『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

参禅問道は、戒律を先と為す

「受戒」巻は『全訳注』本の最後の巻です(後に「辨道話」が載っていますが、これは普通、『正法眼蔵』とは別の本とされています)。
 前の数巻と同様に制作年代未詳の巻のようで、同書は「開題」においてさまざまに検討して、建長五年(一二五三年)(八月に禅師遷化の年です)頃ではないかとしているようです(実は、結論の部分にある「その頃」というのがいつ頃を指すのか、ちょっと読み取りにくいのです)。
 

禅苑清規(ゼンエンシンギ)に云く、
「三世諸仏、皆出家成道(ジョウドウ)と曰ふ。西天(サイテン)二十八祖、唐土六祖、仏心印を伝ふる、尽く是沙門なり。蓋(ケダ)し毘尼(ビニ)を厳浄(ゴンジョウ)するを以て、方に能く三界に洪範たり。
 然れば則参禅問道は、戒律を先と為す。既に過を離れ非を防ぐに非ずば、何を以てか成仏作祖(ジョウブツサソ)せん。
 受戒の法は、応に三衣鉢具(サンエハツグ)、并(ナラビ)に新浄の衣物(エモツ)を備ふべし。新衣無からんが如きは、浣洗して浄(キヨ)からしむべし。入壇受戒には、他の衣鉢(エハツ)を借ることを得ざれ。
 一心専注して慎んで異縁あること勿れ。仏の形儀(ギョウギ)を像(カタド)り、仏の戒律を具し、仏の受用を得る、此れは小事に非ず、豈軽心なるべけんや。
 若し他の衣鉢を借れば、登壇受戒すと雖も、并(ナラ)びに戒を得ず。若し曾受(ソウジュ)せざれば、一生無戒の人たらん。濫(ミダ)りに空門に厠(マジワ)り、虚しく信施を消せん。
 初心の入道は、法律未だ諳(ソラ)んぜず。師匠言はざれば、人を此に陥(オト)さん。今茲(ココ)に苦口(クク)す、敢て望(モウ)すらくは心に銘すべし。
 既に声聞戒(ショウモンカイ)を受ければ、応に菩薩戒を受くべし。此れ入法の漸(ハジ)めなり。」
 

【現代語訳】
 禅苑清規に言う、
「三世(過去 現在 未来)の諸仏は、皆出家して仏道を成就するといわれる。またインドの二十八代の祖師や中国の六代の祖師など、仏の悟りを伝えてこられた方々は、すべて出家である。そもそも出家は戒律を厳守することで、まさに世間で模範となるべきものである。
 そのために、禅に参じて仏道を学ぶには、先ず戒律を守ることが大切である。過ちを離れ非を防ぐことなくして、どうして仏や祖となることができようか。
 出家受戒の作法は、先ず新しい三種の衣(袈裟)と鉢(食器)を用意しなさい。新しい衣がなければ、きれいに洗ったものを用意しなさい。戒壇で戒法を受けるには、他人の衣鉢を借りてはならない。
 また受戒する時には、心をそのことに集中して、決して散乱させてはならない。仏の姿をまねて仏の戒律を保ち、仏の生活法に従うことは、決して小事でないことを肝に銘じて、軽い気持ちで受けてはならない。
 もし他人の衣鉢を借りてしたならば、戒壇で戒を受けても、同じように戒を得ることは出来ないのである。もしそうしたのなら、もう一度戒を受けなければ、一生無戒の人となるであろう。みだりに仏門に身を置いて、空しく信者の施しを費やすことになるのである。
 仏道に入って間もない者は、出家の規則についてまだ知らない。師匠が教えなければ、人をこの過ちに落とすことであろう。そのために、今ここで苦言するのである。これを心に銘じることを切に願うものである。
 出家して声聞戒を受けたならば、次に菩薩戒を受けなさい。これが仏法に入る順序というものである。」
 

