『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

2 聖黙聖説

 祖師西来よりのち、いまにいたるまで、諸善知識おほくこの因縁を挙(コ)して、参学のともがらにしめすに、あるひは年載をかさね、あるひは日月(ジツゲツ)をかさねて、ままに開明し、仏法に信入するものあり。これを外道問仏話と称す。
 しるべし、世尊に聖黙聖説(ショウモクショウセツ)の二種の施説(セセツ)まします。これによりて得入するもの、みな如世間良馬見鞭影而行(ニョセケンリョウメベンエイニギョウ)なり。聖黙聖説にあらざる施説によりて得入するも、またかくのごとし。
 樹祖師曰(イワ)く、「人の為に句を説く、快馬(カイバ)の鞭影を見て、即ち正路(ショウロ)に入るが如し。」
 あらゆる機縁、あるひは生不生(ショウフショウ)の法をきき、三乗一乗の法をきく、しばしば邪路(ジャロ)におもむかんとすれども、鞭影しきりにみゆるがごときは、すなはち正路にいるなり。
 もし師にしたがひ、人にあひぬるがごときは、ところとして説句にあらざることなし、ときとして鞭影をみずといふことなきなり。
 即座に鞭影を見るもの、三阿僧祇(アソウギ)をへて鞭影をみるもの、無量劫(ムリョウコウ)をへて鞭影をみ、正路にいることをうるなり。
 

【現代語訳】
 祖師 達磨が中国に来てから今日に至るまで、多くの正法の師がこの因縁を取り上げて、仏道を学ぶ仲間に示し、ある者は年数を重ねて、又ある者は月日を重ねて悟りを開き、仏法に入信しました。これを外道問仏の話と言います。
 この話から、世尊には聖なる沈黙と聖なる言説という二つの説法があることを知りなさい。これによって悟る者は、皆鞭の影を見て道を行く良馬なのです。聖なる沈黙と聖なる言説以外の説法によって悟る者も、また同様なのです。
 龍樹祖師の言葉に、「人のために教えを説くことは、優れた馬が、鞭の影を見て正しい道を行くようなものである。」とあります。
 世のあらゆる機会因縁の中で、或は仏法の生 不生の教えを聞き、或は三乗(声聞の乗り物、縁覚の乗り物、菩薩の乗り物)一乗(仏の乗り物)の教えを聞けば、たびたび邪道に向かいそうになっても、その教えの鞭の影が頻りに見えて、正しい道を行くようになるのです。
 そして、もし正法の師に会って付き従うならば、場所として説法の言葉でないものはなく、時として教えの鞭の影を見ないということはないのです。
 このように、ただちに鞭の影を見て、或は三阿僧祇という時を経てから鞭の影を見て、或は無量劫という長い時を経てから鞭の影を見て、正しい道に入ることが出来るのです。
 

《まずは概説です。
 元来、釈尊の教え方には、言葉で話して聞かせるやり方と、黙って教えるやり方があった、と言います。
 後に、「聖黙聖説にあらざる施説」というのがあって、全部で三つの教え方があるようです。「聖説」は文字通り、説いて教える、「聖黙」は言葉ではない形で教える、いわば態度で教えるというようなことだろうと思われますが、それと「聖黙聖説にあらざる施説」(これを『提唱』が「態度、行ないをもって教える」としています)とはどう違うのか、よく分かりません。
 将棋の羽生九段の全盛期には、対局中に九段がため息をつくと、相手の人が、自分の指した手が愚かしい手で、一局を汚されたという嘆きのため息ではないかと、不安になった、という逸話がありますが、これは何かを教えようとしての振る舞いではなかったわけで、こういうことを、教えようしての態度を作る「聖黙」と区別して「聖黙聖説にあらざる施説」と言うのかも知れません。
 かの「外道」は「有言を問はず、無言を問はず」ということで問うたのですから、釈尊も「聖黙」や「聖説」で答えたわけではないでしょうから、「聖黙聖説にあらざる施説」だったのかも知れません。
 しかし、ここではそういうことは問題にされず、その「外道」が何かを察して、喜んで去って行った、つまり何らかの教えを受け、答えを得て帰っていったということ自体が問題にされているようです。
 それはあたかも、「快馬の鞭影を見て、即ち正路に入るが如し」である、…。


1 問い

 「四馬」巻は、『全訳注』では第7巻に、前の「三時業」に続いて収められていて、その開題に「馬の調教に四種の方法があることが語られ、仏の教化にも種々の方法があることが説かれている」とあります。
 

