仏本行集経(ブツホンギョウジッキョウ)に云く、
「仏、目犍連(モッケンレン)に告げたまはく、
『我れ往昔(オウジャク)を念(オモ)ふに、無量無辺なる諸(モロモロ)の世尊の所(ミモト)に於て、諸の善根を植え、乃至(ナイシ)阿耨多羅三藐三菩提を求む。
 目犍連、我往昔を念ふに、転輪聖王(テンリンショウオウ)の身と作(ナ)りて、三十億の仏に値(ア)ふ。皆同じく一号にして釈迦と号す。
 如来及び声聞衆(ショウモンジュ)まで、尊重(ソンジュウ)し承事し、恭敬(ケギョウ)し供養して、四事具足す。所謂衣服(エブク)、飲食(オンジキ)、臥具、湯薬(トウヤク)なり。
 時に彼の諸仏、我に記を与へず、汝当に阿耨多羅三藐三菩提、及び世間解(セケンゲ)、天人師、仏世尊を得て、未来世に於て正覚(ショウガク)を成ずることを得べしと。
 目犍連、我往昔を念ふに、転輪聖王の身と作りて、八億の諸仏に値ふ。皆同じく一号にして、燃燈と号す。
 如来及び声聞衆まで、尊重し恭敬して、四事供養す。所謂衣服、飲食、臥具、幡蓋(バンガイ)、華香(クコウ)なり。
 時に彼の諸仏、我に記を与へず、汝当に阿耨多羅三藐三菩提、及び世間解、天人師、仏世尊を得べしと。
 目犍連、我往昔を念ふに、転輪聖王の身と作りて、三億の諸仏に値ふ。皆同じく一号にして、弗沙(フシャ)と号す。
 如来及び声聞衆まで、四事の供養、皆悉く具足す。時に彼の諸仏、我に記を与へず、汝当に作仏(サブツ)すべしと。』」
 

【現代語訳】
 仏本行集経(釈尊の伝記)に言うことには、
「仏(釈尊)は目犍連(目連)に言われた、
『私は昔を思うに、無量の諸仏の所で多くの善根(善報を受ける行い)を植え、仏の無上の悟りを求めた。
 目犍連よ、私は昔を思うに、転輪聖王(偉大な統治者)となって三十億の仏に会った。これらの仏たちは皆同じ名前で釈迦と呼ばれた。
 私は、これらの仏や声聞(仏の説法を聞いて悟る者)の弟子に至るまで、皆尊重して仕え敬って衣服や飲食、臥具(敷物)、湯薬(湯茶薬)などを供養した。
 だがその時に仏たちは、お前は未来に仏の悟りを得て、世間を知る者、人間や天衆を導く者、世に尊き仏と呼ばれる者になるだろうと私に予言されなかった。
 目犍連よ、私は昔を思うに、転輪聖王となって八億の諸仏に会った。これらの仏たちは皆同じ名前で燃燈と呼ばれた。
 私は、これらの仏や声聞の弟子に至るまで、皆尊重し敬って衣服、飲食、幡蓋(貴人を上から高く覆うもの)、華香(花と香)などを供養した。
 だがその時に仏たちは、お前は未来に仏の悟りを得て、世間を知る者、人間や天衆を導く者、世に尊き仏と呼ばれる者になるだろうと私に予言されなかった。
 目犍連よ、私は昔を思うに、転輪聖王となって三億の諸仏に会った。これらの仏たちは皆同じ名前で弗沙と呼ばれた。
 私は、これらの仏や声聞の弟子に至るまで、皆すべて供養した。だがその時に仏たちは、お前は未来に仏となるであろうと私に予言されなかった。』」
 

《第二の引用文で、次の第2節が禅師の解説になります。
 目犍連という人は「釈迦の十大弟子の一人。マガダ国のバラモンの出身。はじめ懐疑論者サンジャヤの弟子であったが、仏弟子となり神通第一と称される。彼が餓鬼道におちた母を救うために供養した行法が盂蘭盆会(うらぼんえ)の起源といわれる」(コトバンク)のだそうです。
 さて、その人に釈尊が語りました。自分は、昔、様々な功徳を積み、転輪聖王となった後にも各階層の「三十億の仏」(それらは全て「釈迦」と呼ばれたのだそうです)を「尊重」「承事」「恭敬」「供養」してきたのだが、その仏達は私に将来仏の悟りを得て、立派な仏と成るだろうという予言を与えてくださらなかったのだった。…。
 また、その後に、でしょうか、同様に「八億の仏」(これは、全て「燃燈」と呼ばれたのだそうです)にも、また「三億」の仏(これは、全て「弗沙」と呼ばれたのだそうです)にも、「尊重」「承事」「恭敬」「供養」してきたのだが、やはり同じように「汝当に作仏すべし」という保証を与えては下さらなかった。…。
 それについて、以下に禅師の解説がなされるのですが、…。
 「釈迦」、「燃燈」、「弗沙」は、ここではそれぞれ、一群の仏の呼称とされていますが、例えば「燃灯仏」は「修行中の釈迦に、未来に仏となることを予言した過去の世の仏。釈迦は、この仏のために蓮の花を捧げ、また、歩きやすいように自分の髪の毛を泥道の上に敷いたという」(「weblio辞書」)という、特定の一人でもあるようで、不思議な使われ方です。》


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