《まず「禅苑清規」からの引用です。その「第一」にある文章のようで(『全訳注』)、仏道者たる者の第一の心得ということになりましょうか。
 同書は以前にも出てきましたが、サイト「つらつら日暮らしWiki」によれば、「禅苑というのは、禅寺、禅林に同じであり、清規とは禅宗の軌範のことです。『禅苑清規』は現存する最古の清規になります。全10巻であり、宋の長蘆宗賾(生没年不詳。雲門宗・長蘆応夫の法嗣。崇寧年間[11021105]に洪済禅院に住す)によって記されました」というもののようです。
 ところで、このブログの底本とさせてもらっています「故・吉川宗玄 宗福二世中興雲龍宗玄大和尚」の作業になるサイト「道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み」が、この巻を含めて残すところ二巻になっています。
 これまでは禅師の説くところを何とか自分なりに、または曲がりなりにでも、理解しようと、その読み取りの過程や私的な読み加えを書いてきましたが、これ以後、この巻も次の巻も、ほとんどが古経からの引用からなっており、または具体的な作法が説かれていて、私としては読んで承る以外にないように思われます。
 つきましては、以後、特に私自身の言葉を綴ることのほぼないままに、読み進めることになることお断りしておきます。
 ここは長い引用ですが、要点は、「参禅問道は、戒律を先と為す」こと、そして受戒に当たっては、「一心専注して慎んで異縁あること勿れ」ということ、であろうと思われます。
 以下、これについての禅師の言葉が続きます。》


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四禅比丘 ~仏弟子の中に一比丘有り

 「四禅比丘」巻は、『全訳注』第八巻に先の「深信因果」巻に続いて収められています。
 「四禅」は、『全訳注』が「いわゆる禅定に入った時の境地を四つの階位にわかったものであって、古来から教相を論ずる人々は細かくそれぞれの境地を分析し語っているが、いまはその煩にたえないのでこれを記さない」と言っています。
 ちなみにサイト「愛知学院大学禅研究所」によれば、以下のようです。
 欲界の迷いを超えて、色界に生じる四段階の禅定。色界における心の静まり方が、初禅・第二禅・第三禅・第四禅と次第に深まっていく。(中略)
「初禅」は、覚・観・喜・楽・一心の心の状態が現れる禅定。
「第二禅」は、内浄・喜・楽・一心の心の状態が現れる禅定。
「第三禅」は、捨・念・慧・楽・一心の心の状態が現れる禅定。
「第四禅」は、不苦不楽・捨・念・一心の心の伏態が現れる禅定。
 一巻の主題は、これも『全訳注』が「いわゆる三教一致の説の批判にあった」のではないかと言っています。
 

  第十四祖龍樹祖師言はく、
 仏弟子の中に一比丘有り、第四禅を得て、増上慢を生じ、四果(シカ)を得たりと謂(オモ)へり。
 初め初禅を得て、須陀洹果(シュダオンカ)を得たりと謂ひ、第二禅を得し時、是を斯陀含果(シュダゴンカ)と謂ひ、第三禅を得し時、是を阿那含果(アナゴンカ)と謂ひ、第四禅を得し時、是を阿羅漢と謂へり。
 是を恃(タノ)んで自ら高ぶり、復進むことを求めず。命尽きなんと欲(ホッ)する時、四禅の中陰の相有って来たるを見て、便ち邪見を生じ、涅槃無し、仏為に我を欺くと謂へり。
 悪邪見の故に四禅の中陰を失ひ、便ち阿毗泥犁(アビナイリ)の中陰の相を見、命終(ミョウジュウ)して即ち阿毗泥犁の中に生ず。
 諸(モロモロ)の比丘仏に問うて曰く、「阿蘭若(アランニャ)比丘、命終して何(イズ)れの処にか生ぜる。」
 仏の言(ノタマ)はく、「是の人は阿毗泥犁(アビナイリ)の中に生ず。」
 諸の比丘大(オオイ)に驚き、「坐禅持戒して便ち爾(シカ)るに至る耶(ヤ)。」
 仏前(サキ)の如く答へて言(ノタマ)はく、
「彼は皆増上慢に因る。四禅を得る時、四果を得たりと謂へり。臨命終(リンミョウジュウ)の時に、四禅の中陰の相を見て、便ち邪見を生じ、謂へらく涅槃無し、我は是れ羅漢なり、今還って復生ず、仏は虚誑(コオウ)を為せりと。是の時 即ち阿毗泥犁の中陰を見、命終して即ち阿毗泥犁の中に生ず。」
 是の時、仏偈を説いて言(ノタマ)はく、
「多聞(タモン)、持戒、禅も未だ漏尽(ロジン)の法を得ず、此の功徳有りと雖も、此の事信ずべきこと難し、獄に堕つることは謗仏(ボウブツ)に由る、第四禅に関わるに非ず。」
 

