『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

2 諸山園苑帰依

 世尊 (ノタマ)はく、
「衆人所逼(ショヒツ)を怖れて、多く諸山園苑(オンエン) 及び叢林孤樹制多(セイタ)等に帰依す。此の帰依は勝(ショウ)に非ず、此の帰依は尊に非ず。此の帰依に因りては、能く衆苦を解脱せず。
 諸の仏に帰依し、及び法僧に帰依すること有るは、四聖諦(シショウタイ)の中に於いて、恆(ツネ)に慧を以て観察し、苦を知り、苦の集を知り、永く衆苦(シュク)を超えんことを知り、八支(ハッシ)の聖道(ショウドウ)、安穏の涅槃に趣くと知る。
 此の帰依は最勝なり、此の帰依は最尊なり。必ず此の帰依に因りて、能く衆苦を解脱せん。」
 世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼(ショヒツ)をおそれて、山神(サンジン)鬼神(キジン)等に帰依し、あるいは外道の制多に帰依することなかれ。かれはその帰依によりて衆苦(シュク)を解脱することなし。
 

【現代語訳】
 世尊(釈尊)は次のように言われました。
「人々は窮迫することを怖れて、多くの人が山々や庭園、林、一樹、廟などの神に帰依している。だがこの帰依は勝れたものでも尊いものでもない。この帰依によっては、多くの苦を解脱することはできない。
 しかし諸人が仏に帰依し、仏の法や僧団に帰依するならば、その四聖諦(苦、集、滅、道の四つの真理)の教えの中で、常に智慧によって世間を観察して、その苦を知り、苦の原因を知り、永く諸々の苦を離れることを知り、そして八つの聖道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)によって、安穏の涅槃(仏の悟り)に赴くことを知るであろう。
 この帰依は最も勝れ、最も尊いものである。必ずこの帰依によって、多くの苦を解脱することが出来るのである。」と。
 このように 世尊(釈尊)は、すべての人々のために教え示されました。ですから 世の人々は、徒に窮迫することを怖れて山神や鬼神等に帰依したり、外道(仏教以外の教え)を祭る廟などに帰依してはいけません。彼は、その帰依によって諸苦を解脱することはないのです。
 

《ここは、たとえば自然信仰を越えるものとしての帰依三宝を説いているようです。「諸山園苑及び叢林孤樹制多」のうち、「制多」を除くすべては自然のものです。
 山や野原、林、木々といった自然のものに神が宿るというの、何やら日本風の考え方のようですが、古代の人間世界ではどこにでもあった ものなのでしょう。
 そして、このように改めて強調されると、この仏法は、そういう従来の古代信仰を越えた、新しい教えなのだと言っているようにも見えます。
 平安末期に一般的であったらしい、浄土信仰、念仏思想という「弥陀の本願」にひとえにすがる考え方ではなく、坐禅し供養し日常生活を行ずることが涅槃の世界なのだとする考え方は、当時の日本にあっては目新しい新興宗教であって、禅師には、その先達としての強い自負があったらしいことは、『辨道話』においても感じられたことでした。》


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1 法華経

 かくのごとくの三宝に帰依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三宝の名字(ミョウジ)なほききたてまつらざるなり。いかにいはんや帰依したてまつることをえんや。
 法華経に曰く、
「是の諸の罪の衆生は、悪業(アクゴウ)の因縁を以て、阿僧祇劫(アソウギコウ)を過ぐれども、三宝の名(ミナ)を聞かず。」
 法華経は、諸仏如来一大事の因縁なり。大師釈尊所説の諸経のなかには、法華経これ大王なり、大師なり。余経余法は、みなこれ法華経の臣民(シンミン)なり、眷属なり。
 法華経の所説、これまことなり。余経中の所説、みな方便を帯せり、ほとけの本意にあらず。余経中の説をきたして、法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。
 法華の功徳力(クドクリキ)をかうぶらざれば、余経あるべからず。余経はみな法華に帰投したてまつらんことをまつなり。この法華経のなかに、いまの説まします。しるべし、三宝の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。
 

【現代語訳】
 このような三宝に帰依し奉るのです。もし福うすく徳の少ない人間であれば、この三宝の名称すら聞き奉ることがないのです。まして帰依し奉ることなど出来ましょうか。
 法華経には次のように説かれています。
「この罪多き人々は、悪しき行いのために、無量の時を経ても、三宝(仏陀、仏法、僧団)の名を聞くことがない。」と。
 法華経は、諸仏如来が世に出現した大切な因縁を説いた経典です。大師釈尊の説いた諸経の中では、法華経は大王であり大師なのです。その他の経典その他の教えは、皆法華経に従う臣下であり家族なのです。
 法華経に説かれている教えは真実です。他経の中に説かれている教えは、皆方便を帯びていて、釈尊の本意ではありません。ですから、他経の中の教説によって、法華経を比較して論ずることは本来逆なのです。
 法華経の功徳力を受けなければ、他の経は存在しなかったのです。他の経は、皆法華経に従うことを待ち望んでいるのです。この法華経の中に、先ほどの教えが説かれています。これによって、三宝の功徳は、まさに最尊であり最上であることを知りなさい。
 