 世尊一日(イチジツ)、外道、仏の所(ミモト)に来詣(キタ)りて、仏に問う、「有言(ウゴン)を問はず、無言(ムゴン)を問はず。」
 世尊拠座(ゴザ)、良(ヤ)や久しうしたまふ。
 外道、礼拝し讃歎して云はく、
「善哉(ヨイカナ)世尊、大慈(ダイズ)大悲、我が迷雲を開き、我をして得入(トクニュウ)せしむ。」乃(スナハ)ち作礼(サライ)して去る。
 外道去り已(オワ)って、阿難(アナン)尋(ツ)いで仏に白(モウ)して言(モウ)さく、「外道何の所得を以てか、而(シカ)も得入すと言ひ、称讃して去るや。」
 世尊云(ノタマ)はく、「世間の良馬(リョウメ)の、鞭影(ベンエイ)を見て行くが如し。」

 

【現代語訳】
 ある日、世尊(釈尊)の所に外道がやって来て、世尊に尋ねた。
「言ってはいけません。言わなくてもいけません。どうか言葉を使わずに法を説いてください。」と。
 すると世尊は、その座に着いたまま無言でじっとしていた。
 それを見た外道は、世尊を礼拝し賛嘆して言った。
「世尊、有り難うございます。あなたの大慈大悲のお示しは、私の迷雲を晴らして、私を悟りに導いてくださいました。」そう言うと外道は礼拝して去って行った。
 外道が去ると、阿難はすぐに仏(釈尊)に尋ねた。「あの外道は何を得て、悟ることが出来たと言って称賛したのでしょうか。」
 世尊は答えた、「あの外道は、世の良馬が御者の鞭の影を見て道を行くように、法を悟ったのである。」と。
 

《巻名は「シメ」と読むようです。
 『全訳注』が「この巻そのものについては、いうべきことは極めてすくない。極く短小な一巻であって、かつ内容も簡明である」と言いますが、早速気になることがあります。「有言を問はず、無言を問はず」とはどういう意味か。
 まず、ここの訳はちょっとへんです。訳の本分にない部分「どうか」以下はいらないのではないでしょうか。
 『全訳注』が、次節に出てくる「『聖黙・聖説』の二句に相応ずることになる」と言い、その「聖黙・聖説」に「仏陀の教化の方法として、古来から、聖なる沈黙と聖なる説法とがあると称されている」と注しています。
 つまり、沈黙でもなく説法でもない方法で仏法を説いてください、と言った、ということのようです。
 思うに、「外道」は、釈尊の前に来てただ坐っただけなのではないでしょうか。
 もう一つの疑問は、何故そういう制約付きで答えを求めたのだろうか、ということです。
 ずいぶん失礼な問い方にも思われますが、逆に、この「外道」はこれまでに「聖黙」や「聖説」という方法で説かれたことがあったけれども、それでは理解できなかった、という経験でもあって、あのやり方ではダメなんですが、それでも何とかお教えを受けたい、というような気持ちの表れとでも考えましょうか。
 その時、釈尊はというと、ただ黙って座っていた、すると、外道は「得入」し感嘆して帰って行った、という、様々になんとも釈然としない話ですが、もちろん、以下に禅師によるその解説が縷々語られます。》


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善悪の報に三時あり

 「三時業」巻は、『全訳注』では第七巻にあります。
 『全訳注』は、この後、第八巻までに『正法眼蔵』の十一巻を載せていますが、それらはすべて、衆に示された期日の定かでない巻々で、最後に「辨道話」を置いて、全九十四巻としています。
 そのあたりのいきさつについては、同書各巻の「凡例」に分かりやすく書かれています。
 このサイト『試み』は、全部で二十巻を取り上げていますが、この後の八巻は、すべてその中の巻々です。
 普通に考えれば、補遺とでも位置づけられそうな巻を、このように多く取り上げられたのは、著者老師に何らかの思いがあってのことと思いますが、尋ねるすべがありません。
 

 第十九祖鳩摩羅多(クモラタ)尊者、中天竺国に至る。大士有り、闍夜多(シャヤタ)と名づく。
 問うて曰く、「我が家の父母、素より三宝を信ず。而るに嘗(ムカシ)より疾瘵(シッサイ)に縈(マツ)はれ、凡そ営む所の事皆意の如くならず。
 而るに我が隣家は、久しく旃陀羅(センダラ)の行(ギョウ)を為し、而も身常に勇健にして、作(ナ)す所和合す。
 彼何の幸かある、而も我何の辜(ツミ)かある。」
 尊者曰く、「何ぞ疑ふに足らんや。且(シバラ)く善悪の報に三時あり。
 凡そ人は、但(タダ) 仁は夭(ヨウ)に暴は寿に逆は吉に義は凶なるを見て、便ち因果亡じ罪福虚しと謂(オモ)へり。
 殊(コト)に知らず、影響相随ひて毫釐(ゴウリ)も忒(タガ)ふこと靡(ナ)く、縦ひ百千万劫を経るとも亦磨滅せざることを。」
 時に闍夜多、是の語を聞き已って、頓に所疑を釈(ト)けり。
 