【現代語訳】
 第十四祖龍樹祖師の言うことには、
 仏弟子の中の出家の一人に、四つの禅定の中の、第四の禅定(ゼンジョウ)を得たことで、慢心して四果(四つ聖者の悟り)を得たと思った者がいた。
 その者は、初めに初禅定を得て、聖者の最初の悟りである須陀洹果を得たと思い、第二の禅定を得た時には、これを聖者の第二の悟りである斯陀含果を得たと思い、第三の禅定を得た時には、これを聖者の第三の悟りである阿那含果を得たと思い、第四の禅定を得た時には、これを究極の聖者である阿羅漢を得たと思った。
 彼はこれによって自ら慢心し、更に修行を進めようと思わなかった。そうして自分の命が尽きようとした時に、四禅天(四禅定を修めた者が生まれる天界)に生まれる中陰(死んでから次に生まれ変わるまでの期間)の相が現れたのを見て、そこで邪念を起こし、「阿羅漢ならば天界に生まれずに、煩悩を滅ぼし尽くした涅槃に入るはずである。それなのに涅槃は無かった。仏は私のことを欺いたのである。」と思った。
 彼は悪しき邪念を起こしたために四禅天の中陰を失い、阿鼻地獄の中陰の相が現れて、命が終ると阿鼻地獄の中に生まれた。
 出家の弟子たちは仏に尋ねた、「この出家は、命を終えてから何処に生まれたのでしょうか。」
 仏は答えた。「この人は阿鼻地獄の中に生まれたのである。」
 弟子たちは大変驚いて言った。「坐禅持戒した出家が、どうして地獄に行くのでしょうか。」
 仏は前のように答えて言われた。
「彼が阿鼻地獄に生まれたのは、皆慢心を起こしたことが原因である。彼は四禅定を得た時に四果を得たと思った。そのために、臨終の時になって四禅天の中陰の相が現れたのを見て邪念を起こし、阿羅漢の涅槃は無かった。私は阿羅漢であり、更に生まれる所は無いはずである。それなのに今また天界に生まれようとしている。仏は私に嘘を言ったのである、と思った。それでこの時、阿鼻地獄の中陰の相が現れ、命が終って阿鼻地獄の中に生まれたのである。」と。
 そしてこの時、仏は偈文を説かれた。
「教えを多く聞き、戒を保ち、禅定を修めても、まだ煩悩を尽くした法は得られない。何故なら、これらには功徳があるけれども、煩悩を尽した法は信じることが困難だからである。彼が地獄に堕ちたのは、仏を謗ったことが原因であり、第四の禅定には関係しない。」と。
 

《いきなり少々長くなりましたが、ひとまとめの引用ですので、あしからず。
 この比丘は二つの罪を犯しました。第一は「第四禅を得て、・・四果を得たりと謂へり」という「増上慢」の罪、第二は「仏為に我を欺くと謂へり」という「邪見」の罪です。
 彼は「第四禅」を得たので死後は「天界」に生まれ変わって「涅槃」を得るのだと思っていたのですが、「第四禅」を得て以後「増上慢」を起こして修行を怠っていた罰として、(以下のところがちょっと分かりにくいのですが)すぐに「天界」へ行くことができず、「中陰」に留められたようです。
 そしてその時彼は自分の罪を悟るのではなく、逆に「第四禅」を得れば「涅槃」が得られると教えた仏を、自分を欺いたのだと思ったので、その罪で阿鼻地獄に落とされることになった、ということのようです。
 なお、ここの訳文では仏の最後の答えにある「今還って復生ず」を「天界に生まれようとしている」としていますが、「人界」とすべきではないかと思いますが、どうでしょうか。『全訳注』は「やっぱり、生を受ける」としていますから、その意味でしょう。
 さて、終わりの偈の前段二句がよく分かりません。
 「多聞」は「よく師の法を聞いて忘れないこと」(『全訳注』)で、「多聞、持戒、禅」は修行・修証を言うのでしょう。「漏尽」は漏尽通(「六神通の一。 煩悩を打ち消して悟りの境地に至っていることを知る超人的能力」・コトバンク)だそうです。まとめてみると、どれほど修行を積んでも「漏尽通」に至り着くのは容易ではない、それは大きな功徳のあることなのだが、本当にそれを信じきるのは難しい、地獄に落ちるのは、そうした不信から仏を謗ることになることからのことであって、それと比べれば「増上慢」如きはさしたることではないのだ、というようなことになりそうな気がしますが、どうでしょうか。
 なお、「四果」は、『全訳注』の注を要約すると以下のようです。
 小乗仏教で、修行によって得られる悟りの位の四段階であって、須陀洹果(三界の見惑を断ち尽くしてはじめて聖者の流類に入ることを得たという段階)・斯陀含果(この果を得れば、もはやもう一度人中に来って涅槃に入るという意)・阿那含(欲界の煩悩を断じ尽くし再びこの欲界に還り来らない)果・阿羅漢果(もはや学ぶべき者なき聖者の境地)。》



