このほか、そこばくの諸仏を供養しまします。転輪聖王身としては、かならず四天下(シテンゲ)を統領すべし。供養諸仏の具、まことに豊饒なるべし。
もし大転輪王ならば、三千界に王なるべし。そのときの供仏(クブツ)、いまの凡慮はかるべからず。ほとけときましますとも、解了(ゲリョウ)することえがたからん。
【現代語訳】
釈尊は昔、この他にも多くの諸仏を供養されました。時に転輪聖王(偉大な統治者)であれば、きっと全世界を統治していて、諸仏を供養する供物は実に豊かであったことでしょう。
もし大転輪王であれば宇宙の王であり、その時の仏の供養は、今の凡人の思慮では計り知ることが出来ません。たとえ仏が説いても理解し難いことでしょう。
《これはどういうことでしょうか。
前節のエピソードから、私たちの関心は当然「時に彼の諸仏、我に記を与へず」ということの理由に向かうのですが、そのことには触れられず、ただ「(釈尊の)供養諸仏の具、まことに豊饒」であったことが語られただけで終わり、次の章は別の話になってしまいます。
釈尊はこのように諸仏に対して大変な布施をして供養したのだった、と禅師は大きく評価していることになりそうですが、先の「行持下」巻第三十六章には、如浄が王子からの大枚の布施を厳しく断ったことを「浙東浙西の道俗、おほく讃歎す」と語られています。あの王子は仏道への造詣が未熟だったようで、だから如浄は断ったのだということになっていて、それはそれで理解するとしても、ここの釈尊はそういうことはないわけですから、諸仏はその布施を受け取ってもいいのだ(何も書かれていないところを見ると、受け取ったのでしょう)ということになりそうですが、そうなのでしょうか。
そうだとして、ではなぜ「時に彼の諸仏、我に記を与へず」、諸仏は釈尊に仏をなることを許さなかったのでしょうか。
どうもよく分かりません。まだ、草稿、メモの範囲である所以でしょうか。》