未曾有経(ミゾウウキョウ)に云(イハ)く、
 仏言(ノタマ)はく、過去無数劫(ムシュコウ)の時を憶念(オクネン)するに、毗摩大(ビマタイ)国徙陀山(シダセン)の中に、一の野干(ヤカン)あり。而も師子(シシ)の為に逐(オ)はれて、食(ク)はれなんとす。奔走して井に堕ち、出づること得る能はず。
 三日を経るに開心して死を分(ワキマ)へ、而も偈を説いて言はく、
「禍ひなる哉、今日苦に逼(セマ)られて、
 便ち当に命を丘井(キュウセイ)に没(モッ)せんとす。
 一切万物皆無常なり、
 恨むらくは身を以て師子に飴(ク)らはさざりしことを。
 南無帰依十方仏、我が心浄にして己(オノ)れ無きことを表知したまへ。」

時に天帝釈、仏の名(ミナ)を聞いて粛然として毛豎(タ)ち、古仏を念(オモ)ふ。自ら惟(オモ)ふらく、「孤露にして導師無く、五欲に耽著(タンジャク)して自ら沈没(チンモツ)す。」と。
 即ち諸天八万衆と与(トモ)に、飛下(ヒゲ)して井に詣(イタ)り、問詰せんと欲(オモ)ふ。乃ち野干の井底(セイテイ)に在りて、両手もて土を攀(ヨ)づれども出づること得ざるを見る。
 天帝、復自ら思念して言はく、
「聖人(ショウニン)応に方術無からんと念(オモ)ふべし。我今野干の形を見ると雖も、斯(コ)れ必ず菩薩にして凡器に非ざらん。仁者(ニンジャ)向説するは凡言(ボンゴン)に非ず、願はくは諸天の為に法要を説きたまへ。」
 時に野干、仰いで答へて曰く、
「汝、天帝として教訓無し、法師(ホッシ)は下に在りて自らは上に処(オ)る、都(スベ)て敬を修(シュ)せずして法要を問う。法水清浄(ホッスイショウジョウ)にして能く人を済(スク)ふ、云何(イカン)が自ら貢高なることを得んと欲(オモ)ふや。」
 天帝、是を聞いて大いに慚愧(ザンギ)す。
 給侍の諸天愕然として笑ふ、「天王降趾(コウシ)すれども大いに利無し。」と。
 天帝、即時に諸天に告ぐ、
「慎んで此れを以て驚怖を懐くこと勿れ、是我頑蔽(ガンペイ)にして徳称はず、必ず当に是に因って法要を聞くべし。」
 即ち為に天の宝衣(ホウエ)を垂下(スイゲ)して、野干を接取して上に出だす。諸天為に甘露の食(ジキ)を設け、野干食することを得て活望(カツモウ)を生ず。
 意(オモ)はざりき、禍中に斯(コ)の福を致さんとは。心に踴躍(ユヤク)を懐きて慶ぶこと無量なり。野干、天帝及び諸天の為に、広く法要を説く。
 

【現代語訳】
 未曾有経には次のように説かれている。
 仏(釈尊)は言われた、遥か遠い昔、毗摩大国の徙陀山の山中に一匹の狐がいた。ある日、その狐は獅子に追われて食われそうになった。彼は逃げ回って井戸に落ち、出られなくなった。そうして三日がたち、彼は死を覚悟して次のような詩句を唱えた。
「なんという災難であろうか。私は今日にも苦しんで、井戸の中で命を落とすことであろう。この世のすべてのものは皆無常である。今になって残念に思うことは、この身を飢えた獅子に施して食わせなかったことである。私は心からすべての仏たちに帰依いたします。どうか私の心に汚れなく私心のないことをお察しください。」と。
 その時に帝釈天は、仏の名を称える声を聞いて粛然として毛が立ち、いにしえの仏たちのことを思った。そして自らを省みて、「私は孤独で導いてくれる師も無く、様々な欲に引かれて自ら欲に溺れている。」と思った。
 そこで八万の様々な天神たちと共に、下界に飛び下りて井戸に行き、声の主に教えを問いただそうとした。すると狐が井戸の底にいて、両手で土を攀じ上ろうとしても出られない様を見た。
 そこで帝釈天はまた次のように考えた。
「この聖人は、おそらく井戸を抜け出す方法は無いと観念しているのであろう。私は今、狐の姿を見ているが、これはきっと菩薩であり、凡庸な器量の持ち主ではない。」と。
 そこで彼に呼び掛けた。「あなたの先ほどの言葉は凡人の言葉ではありません、どうか我等多くの天神のために仏法の要旨を説いてください。」と。
 その時に狐は井戸の底から仰いで答えた。
「あなたは帝釈天でありながら教養が身についていません。何故なら法を説く師が下に居り、あなた自身は上にいて、師に対してまったく敬意なく法を尋ねているからです。仏法の甘露の水は清浄でよく人々を救うものです。あなたはどうして自ら尊大に構えたがるのですか。」と。
 帝釈天は彼の言葉を聞いて深く自らを恥じた。それを聞いたお供の天神たちは驚いて笑って言った。「はるばる天界の王が天から降りてやって来たが、大して利益はなかった。」と。
 帝釈天は、そこで諸々の天神たちに告げた。
「天神たちよ、決してこのようなことで驚いてはいけない。これは私が愚かで徳が無いからである。必ず彼から法を聞かねばならない。」と。
 そこで、狐のために宝玉をちりばめた天衣を下げ降ろし、狐を引き上げて井戸の上に出した。そして天神たちは狐のために御馳走を設け、狐は食べることによって元気を取り戻した。
 狐は災難の中でこのような福が得られるとは思いもしなかったので、心は勇躍し喜びは無量であった。そこで狐は、帝釈天や多くの天神たちのために、様々に仏法を説いたのである。」と。
 

《少し長くなりましたが、以上が引用されたエピソードです。
 野狐が死地に臨んで大変なことを言いました。その一つは「一切万物皆無常なり」です。「奔走して井に堕ち」たにしては、ずいぶん達観した感じで、そんな悠長なことを言っている場合かと思ってしまいますが、そういうキツネもたまにはいるかもしれません。
 しかし、さらに驚くべきは、「恨むらくは身を以て師子に飴らはさざりしことを」で、こんなふうに穴の底で朽ち果てるくらいなら、せめて獅子の飢えを満たしてやればよかった、というのですが、自分をこういう事態に追い込んだ相手に対して、なかなかそういうふうには思えません。
 そういう「偈を説」いて、最後に「南無帰依十方仏、我が心浄にして己れ無きことを表知したまへ」と唱えました。
 このすべてが善根となったのでしょう、帝釈天の心を打って、救いの手を得たのでしたが、やってきた帝釈天が助ける前に穴の上から声をかけたことにキツネは毅然としてその非礼をとがめました。
 ところで、この話において、このキツネはどうしてキツネでなければならなかったのでしょか。普通に一人の僧侶でもそのまま話が進みそうで、むしろその方が自然な話になって、リアリテイも増したのではないか、…。
 以下に禅師の解説です。もちろん、そのことは問題にされません。


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