天聖広燈録~大修行底の人、還た因果に落つるや無や 1

 この巻は、『全訳注』では第八巻にあります。「深信因果」とは、因果を深く信ずべき事」というような意味でしょうか。

 百丈山大智禅師懐海(エカイ)和尚、凡(オヨ)そ参の次いで、一(ヒト)りの老人有って、常に衆に随って法を聴き、衆退けば老人も亦退く。忽ち一日退かず。
 師遂に問ふ、「面前に立つ者は復是何人(ナンピト)ぞ。」
 老人曰ソレく、
「某甲
(ソレガシ)は是人に非ざるなり。過去迦葉仏の時に於いて、曾(カツ)て此の山に住す。因みに学人問ふ、『大修行底の人、還た因果に落つるや無(イナ)や。』
 某甲他(カレ)に答えて云く、『因果に落ちず。』
 後の五百生(ショウ)、野狐身(ヤコシン)に堕す。今請ふらくは、和尚代わって一転語したまへ、貴(ネガ)ふらくは野狐身を脱せんことを。」
 遂に問ふて曰く、「大修行底の人、還た因果に落つるや無や。」
 師云く、「因果を昧(クラ)まさず。」
 老人 言下(ゴンカ)に於いて大悟し、礼を作して曰く。「某甲(ソレガシ) (スデニ) 野狐身を脱し、山後に住在す。敢へて和尚に告ぐ、乞ふらくは亡僧の事例に依らんことを。」
 

【現代語訳】
 百丈山の大智禅師懐海和尚が説法する時、一人の老人がいつも修行僧の後について法を聴き、終わって修行僧が帰れば老人も帰っていました。ある日、老人は説法が終わっても帰りませんでした。
 そこで師は尋ねました。「私の前に立っている者は誰か。」
 老人は答えました。
「私は人間ではありません。昔、迦葉仏が世に出られた時代に、この百丈山に住持していた者です。
その当時、修行者が私に尋ねました。『仏道を大悟した人は因果の法に落ちるものでしょうか、それとも落ちないものでしょうか。』
 私は彼に答えて、『因果の法に落ちることはない。』と。
 そして私は、後の五百生を野狐の身に堕ちて過ごしました。今日は和尚様にお願いがございます。どうか私に代わってお答えください。私は野狐の身を抜け出したいのです。」
 そこで老人は尋ねました。「仏道を大悟した人は因果の法に落ちるものでしょうか、それとも落ちないものでしょうか。」
 師は答えました。「因果の法をくらますことはない。」と。
 老人は師の言葉を聞いて大悟し、師を礼拝して言いました。
「和尚様のお陰で、私は今野狐の身を抜け出すことができました。その亡骸は山の後ろにあります。あえて和尚様に申し上げます。どうかそれを亡僧の例に倣って葬りください。」と。
 

《次の章まで続く長い引用から始まります。『全訳注』の「開題」によれば、『天聖広燈録』の一節で「いわゆる大修行の公案」なのだそうです。
 また、この巻の主題は「不落因果」と「不昧因果」という公案だと言いますが、ここで早速その言葉が出てきました。意味が分かりませんが、ともかく読んでいきます。
 ここの老人はかつてこの山に住んでいた(おそらく修行僧として)のですが、別のある修行僧から「大修行底の人、還た因果に落つるや無や」と問われて、「不落因果」と答えたために、その姿を野狐に変じられてしまったようです。
 そして今、人間の身に帰りたいと大智禅師に懇願したわけです。
 こういう場合、普通なら、禅師が、それならと言って老人に問いを発し、それに見事に答えることによって、その願いが叶えられる、ということになりそうなところですが、ここはそうではありませんでした。
 ここでは逆に老人の方が先の修行僧の問いをそのまま禅師に投げかけ、禅師が「不昧因果」と答え、それを聞いた老人が「大悟」したことによって、めでたく野狐の身を逃れて、人間の姿に帰った、というのです。
 「不落因果」「不昧因果」とは、どういうことなのか、「不昧因果」と聞いて老人が大悟したのは、どういうことか、など、いろいろな疑問がありますが、引用がもう少し続きますので、一応先に進みます。》

