『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

入法の最初に受戒あり

西天東地(サイテントウチ)、仏祖正伝しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざれば、いまだ諸仏の弟子にあらず、祖師の児孫にあらざるなり。離過防非(リカボウヒ)を参禅問道とせるがゆゑなり。
 戒律爲先(イセン)の言、すでにまさしく正法眼蔵なり。成仏作祖(サソ)、かならず正法眼蔵を伝持するによりて、正法眼蔵を正伝する祖師、かならず仏戒を受持するなり。仏戒を受持せざる仏祖、あるべからざるなり。
 あるいは如来にしたがひたてまつりてこれを受持し、あるいは仏弟子にしたがひてこれを受持す。みなこれ命脈稟受(ボンジュ)せるところなり。
 いま仏仏祖祖 正伝するところの仏戒、ただ嵩嶽曩祖(スウガクノウソ)まさしく伝来し、震旦五伝して曹谿高祖にいたれり。青原南嶽等の正伝、いまにつたはれりといへども、杜撰の長老等、かつてしらざるもあり。もともあはれむべし。
 いはゆる応受菩薩戒、此入法之漸也(シニュウホウシゼンヤ)、これすなはち参学のしるべきところなり。その応受菩薩戒の儀、ひさしく仏祖の堂奥(ドウオウ)に参学するものかならず正伝す、疎怠のともがらのうるところにあらず。
 

【現代語訳】
 インドや中国など仏祖が仏法を正しく相伝して来たところでは、必ず仏法に入門する最初に受戒があります。戒を受けなければ諸仏の弟子ではなく、祖師の児孫でもありません。過ちを離れ非を防ぐことが、禅を学び仏道を学ぶことであるからです。
 禅苑清規の「先ず戒律を守ること」という言葉は、まさしく正法眼蔵(仏法の真髄)なのです。仏となり祖師となる者は、必ず正法眼蔵を相伝し護持するので、正法眼蔵を正しく相伝している祖師は、必ず仏の戒を受けて護持しているのです。仏戒を護持していない仏祖は、ありえないのです。
 ある人は釈尊に従ってこの仏戒を受けて護持し、またある人は釈尊の弟子に従って仏戒を受けて護持しました。このようにして、皆仏道の命脈を受けて相承したのです。
 現在、仏や祖師方が正しく相伝するところの仏戒は、ただ嵩山の達磨大師一人によって伝来されたものであり、その後、中国で五代を経て曹谿の慧能禅師に至り、そして青原の行思禅師や南嶽の懐譲禅師などが受け継いで今に伝えられているのですが、真実の仏法を知らぬ長老などは、このことをまったく知らない者もいます。本当に哀れなことです。
 いわゆる禅苑清規の「菩薩戒を受けなさい、これは仏法に入る始めである。」という言葉は、仏法を学ぶ者が知っておくべきことです。その菩薩戒を受ける作法は、久しく仏祖の堂奥に学んだ者であれば、必ず正しく相伝しているものです。これは仏法を疎かにする者の得るところではありません。
 

《全ては受戒からであるという禅師の信念が語られます。
 特に目新しい発言ではありませんが、禅師の強い思いが感じられます。ちょっと多く語りすぎのような気もしますが、…。
 この受戒と、さらに印可ということがあるために、仏道者は必ず師に付かなければならない、ということが生じるのでしょう。》


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比丘の不是、三種 ~1

 この比丘を称して四禅比丘といふ、または無聞(ムモン)比丘と称す。四禅をえたるを四果と僻計(ヘキケイ)せることをいましめ、また謗仏(ボウブツ)の邪見をいましむ。人天大会(ニンデンダイエ)みなしれり。
 如来在世より今日にいたるまで、西天(サイテン)東地、ともに是(ゼ)にあらざるを是と執せるをいましむとして、四禅をえて四果とおもふがごとしとあざける。
 この比丘の不是(フゼ)、しばらく略して挙(コ)するに三種あり。
 第一には、みづから四禅と四果とを分別(フンベツ)するにおよばざる無聞(ムモン)の身ながら、いたづらに師をはなれて、むなしく阿蘭若(アランニャ)に独処す。さひはひにこれ如来在世なり、つねに仏所に詣(ケイ)して、常恆(ジョウゴウ)に見仏聞法(モンポウ)せば、かくのごとくのあやまりあるべからず。
 しかあるに、阿蘭若に独処して、仏所に詣せず、つねに見仏聞法せざるによりてかくのごとし。たとひ仏所に詣せずといふとも、諸大阿羅漢の処にいたりて、教訓を請(ショウ)すべし。いたづらに独処する、増上慢のあやまりなり。
 

