「受戒」巻は『全訳注』本の最後の巻です(後に「辨道話」が載っていますが、これは普通、『正法眼蔵』とは別の本とされています)。
 前の数巻と同様に制作年代未詳の巻のようで、同書は「開題」においてさまざまに検討して、建長五年(一二五三年)(八月に禅師遷化の年です)頃ではないかとしているようです(実は、結論の部分にある「その頃」というのがいつ頃を指すのか、ちょっと読み取りにくいのです)。
 

禅苑清規(ゼンエンシンギ)に云く、
「三世諸仏、皆出家成道(ジョウドウ)と曰ふ。西天(サイテン)二十八祖、唐土六祖、仏心印を伝ふる、尽く是沙門なり。蓋(ケダ)し毘尼(ビニ)を厳浄(ゴンジョウ)するを以て、方に能く三界に洪範たり。
 然れば則参禅問道は、戒律を先と為す。既に過を離れ非を防ぐに非ずば、何を以てか成仏作祖(ジョウブツサソ)せん。
 受戒の法は、応に三衣鉢具(サンエハツグ)、并(ナラビ)に新浄の衣物(エモツ)を備ふべし。新衣無からんが如きは、浣洗して浄(キヨ)からしむべし。入壇受戒には、他の衣鉢(エハツ)を借ることを得ざれ。
 一心専注して慎んで異縁あること勿れ。仏の形儀(ギョウギ)を像(カタド)り、仏の戒律を具し、仏の受用を得る、此れは小事に非ず、豈軽心なるべけんや。
 若し他の衣鉢を借れば、登壇受戒すと雖も、并(ナラ)びに戒を得ず。若し曾受(ソウジュ)せざれば、一生無戒の人たらん。濫(ミダ)りに空門に厠(マジワ)り、虚しく信施を消せん。
 初心の入道は、法律未だ諳(ソラ)んぜず。師匠言はざれば、人を此に陥(オト)さん。今茲(ココ)に苦口(クク)す、敢て望(モウ)すらくは心に銘すべし。
 既に声聞戒(ショウモンカイ)を受ければ、応に菩薩戒を受くべし。此れ入法の漸(ハジ)めなり。」
 

【現代語訳】
 禅苑清規に言う、
「三世(過去 現在 未来)の諸仏は、皆出家して仏道を成就するといわれる。またインドの二十八代の祖師や中国の六代の祖師など、仏の悟りを伝えてこられた方々は、すべて出家である。そもそも出家は戒律を厳守することで、まさに世間で模範となるべきものである。
 そのために、禅に参じて仏道を学ぶには、先ず戒律を守ることが大切である。過ちを離れ非を防ぐことなくして、どうして仏や祖となることができようか。
 出家受戒の作法は、先ず新しい三種の衣(袈裟)と鉢(食器)を用意しなさい。新しい衣がなければ、きれいに洗ったものを用意しなさい。戒壇で戒法を受けるには、他人の衣鉢を借りてはならない。
 また受戒する時には、心をそのことに集中して、決して散乱させてはならない。仏の姿をまねて仏の戒律を保ち、仏の生活法に従うことは、決して小事でないことを肝に銘じて、軽い気持ちで受けてはならない。
 もし他人の衣鉢を借りてしたならば、戒壇で戒を受けても、同じように戒を得ることは出来ないのである。もしそうしたのなら、もう一度戒を受けなければ、一生無戒の人となるであろう。みだりに仏門に身を置いて、空しく信者の施しを費やすことになるのである。
 仏道に入って間もない者は、出家の規則についてまだ知らない。師匠が教えなければ、人をこの過ちに落とすことであろう。そのために、今ここで苦言するのである。これを心に銘じることを切に願うものである。
 出家して声聞戒を受けたならば、次に菩薩戒を受けなさい。これが仏法に入る順序というものである。」
 

《まず「禅苑清規」からの引用です。その「第一」にある文章のようで(『全訳注』)、仏道者たる者の第一の心得ということになりましょうか。
 同書は以前にも出てきましたが、サイト「つらつら日暮らしWiki」によれば、「禅苑というのは、禅寺、禅林に同じであり、清規とは禅宗の軌範のことです。『禅苑清規』は現存する最古の清規になります。全10巻であり、宋の長蘆宗賾(生没年不詳。雲門宗・長蘆応夫の法嗣。崇寧年間[11021105]に洪済禅院に住す)によって記されました」というもののようです。
 ところで、このブログの底本とさせてもらっています「故・吉川宗玄 宗福二世中興雲龍宗玄大和尚」の作業になるサイト「道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み」が、この巻を含めて残すところ二巻になっています。
 これまでは禅師の説くところを何とか自分なりに、または曲がりなりにでも、理解しようと、その読み取りの過程や私的な読み加えを書いてきましたが、これ以後、この巻も次の巻も、ほとんどが古経からの引用からなっており、または具体的な作法が説かれていて、私としては読んで承る以外にないように思われます。
 つきましては、以後、特に私自身の言葉を綴ることのほぼないままに、読み進めることになることお断りしておきます。
 ここは長い引用ですが、要点は、「参禅問道は、戒律を先と為す」こと、そして受戒に当たっては、「一心専注して慎んで異縁あること勿れ」ということ、であろうと思われます。
 以下、これについての禅師の言葉が続きます。》


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