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仏法僧を敬うや否や

「帰依三宝」巻は、『全訳注』では第八巻に、前の「供養諸仏」に続いて載っています。同じように禅師の没後に書写されたものです。
 

 禅苑清規(ゼンネンシンギ)に曰く、「仏法僧を敬うや否や」(一百二十問第一)。
 あきらかにしりぬ、西天東土、仏祖正伝するところは、恭敬(クギョウ)仏法僧なり。帰依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば帰依すべからず。
 この帰依仏法僧の功徳、かならず感応(カンノウ)道交するとき成就するなり。たとひ天上人間地獄鬼畜なりといへども、感応道交すればかならず帰依したてまつるなり。
 すでに帰依したてまつるがごときは、生生世世(ショウショウセセ)、在在処処に増長し、かならず積功(シャック)累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。
 おのづから悪友にひかれ、魔障(マショウ)にあうて、しばらく断善根となり、一闡提(センダイ)となれども、つひには続善根し、その功徳増長するなり。帰依三宝の功徳、つひに不朽なり。
 その帰依三宝とは、まさに浄信をもはらにして、あるひは如来現在世にもあれ、あるひは如来滅後にもあれ、合掌し低頭(テイヅ)して、口にとなへていはく、
「我某甲(ワレソレガシ)、今身(コンジン)より仏身にいたるまで、仏に帰依す。法に帰依す。僧に帰依す。仏に両足の尊に帰依す。法に離欲の尊に帰依す。僧に衆中の尊に帰依す。仏に帰依し竟(オ)わる。法に帰依し竟わる。僧に帰依し竟わる。」
 はるかに仏果菩提をこころざして、かくのごとく僧那を始発(シホツ)するなり。しかあればすなはち、身心(シンジン)いまも刹那刹那に消滅すといへども、法身(ホッシン)  かならず長養して、菩提を成就するなり。
 

【現代語訳】
 禅門の規範である禅苑清規には、「仏、仏の法、仏の僧団を敬っているであろうか。(一百二十問の第一)」とあります。
 このことから明かに知られることは、インドや中国の仏祖の正しく伝えるところの教えは、仏、仏の法、仏の僧団を敬うということです。しかし、仏、仏の法、仏の僧団に帰依しなければそれらを敬うことは出来ないのであり、敬わなければ帰依することは出来ないのです。
 この、仏、法、僧団に帰依する功徳は、必ず仏、法、僧団とその心が相通じる時に成就するのです。たとえ天上界、人間界、地獄界、餓鬼や畜生界の者であっても、その心が仏、法、僧団と相通じれば、必ずその者は帰依し奉るのです。
 すでに仏、法、僧団に帰依し奉っている者は、未来永劫にあらゆる所でその功徳を増長し、功徳を積み重ねて、必ず仏の無上の悟りを成就するのです。
 たまたま悪友に引かれて魔障にあい、暫く善根を断って成仏しない者となっても、遂には善根を積む身となってその功徳を増長するのです。この三宝(仏、仏の法、仏の僧団)に帰依する功徳は、遂に朽ちることがないのです。
 三宝に帰依するとは、まさに清浄な信心を専らにして、或は如来(釈尊)が居られる世であれ、或は如来の滅後であれ、合掌し低頭して次のように口に唱えるのです。
 「私だれそれは、今日より仏身を成就するまで、仏に帰依いたします。仏の法に帰依いたします。仏の僧団に帰依いたします。仏である人間の中の尊き人に帰依いたします。仏の法である欲を離れた尊き人の教えに帰依いたします。仏の僧団である人々の中の尊き人々に帰依いたします。仏に帰依し終ります。仏の法に帰依し終ります。仏の僧団に帰依し終ります。」
  
遠く仏の悟りを志して、このように誓願を起こすのです。そうすれば、この身心は今も刹那刹那に消滅しているけれども、自らの法身(仏身)は必ず長く養われて、仏の悟りを成就することが出来るのです。

 