【現代語訳】
 この比丘(出家)を名付けて四禅比丘と言い、又は無聞比丘(教えを聞かない比丘)と呼んでいます。釈尊は、四禅(四つの禅定)を得たことで、四果(四つの聖者の悟り)を得たと誤って考えることを戒め、又 仏を謗る邪念を戒めています。このことは、釈尊の人間界天上界の大法会の人々は皆知っています。
 釈尊が世に在りし時から今日に至るまで、インドや中国に於て、正しからざることを正しいと執する人を戒める立場から、「この比丘は四禅を得て四果を得たと思ったようだ。」と嘲笑しているのです。
 この比丘の誤りを略説すれば三つあります。
 第一は、自ら四禅と四果の違いを判断出来ない不勉強の身でありながら、無益にも師から離れて、空しく閑静な場所に一人住んでいたことです。幸いにも釈尊が世に居られたのですから、常に釈尊の所に参って、常々に法を聞いていれば、このような誤りはなかったのです。
 それなのに、閑静な場所に一人住んで釈尊の所に参らず、常に法を聞かないのでこのようになったのです。たとえ釈尊の所に参らずとも、多くの優れた阿羅漢(仏弟子最高の聖者)の所に行って教えを請うべきです。教えを聞かずに無益に一人で住んでいることは、慢心の誤りなのです。
 

《前章で、この比丘は二つの罪を犯したと言いましたが、禅師の考えでは三つであるようです。
 その第一は、「無聞の身ながら、いたづらに師をはなれて、むなしく阿蘭若に独処」したことが挙げられました。
 師に付かないことが、すでに罪とされるわけで、「独処」(独学といってもよさそうです)は今日ではむしろ努力家、または環境に恵まれない中での熱心な篤学家として評価されることの方が多いと思いますが、ここでは独善的な増上慢として否定されます。
 「去年今年貫く棒のごときもの」ではありませんが、仏法は師から正法をまっすぐに受け継いでこその道であることを思えば、なるほどと思われます。》


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天聖広燈録~2

師維那(イジョウ)をして白椎(ビャクツイ)して衆に告げしめて云く、「食後(ジキゴ)に亡僧を送らん」と。大衆(ダイシュ)言議(ゴンギ)す、「一衆皆安し、涅槃堂に又病人無し、何が故に是の如くなる」と。
 食後に只師の衆を領し、山後の巌下に至って、杖を以て一つの死野狐を指し出(イダ)すを見る。乃ち法に依って火葬す。
 師晩に至って上堂し、前の因縁を挙(コ)す。
 黄檗便ち問う、
「古人錯(アヤマ)って一転語を祗対(シタイ)して、五百生(ショウ) 野狐身に堕す。転転錯らずんば合(マサ)に箇の什麽(ナニ)とか作るべき。」
 師云く、「近前(キンゼン)し来れ、儞(ナンジ)が与(タメ)に道(イ)うべし。」
 檗(バク)遂に近前して師に一掌を与う。
 師手を拍って笑て云く、「将に謂(オモ)へり、胡(コ)の鬚は赤きと、更に赤き鬚の胡有り。」
 

【現代語訳】
 そこで師は維那に白槌させて、「食後に僧の葬儀をする。」と僧衆に告げました。僧衆はそれを聞いて互いに話しました。「この寺の衆は皆安らかであるし、涅槃堂(病室)に病人はいない。なぜ葬儀をするのだろう。」と。
 食後に師は衆を引き連れて、山の後ろの岩下に行って、杖で一匹の野狐の死骸を指し出すのを衆は見ました。そこで亡僧の作法に従って火葬しました。
 師は晩になって説法し、今日の葬儀の因縁を取り上げました。
 そこで黄檗は師に尋ねました。
「古人は誤って答えて、五百生もの間野狐の身に堕ちたそうですが、誤らなければ、どんなものになりましたか。」
 師は言いました。「近くに来なさい、おまえに話そう。」
 黄檗はそばに近づくと、師をぴしゃりと平手で打ちました。
 すると師は手を打って笑いながら言いました。「外国人の鬚は赤いと思っていたが、更に赤い鬚の外国人もいるようだ。」
 

