夾山(カッサン)の圜悟(エンゴ)禅師克勤(コクゴン)和尚、頌古(ジュコ)に云く。
「魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ、
至鑑逃れ難く、太虚寥廓(リョウカク)たり。
一たび往(ユキ)て迢迢(チョウチョウ)たり五百生、只因果の大修行に縁る。
疾雷山を破り、風海を震はす、百錬の精金色改まらず。」
この頌(ジュ)なほ撥無因果のおもむきあり、さらに常見のおもむきあり。
杭州径山(キンザン)の大慧(ダイエ)禅師宗杲(ソウコウ)和尚、頌に云く。
「不落不昧、石頭土塊、
陌路(ハクロ)に相逢ふて、銀山粉砕す。
拍手呵呵笑ひ一場、
明州(ミンシュウ)に箇の憨布袋(カンホテイ)有り。」
これらをいまの宋朝のともがら、作家(サッケ)の祖師とおもへり。しかあれども、宗杲が見解(ケンゲ)、いまだ仏法の施権(セゴン)のむねにおよばず、ややもすれば自然見解のおもむきあり。
【現代語訳】
夾山の圜悟禅師克勤和尚が、百丈和尚を称揚した言葉に、
「魚行けば水が濁り、鳥飛べば毛が落ちる。
因果の法は、すぐれた鏡がすべてを映すように逃れ難く、大空が広々と開けているように明らか
である。
一たび野狐に堕ちて久しく五百生を重ねたことは、ただ因果の大修行であった。
激しい雷が山を壊し、風は海を震わしたが、よく精錬した金の色は変わることがなかった。」
とあります。
この言葉には、依然として因果を無視する趣きがあり、更に常見(恒常で変わらぬものという見解)の趣もあります。
また杭州径山の大慧禅師宗杲和尚が称揚した言葉には、
「因果に落ちないと答えても、因果を昧まさないと答えても、それは石ころと土くれほどの違いで
かない。
ただ路上で百丈和尚に出会ったことで、五百生の野狐身を粉砕したのだ。
この話を聞いて、手をたたいて大笑したのは、
明州の愚鈍な布袋和尚である。」
とあります。
これらの人を、今の宋国の仲間は優れた祖師と思っています。しかしながら宗杲の見解は、未だ仏法の方便の教えにも及びません。ややもすれば自然見解(全てを無因と見ること)の趣さえ窺われます。
《ここの二つの頌は、いずれも因果の法を認めているように見えるのですが、禅師は「撥無因果のおもむき」がある、と言います。
『全訳注』は前章からの三つの頌をまとめて「道元には、そのいずれも意に充たないものであったらしく、それらを批判して、もって結びとしている」と言います。
圜悟の頌の後段、「疾雷山を破り、…」は、野狐となった老人には様々なことがあったが、その中で因果の法は生き続けていた、というような意味と解すれば、この部分は、「因果不昧」と考えられます。
前段の、「魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ」も、因果そのもののようですが、それは因果と言うよりも、「自然」を言う、ということで、ここが禅師の批判となっている、ということでしょうか。
大慧の頌はどうでしょうか。初めの二句は「不落不昧」を「石頭土塊」だというのですから、まったく「撥無因果」そのものと言えそうです。
後半の「拍手呵呵」が前章の宏智の「阿呵呵」を指すのだとすれば、それを「憨布袋(愚鈍な布袋和尚)」になぞらえていることからして、宏智を否定していることになりそうでから、そうすると禅師の考えに沿うものであるように見えて、前半と相違します。
もっとも、その「憨布袋」こそが実は真実の人だったのだと言っているとも読めます。そうすると、圜悟の「豁達の空」に通じることになりそうで、終わりの「自然見解」に一致します。
というわけで、禅師は、この三人、宏智、圜悟、径山をまとめて、否定して、次節が結びとなります。》