《まず、三宝に帰依することが仏道の始まりである、という話を、「禅苑清規」の中の一句をもとにして語ります。
 そしてその要点を「帰依仏法僧の功徳、かならず感応道交するとき成就するなり」と言います。
 「感応道交」を『提唱』は「仏の世界とわれわれ普通の人間の世界とが理屈ではなしに通じ合う状態」と言います。「世界」は余計な言葉のような気がしますが、およそそういうことなのでしょう。
 ではそれはどういうことかというと、例えば「香厳撃竹」、あるいは「讃岐の源太夫」(『発心集』第三・四話)のエピソードのようなことを言うのでしょうか。
 なお、「三宝」の三つ目は、普通は「僧」だと思いますが、ここの訳では「仏の僧団」となっていて、ちょっと聞き慣れない気がします。
 ちなみに『提唱』は「僧侶と尼僧と在家の男子と在家の女子と、この四種類の人々によって構成されておる仏道を勉強するための集団」と言っていて、これなら分かりますが、それでもどうして特に「集団」と言う必要があるのか、よく分かりません。
 「恭敬」する対象は、「集団」ではなくて、つねに個人ではないのだろうかと思うのですが、…。》


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若し過去世無くんば~大毘婆沙論

 この巻は、『全訳注』第8巻の最初に載っています。
 構成は、まず経典からの引用があって、禅師がそれに解説を加える、ということが、繰り返されていて、あたかも説法のための準備メモの観があります。
 そこでこの巻については、勝手ながらS『試み』の章分けを変更して、各引用ごとにまとめて、それを一章とさせてもらうことにします。
 禅師が存命で書き継がれたならば、それぞれの引用が相互に脈絡をもって語られたのではないか、などと想像してみます。
  

仏の言(ノタマ)はく、「若し過去世無くんば、応に過去仏無かるべし。若し過去仏無くんば、出家受具無けん。」
 あきらかにしるべし、三世(サンゼ)にかならず諸仏ましますなり。しばらく過去の諸仏におきて、そのはじめありといふことなかれ、そのはじめなしといふことなかれ。もし始終の有無を邪計せば、さらに仏法の習学にあらず。
 過去の諸仏を供養したてまつり、出家し随順したてまつるがごとき、かならず諸仏となるなり。供仏(クブツ)の功徳によりて作仏(サブツ)するなり。
 いまだかつて一仏をも供養したてまつらざる衆生、なにによりてか作仏することあらん。無因作仏あるべからず。
 

【現代語訳】
 仏(釈尊)の言うことには、
「もし過去の世が無ければ、過去の仏も無かったであろうし、もし過去の仏が無ければ、出家受戒も無かったであろう。」と。
 この言葉から明らかに知られることは、三世(過去現在未来)には必ず諸仏が居られるということです。しかし、一先ず過去の諸仏に、諸仏の始めがあると言ってはいけないし、その始めは無いとも言ってはいけません。諸仏の始めと終わりの有無について邪まに推し量ることは、仏法の習学ではないのです。
 過去の諸仏を供養し、出家して随順すれば、必ず諸仏となるのです。仏を供養する功徳によって仏となるのです。
 未だ曾て一人の仏をも供養しなかった衆生(人々)が、どうして仏になることがありましょうか。原因が無くて仏になることなどありえないのです。

 

《第一の引用文です。
 いきなり「若し過去世無くんば、応に過去仏無かるべし」が、あまりに当たり前で、どうしてこういうことを言う必要があるのか、よく分からないように思えますが、後を見ると、「若し過去仏無くんば、出家受具無けん」とあり、出家のためには「過去仏」がいなくてはならないわけで、そういう仏がいたのだ、ということを言っているようです。
 「そのはじめありといふことなかれ、…」は、『徒然草』最終段の「八つになりしとし」の話を考えればいいのではないでしょうか。つまり、「過去の諸仏を供養したてまつり、出家し随順したてまつるがごとき、かならず諸仏となるなり」ということなら、普通、「その…第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」という疑問が生じるであろう、というわけです。
 問われた兼好の父は、「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と苦笑いしたようですが、禅師は、そういうことを問うてはいけない、と言います。問い続けて行くことによって答えに到達しようと考えてはならない、あるところからは、黙って信じればいいのだ、…。
 ここで「供養する」とは、つまり信じることを言うのかも知れません。
 私は、このブログの中で、私なりに真面目に問うたつもりではありますが、幾度も、そういう罰当たりな、許されざる問いを発してきたのではなかったか、という気がします。所詮、仏道の徒ではないのかも知れません。》
 

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