《ここまでが、エピソードです。
 「白槌」は「槌砧(ついちん)と呼ばれる法具の槌を砧に打ち付けて鳴らすこと(サイト「つらつら日暮らしWiki」)
 ここの前段は、さもあろうという話の流れですが、終わりの部分は、師を平手で打った話と言い、赤ひげの話と言い、久々にう~んとうなりたくなる禅問答です。
 『提唱』によれば、師を打った話は、もともと、大智が黄檗を呼び寄せたのが「理屈を言うな」と一発食らわそうとしたからだったのを、黄檗がそれと察して、自分の方から先に師を打ったのだと言います。
 確かにこの野狐の話は「錯って一転語を祗対」したからこのテーマのエピソードになったのであって、「転転錯らずんば合に箇の什麽とか作るべき」という問いは、全く別の問題だと言えそうですから、「理屈を言うな」という答えになるのも理解できるような気がします。そうだとして、すると黄檗が師を打ったというのは、「理屈を言うな」に対してどういう返事をしたことになるのでしょうか。
 『提唱』は、さらに次の大智の言葉について、「胡鬚赤」は帰納法で「赤鬚胡」は演繹法だとして、黄檗が師を打ったのが「胡鬚赤」だと言い、「黄檗禅師は個別的に自分が師匠に近づいていったら平手打ちを受けるかも知れないと言うことを承知したけれども、仏道の理論というものは、そういう個別的な事実だけではなしに、もっと基本的な原則もあるんだと、そういう意味」だと言いますが、よく分かりません。
 そもそもこの大智の態度と言葉は、感心し納得した態度であって、「もっと基本的な原則もあるんだ」とものを教える言動ではないように思います。
 つまり、大智は黄檗に打たれる前は「胡鬚赤」と思っていたが、打たれたことによって「赤鬚胡」と分かったと言っているのだと読むのが普通ではないでしょうか。
 では結局どういうエピソードなのかというと、よく分からないのですが、少なくとも、黄檗は大智に呼び寄せられたことによって、一瞬にして大智の思いを理解して自分の問いが理屈に過ぎないと納得し、同時に野狐の話の意味も理解し、したがって仏法のなんたるかをも気付いて(つまり悟りをひらいて)、それを大智に知らせるために、あなたはこうしたいのだろうと大智をひっぱたき、大智は、おお、よくぞ分かったなと、「手を拍って笑」ったのではないか。
 「胡鬚赤」「赤鬚胡」は、これまで「胡人の鬚はみな赤い」と思っていたが、そうではなくて「赤い鬚の胡人がいるというだけのことだ」と分かった、という意味かと考えてみます。いずれにしても黄檗を褒めたのでしょうから、それを前提に、次のように考えたらどうでしょうか。
 「胡」は「えびす」、未開の地の人です。弟子たち一同を、まだ悟りを得ない者(赤鬚)ばかりだと思っていたが、中にはお前のように悟りを得た者(赤くない鬚)がいて、そのまわりにまだ悟りを得ない者がいるということだったのか、…。
 以下の禅師の解説を読むことにします。》


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帰依と三宝

 いはゆる帰依とは、帰は帰投なり、依は依伏(エブク)なり。このゆゑに帰依といふ。帰投の相は、たとへば子の父に帰するがごとし、依伏は、たとへば民の王に依(エ)するがごとし。いはゆる救済(グサイ)の言(ゴン)なり。
 仏はこれ大師なるがゆゑに帰依す、法は良薬なるがゆゑに帰依す、僧は勝友なるがゆゑに帰依す。
 問ふ、「何が故にか偏(ヒトヘ)に此の三に帰するや。」
 答ふ、「此の三種は、畢竟帰処なるを以て、能く衆生をして生死(ショウジ)を出離し、大菩提を証せしむるが故に帰す。此(コノ)三、畢竟不可思議功徳なり。」
 仏は西天には仏陀耶と称す、震旦(シンタン)には覚と翻す。無上正等覚なり。
 法は西天には達磨と称す、また曇無(ドンム)と称す。梵音(ボンノン)の不同なり。震旦には法と翻す。一切の善悪無記の法、ともに法と称すといへども、いま三宝のなかの帰依するところの法は、軌則の法なり。
 僧は西天には僧伽(ソウギャ)と称す、震旦には和合衆(ワゴウシュ)と翻す。かくのごとく称讃しきたれり。
 