【現代語訳】
 第十九祖鳩摩羅多尊者が中央インド国にやって来た時、闍夜多という名の優れた人物に会いました。
 彼は尊者に尋ねました。「我が家の父母は、平素から三宝(仏と法と僧)を信じ敬っていますが、昔から病気がちで日々の暮らしも皆思うようになりません。
 しかし隣の家は、久しく旃陀羅(インドに於ける漁猟、守獄、屠畜などを生業とした最下位の種族階級)の仕事をしながら常に元気で健康に恵まれ、何事も順調です。
 彼等にどんな幸福の因があり、我々にどんな罪の因があるというのでしょうか。」
 尊者は答えて、「それは何も疑うに足らないことだ。ひとまず善悪の果報には、三時(今生、次生、次生以後の三つの時期)がある。
 一般に人間は、情け深い人が若死にして乱暴者が長生きし、道理に背く者が良い目に会って正直者が災いに会うのを見て、因果の道理無く、罪の報いも福の報いも無いと思うものである。
 因果の法は、物に必ず影や響きが付き従うように、たとえ百千万劫の時を過ぎても磨滅しないことを少しも知らない。」と。
 その時 闍夜多は、この言葉を聞き終わって、すぐにその疑いを解くことが出来ました。
 

《原文は漢文で、『景徳伝燈録』からの引用だそうです。
 「第十九祖」というのは、釈尊の弟子・摩訶迦葉から数えたものです。
 さて、深く「三宝」を信ずる者に必ずしも幸福が訪れず、殺生を生業とする者が健康で穏やかな暮らしをしているが、それは仏の力などないと言うことではないのか、と闍夜多と言う男が鳩摩羅多尊者に問います。
 大変基本的で、かつ現実的な問ですが、鳩摩羅多のようなこういう説法については、私は残念ながらには、闍夜多のように納得することができません。
 教える側に立てば、この問題はこういうふうにしか説けないものかと、残念に思います。
 人は現世での救いを求めて教えを受けるのであって、救い(悟り)は来世にあると言われても、あまりありがたくありません。
 来世に救い(悟り)があるならそれでよしとするのは、それでよしとする自分への誇りによる以外にはないように思います。
 そこで、来世にこそ本来の生があると考えることは、何を意味するのか。
 ここで闍夜多が納得したのは、来世に救いがあるということではなくて、現世においてはその現世の事態を受け入れるしかないということ、だったのではないでしょうか。
 とりあえず来世には何がしかの報いがあるのだと、方便として考えることにして、しかしそれを当てにするのではなく、何はともあれ現実を受け入れて(直視して)生きるしかないのだという覚悟を持った、そう考えることでその覚悟が持てた、ということではないでしょうか。
 その覚悟を持てたということこそが、実は救いそのものだ、…。》


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2 少欲

  一つには少欲。彼(カ)の未得の五欲の法の中に於て、広く追求(ツイグ)せざるを、名づけて少欲と為す。
 仏の言(ノタマ)はく、
「汝等(ナンダチ)比丘、当に知るべし、多欲の人は、多く名利を求むるが故に、苦悩も亦た多し。
 少欲の人は、求むること無く欲無ければ、則ち此の患ひ無し。直爾(タダチ)に少欲すら尚ほ応に修習(シュジュウ)すべし。何(イカ)に況んや少欲の能く諸(モロモロ)の功徳を生ずるをや。
 少欲の人は、則ち諂曲(テンゴク)して以て人の意(ココロ)を求むること無し。亦復た諸根の為に牽(ヒ)かれず。
 少欲を行ずる者は、心則ち坦然(タンネン)として、憂畏(ウイ)する所なし。事に触れて余り有り、常に足らざること無し。少欲有る者は、則ち涅槃有り。是れを少欲と名づく。」
 

【現代語訳】
 第一は少欲(欲が少ないこと)である。まだ手に入れていない五欲(眼 身に由来する欲)のものの中で、それを空しく追求しないことを少欲という。
 仏(釈尊)の言うことには、
「比丘(僧)たちよ、このように知りなさい。欲の多い人は、多くの名利を求めるので、苦悩もまた多いのである。
 しかし欲の少ない人は、求めること無く、欲が無いので、このような患いは無い。だからすぐに少欲を修め学びなさい。まして少欲は多くの功徳を生むのである。
 欲の少ない人は、自分の心を曲げへつらって、人の好意を求めることが無い。また外界の見るものや聞くものなどに心が煩わされない。
 少欲を実行する者は、心が平安で憂い恐れることがない。物事に触れても満ち足りていて、常に不足が無いのである。だから少欲の者には涅槃(煩悩を滅ぼした悟りの境地)がある。これを少欲という。」
 