《禅師の解説です。
 「法華経は、諸仏如来 一大事の因縁」であって、こうした三宝に帰依すべしということは、その法華経に書かれているのだから、「三宝の功徳、まさに最尊…、最上」であること間違いなし、…。
 昔、東京で道を歩いていたら、呼び止められて某仏教系新興宗教に誘われた事がありました。ついて行って話を聞いたのですが、私が曹洞宗の寺の生まれだと話すと、その人が、釈迦が最後に説いた教えは法華経で、したがってそれが釈迦の到達点であり、曹洞宗の言う坐禅はそこに至る過程に過ぎなかったのだ、だから坐禅を言う曹洞宗よりも自分たちの教えの方が正しいのだ、というような話をしたことを思い出します。
 そのことはそれだけで私は帰ったのですが、そういえば、今でも、法華経と坐禅ということは、どう関わるのだろうか、という関心が残っています。
 法華経はいわば到達点で、そこに至る方法論が坐禅だというふうに、一応は言えるのでしょうが、その方法論・過程こそが実はそのまま到達点だというのが、いわゆる禅の教えの発見したことだ、と言っていいのではないでしょうか。法華経を読まないままでの話で、何とも、…。


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2 「俱舎論」巻十八~2

 おほよそ三大阿僧祇劫の供養諸仏、はじめ身命(シンミョウ)より、国城妻子、七宝男女(ナンニョ)等、さらにをしむところなし。凡慮のおよぶところにあらず。
 あるいは黄金の粟(ゾク)を白金(ハクゴン)の埦(ワン)にもりみて、あるいは七宝の粟を金銀(コンゴン)の埦にもりみてて供養したてまつる。
 あるいは小豆(ショウズ)、あるいは水陸の華、あるいは栴檀(センダン)沈水香(ジンスイコウ)等を供養したてまつり、あるいは五茎(ゴキョウ)の青蓮華(ショウレンゲ)を、五百の金銭をもて買取て、燃燈仏を供養したてまつりまします。あるいは鹿皮衣(ロクヒエ)、これを供養したてまつる。
 おほよそ供仏は、諸仏の要枢にましますべきを供養したてまつるにあらず、いそぎわがいのちの存せる光陰を、むなしくすごさず供養したてまつるなり。
 たとひ金銀なりとも、ほとけの御ため、なにの益かあらん。たとひ香華なりとも、またほとけの御ため、なにの益かあらん。
 しかあれども、納受せさせたまふは、衆生をして功徳を増長せしめんための大慈大悲なり。
 

【現代語訳】
 釈尊が修めた、およそ三大阿僧祇劫(菩薩が仏となるまでの三つの無量の修行期間)に亘る諸仏の供養は、身命を始めに、国や城、妻子、七種の珍宝、召使いの男女などをも、決して惜しまないものでした。それはとても凡人の考え及ぶところではありません。
 ある時は金の粟を銀の器に盛り上げて供養し、ある時は七種の宝石の粟を金銀の器に盛り上げて供養されました。
 又ある時は小豆を供養し、ある時は水陸の花を供養し、ある時は栴檀香や沈水香などを供養されました。ある時には五本の青い蓮華を五百の金銭で買い取って燃燈仏に供養されました。又ある時は鹿の皮衣を供養されました。
 およそ仏の供養は、諸仏がきっと重要にしておられるであろうことを供養申し上げるのではありません。急いで自分の命のある光陰(月日)を、空しく過ごさずに供養申し上げるのです。
 たとえ金銀であっても、仏の為には何の益がありましょうか。たとえ香や花であっても、又、仏の為には何の益がありましょうか。
 そうではありますが、これを仏が受け入れなさるのは、衆生(人々)の功徳を増長させるための大慈悲心からなのです。
 