【現代語訳】
 いわゆる帰依とは、帰は帰投(身心を投げ出してつき従うこと)であり、依は依伏(たよって従うこと)です。このために帰依というのです。帰投の姿は、例えば子が父につき従うようであり、依伏は民衆が国王に従うようなものです。これはいわゆる救済の言葉なのです。
 仏は大いなる師であるから帰依するのです、仏の法は煩悩を癒やす良薬であるから帰依するのです、仏の僧団は優れた友であるから帰依するのです。
 問う、「なぜひたすらに、この三種に帰依するのですか。」
 答え、「この三種は、要するに人々の帰着する所であり、よく人々の生死輪廻を解き放ち、大いなる悟りを得させるから帰依するのです。この三種には、つまり不可思議な功徳があるのです。」
 仏のことをインドではブッダヤと呼び、中国では覚(覚者)と翻訳しています。覚は無上正等覚であり、この上ない正しい悟りの意です。
 法のことをインドではダルマと呼び、またドンムと呼んでいます。これは梵語(インドの言語)の音の不同によります。これを中国では法と翻訳しています。すべての善、悪、無記(善でも悪でもない)の法を、共に法と呼んでいますが、今三宝(仏、法、僧団)の中の帰依するところの法とは規則の法です。
 僧団は、インドではソウギャと呼び、中国では和合衆と翻訳しています。インドや中国では、このように三宝を称賛してきたのです。
 

《続いて、「帰依」と「三宝」という二つの言葉の禅師による解説です。
 まず、「帰依」は、「帰投」と「依伏」であり、子が父に「帰する」ようにすることであり、民が王に「依する」ようにする、つまり、信じて従い、権威を認めて従うことであって、それをミックスしたのが、「帰依」するということだ、ということでしょうか。
 次に「三宝」の解説です。
 「仏はこれ大師」とは、私たちに目指すべき行く手、目標を示してくれるもの、「法は良薬」とは、そこへ赴く行き方を示す、道中において修正を助けてくれるもの、「僧は勝友」とは、その道中を同行して励ましてくれるもの、というような意味と考えるといいでしょうか。
 というわけで、「此の三種は畢竟帰処」、人の行き着くべき処であって、「不可思議功徳なり」、つまりは無限の功徳をもたらすものである、…。
 ちなみに、この問答は原文が漢文で、引用のようですが、「此三、畢竟不可思議功徳なり」は和文で、『全訳注』は、ここを引用に含めず、禅師の言葉として扱っています。》


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2 仏本行集経~2

 このほか、そこばくの諸仏を供養しまします。転輪聖王身としては、かならず四天下(シテンゲ)を統領すべし。供養諸仏の具、まことに豊饒なるべし。
   もし大転輪王ならば、三千界に王なるべし。そのときの供仏(クブツ)、いまの凡慮はかるべからず。ほとけときましますとも、解了(ゲリョウ)することえがたからん。
 

【現代語訳】
 釈尊は昔、この他にも多くの諸仏を供養されました。時に転輪聖王(偉大な統治者)であれば、きっと全世界を統治していて、諸仏を供養する供物は実に豊かであったことでしょう。
 もし大転輪王であれば宇宙の王であり、その時の仏の供養は、今の凡人の思慮では計り知ることが出来ません。たとえ仏が説いても理解し難いことでしょう。
 

《これはどういうことでしょうか。

前節のエピソードから、私たちの関心は当然「時に彼の諸仏、我に記を与へず」ということの理由に向かうのですが、そのことには触れられず、ただ「(釈尊の)供養諸仏の具、まことに豊饒」であったことが語られただけで終わり、次の章は別の話になってしまいます。
 釈尊はこのように諸仏に対して大変な布施をして供養したのだった、と禅師は大きく評価していることになりそうですが、先の「行持下」巻第三十六章には、如浄が王子からの大枚の布施を厳しく断ったことを「浙東浙西の道俗、おほく讃歎す」と語られています。あの王子は仏道への造詣が未熟だったようで、だから如浄は断ったのだということになっていて、それはそれで理解するとしても、ここの釈尊はそういうことはないわけですから、諸仏はその布施を受け取ってもいいのだ(何も書かれていないところを見ると、受け取ったのでしょう)ということになりそうですが、そうなのでしょうか。
 そうだとして、ではなぜ「時に彼の諸仏、我に記を与へず」、諸仏は釈尊に仏をなることを許さなかったのでしょうか。
 どうもよく分かりません。まだ、草稿、メモの範囲である所以でしょうか。》

  都合により、明日は休載します。


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