《大事な心得の第一として、「少欲」を挙げます。
 「必要は発明の母」というのは、『ガリバー旅行記』(スウィフト作)の「馬の国」にある言葉だそうです(エジソンの言葉だと思っていましたが、違うのだそうです・サイト「名言ナビ」)が、ここの「必要」は、「欲求」と言い換えてもさほど違わないでしょう。
 欲求はまた欲望であり、欲望は一つが満たされると、きっとさらに次々に先を求めようとするという性質があります。こうした欲求が西洋においては自然科学を発展させ、人類に文明をもたらしてきたのですが、現代、ついに原子力とプラスチックを作り出して、一方は放射能、一方はマイクロチップというものを作り出し、人間にコントロールできなくなるのではないかと思われる、非自然の災厄を生み出そうとしています。
 一方東洋では、例えばジャイナ教のように極端な禁欲を戒律とする教えまであって(西洋にも同様のものがあるのかもしれませんが)、基本的に欲望というのは好ましくないニュアンスを持って語られる傾向があるように思います。
 弱肉強食が摂理である自然界にあって、すべての生物はおのれの欲望に従って生存を保ってきたわけですが、他のすべての生物がおおむね自然が賦与した本能だけによってその欲望を満たしたのに対して、ホモ・サピエンスだけはその欲望を満たす手段が「知力」であったということで、自らを霊長類と呼ぶほどに、生物の中で君臨してくることができたのでした。
 しかしそれはまた、一方で「本能が壊れた動物」でもあるということで、自然界が自然の摂理による予定調和の世界であったところにまったくの人工物を生み出し持ち込んでその予定調和を壊し、また、精神世界においても、自らの死さえも自分の手で判断しなければならない世界を作り出すなど、知力がある故の、生きる上での苦悩・煩悩を生みました。
 「どんなに意地をはっても、人はたった独りでは生きてゆけない。だが、人の夢や志は、誰に身替わりしてもらうわけにもいかない。」というのは『孤立無援の思想』(高橋和巳)の言葉ですが、人間というのは、どういうわけか、そういう根本的矛盾を、様々な面で内蔵されて生じてきた生物であるようです。
 思えば、涅槃を求めるということもまた、一輪の花や一匹のミミズから見れば、「夢や志」であり、つまり欲望だと言えるのではないでしょうか。彼らはそんなことは微塵も求めずに生き、そして死んでいきます。》


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1 大人覚

「八大人覚」巻は、『全訳注』では第七巻にあります。禅師による制作年の特定できる最後の巻で、同書では以下に十一巻が続くのですが、すべて懐弉が清書した年が分かるだけのようです。
 「この巻が制作されたのは、建長五年(一二五三)正月六日、…(禅師は)その年の八月二十八日、京都においてなくなられた」(『全訳注』)のであって、巻末の懐弉の言葉(『全訳注』には、その原文はなく、巻頭の「開題」に現代語訳だけが載っています)によれば、この巻が「先師最後の教勅」になった、という巻なのだそうです。
 

1 諸仏は是れ大人(ダイニン)なり、大人の覚知する所なれば、所以(ユエ)に八大人覚と称す。此の法を覚知するを、涅槃の因と為す。我が本師釈迦牟尼仏、入涅槃(ニュウネハン)したまひし夜の最後の所説なり。
 

【現代語訳】
 諸仏は大人(優れた徳を備えた人)である。この大人が自覚する八つの法なので八大人覚という。この法を自覚することが、涅槃(煩悩を滅ぼした悟りの境地)の因なのである。これは我々の宗祖、釈尊が入滅された夜の、最後の説法である。
 

《この巻は終わりの部分を除いて、原文は漢文です。その全体が『仏垂般涅槃略説教誨経』から引かれたものだそうで、終わりに禅師の言葉があり、最後に懐弉の奥書きが添えられています。
 以下、引用になりますが、箇条書き的に八つの項目になっていますので、読みやすくするために、この巻については、章立てを、使わせて頂いているS『試み』から離れて、項目ごとに一章とさせてもらいます。
 先の経の別名は「仏遺教経」と言って、釈迦の「入涅槃したまひし夜の最後の所説」なのだそうで、禅師としてもやはり意識されていたことなのでしょうか。
 なお、S『試み』では、普通、禅師の言葉は敬体で訳されていますが、ここは常体になっています。》


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