出家を許したのである。
 

《この章は、全文が漢文で、「大般涅槃経」の一節の引用(『全訳注』)で、摩訶迦葉の問いに釈迦が答えた話です。
 突然話が変わりますが、「善星」は、釈迦が皇太子の頃にもうけた三人の息子のひとりのようです(上の二人は、優波摩那と羅睺羅・「weblio辞書」)。そして、「仏弟子の一人で、また四禅比丘という。よく四禅にまでいたったが、悪友に交り、ために仏に悪心をいだいて無間地獄におちたという」(『全訳注』)という人です。
 迦葉の問いは、普通には釈迦の失敗を批判する、ないしは嫌みを言っていることになりそうですが、彼にはそういう気持ちは毛頭なく、純粋な疑問として、さらにはきっと何か自分たちの思い及ばない配慮・洞察があるに違いないと考えて、教えを乞うという意味での問いなのでしょう。
 釈迦は、善星が「善根を断ずべき」ことを予見できなかったのではなく、それを予見した上で、彼をそのままにしておくと王位に就くことになって、そうすると、「其の力自在にして、当に仏法を壊すべし」と考えたので、出家させた方がよいと考えたのだと語ります。いささか不純な理由と考えられますが、出家という絶対的価値の前には、このくらいのことは問題ないのでしょう。以下更に詳述されます。》


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