羅睺羅(ラゴラ)尊者は、菩薩の子なり、浄飯王(ジョウボンオウ)のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。
  しるべし、出家の法最尊なりと。密行(ミツギョウ)第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず。衆生の福田(フクデン)として世間に現住しまします。
  西天伝仏正法眼蔵の祖師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦の初祖、これ香至王(コウシオウ)第三皇子なり。王位をおもくせず、正法を伝持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。
  これにならぶるにおよばざる身をもちながら、出家しつべきにおきていそがざらん、いかならん明日をかまつべき。出息入息をまたず、いそぎ出家せん、それかしこかるべし。
  またしるべし、出家受戒の師、その恩徳すなはち父母にひとしかるべし。
 

【現代語訳】
  羅睺羅尊者は、菩薩(出家する前の釈尊)の子であり、浄飯王の孫にあたる人です。王は羅睺羅に王位を譲ろうとしましたが、釈尊は強いて出家させました。
  このことから知りなさい、出家の法は最も尊いものであることを。羅睺羅尊者は、仏弟子の中で密行(戒を善く守る)第一の弟子として、今でも涅槃(死滅)に入ることなく、人々の福田(幸福の収穫をもたらす田)として世間に居られるのです。
  西方インドで、仏の正法眼蔵(仏法の真髄)を伝えた祖師の中には、王子の身で出家された方が数多くおられます。今の中国の初祖(菩提達磨)は、香至王の第三皇子であり、王位を重んぜず出家して仏の正法を伝えました。このようなことからも、出家は最も尊いものであることが明らかに知られます。
 この人たちに及ばない身分であれば、すぐにも出家すべきなのに、何故急がないのでしょうか。どのような明日を待って決心するのでしょうか。息をつぐ間も惜しんで、急いで出家することが賢明というものです。
 又知りなさい、出家受戒の師の恩は、父母の恩にも等しいものです。
 

《前節から続いて、王族が出家した話です。祖父を起点として語られているのでちょっとごちゃごちゃして分かりにくいのですが、前節は釈尊の同世代の話、こちらは次の世代、釈尊の息子の話です。
 家系図的に言えば、師子頬王―浄飯王―釈尊(およびその兄弟・従兄弟)―羅睺羅(およびその弟たち)となり、釈尊以下は全て出家してしまったような形になります。
 禅師は「しるべし、出家の法最尊なり」と言いますが、実際問題、この王家は、この後どうなったのだろうかと心配になり、「Wikipedia」を覗いてみると、「仏教文献等によると、釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ滅亡したとされる。異説も有り、滅亡したのではなく、生き残った四人の王族がヒンドゥー教に改宗して釈迦族は存続したという伝承も存在する[要出典]。シャカ族で生き残った四人の男子は、それぞれ他の国へ行って、みなその国の王になったと伝える説もある[要出典]」とありました。
 どうやら釈尊の後まもなく滅亡したようですが、後継が途絶えて、というわけではないようです。しかし、いずれにしても、相当に古いらしい系譜が、このあたりで途絶えたことは間違いなさそうで、釈尊の父、祖父は、それなりに心痛があったことだろうと思われます。
 不思議に思われるのは、今更ですが、当人にそういう内的要請があるならまだしも、そうでもない人に家族を捨てての出家を勧めるというのは、どういうことなのでしょうか。
 もちろん一面、心の安定を得るということにはなるのでしょうが、肉親を捨てたことによる痛みはどうなるのでしょうか。また、それを極端まで進めて仮に人類が全て出家するようなことになったら、人間社会は崩壊し、人類は子孫を喪失することにならないでしょうか。
 また一面、「自未得度先度他」で他者の幸せのためにもなるのでしょうが、その他者は在家者なのであって、在家者を幸せにしても、あまり意味がないということにはならないのでしょうか。
 私自身は、この歳になって仏教者たることに少なからぬ憧れがありますが、それでもなお、この部分についてはどうも納得がいかず不思議な気がします。
 禅師はさらに、シャカ族以外の王族でも出家した人があり、中国では達磨がそうだったことを挙げて、まして、そうした尊貴な身分でもないわれわれなどは、すぐにも現世を捨てるべきだと、強調します。》


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