《さて、禅師の解説(というか、補足)です。
 大筋は釈尊が過去の仏を供養したという話で、大きくは変わりませんが、部分的にはさまざまに驚く話があります。
 まずはなんと言っても、「国城妻子、七宝男女等、さらにをしむところなし」です。これは、全て仏の供物として差し出したということなのでしょうか。こういう話は一般の王侯の話としてはよくある話だと思いますが、釈尊の供養として聞くと、驚きです。ここの「妻子」や「男女」は、いずれ奴隷になるのでしょうが、仏が救うべき「衆生」の中に入っていないのか、どう考えるのでしょうか。似たような意味で、後の「鹿皮衣」もそうで、本当に鹿の皮なら、いかがなものか、と思います。
 もう一つは終わりの部分、その供養として差し出されたものは、いずれも仏にとっては「なにの益かあらん」というものだった、ということで、仏はそれをひとえに「衆生をして功徳を増長せしめんため」に「納受」するという、これはなるほどという驚きです。
 ということは、そこではいったんは「納受」されるものの、それらはその当の仏のものとして扱われる(消費される)のではなくて、別のところに行くのでしょうか。
 実際には、多くは寺院の荘厳のために使われたのでしょうか。趣旨に反するような気もしますし、そのように、「益」のないことを承知で供養物として差し出された物のことを思うと、切ないような気がします。
 いや、それは屁理屈、小理屈、あるいは青臭い感傷であって、一切は出家という絶対的価値のため、ということなのかも知れません。》


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1 「俱舎論」巻十八~1

 「釈迦菩薩、初阿僧企耶(ショアソウギヤ)に、七万五千の仏に逢事供養したてまつる。最初を釈迦牟尼と名づけ、最後を宝髻(ホウケイ)と名づく。
 第二阿僧企耶に、七万六千の仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち宝髻、最後を燃燈と名づく。
 第三阿僧企耶に、七万七千の仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち燃燈、最後を勝観と名づく。
 相異熟業(ソウイジュクゴウ)を修(シュ)する九十一劫の中に於て、六仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち勝観、最後を迦葉波(カショウハ)と名づく。」
 

【現代語訳】
 「釈迦菩薩(過去の釈尊)は、初めの阿僧企耶(菩薩が修行する三つの無数の時の第一)に、七万五千の仏にお会いして仕え供養しました。その最初の仏は釈迦牟尼という名であり、最後の仏は宝髻という名でした。
 第二の阿僧企耶には、七万六千の仏にお会いして仕え供養しました。最初の仏は宝髻という名であり、最後の仏は燃燈という名でした。
 第三の阿僧企耶には、七万七千の仏にお会いして仕え供養しました。最初の仏は燃燈という名であり、最後の仏は勝観という名でした。
 その後、釈迦菩薩は、因果の法を修する九十一劫(劫は非常に長い時)の中で、六仏に会われて仕え供養されました。最初の仏の名は勝観といい、最後の仏は迦葉波という名でした。」
 

《新しい引用で、第四番目、「俱舎論」巻十八からのものだそうです(『全訳注』)。同書が「さらに、釈尊の供養諸仏のことが説かれる」と言いますから、ここの訳に「過去の釈尊」とあるのは、前章で語られた「一万劫」の間の頃のことでしょうか。あるいは、それ以前ということもあるのでしょうか。
 ちなみに「阿僧企耶」は、阿僧祗 梵語アサンキヤの音写。阿僧企耶とも。数の単位。無数、無央数、 不可数量。十の五十九乗。阿僧祗劫といえば無数の劫の意味です。劫が無数の意、無数の無数倍でとても数えきれない」(サイト「一日一生 仏陀のことば」。それが、第一、第二,第三、とあるというわけです。
 そこでも釈尊は、数限りない仏に仕え供養しました。
 終わり近くの「相異熟業」は、相・異熟業なのだそうで(『提唱』)で、「相」は結果となって現れる姿・形、異熟業は、その現れた姿・形は様々に異なった原因によって生じる、という考え方のようです。
 で、釈尊はそういう因果の不思議を長い年月にわたって学んでいる中で、六人の仏に会い、その仏たちを供養してきた、ということのようです。
 そのことについて、以下に禅師の解説があります。》


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解説~1

世尊すでに酔婆羅門に出家受戒を聴許し、得道最初の下種(ゲシュ)とせしめまします。あきらかにしりぬ、むかしよりいまだ出家の功徳なからん衆生、ながく仏果菩提うべからず。
 この婆羅門、わづかに酔酒のゆゑに、しばらく微心をおこして剃頭受戒し、比丘となれり。酔酒さめざるあいだ、いくばくにあらざれども、この功徳を保護して、得道の善根を増長すべきむね、これ世尊誠諦(ジョウタイ)の金言(キンゴン)なり、如来出世の本懐なり。一切衆生あきらかに已今当(イコントウ)のなかに、信受奉行(ブギョウ)したてまつるべし。
 まことにその発心(ホッシン)得道、さだめて刹那よりするものなり。この婆羅門、しばらくの出家の功徳なほかくのごとし。いかにいはんや、いま人間一生の寿者命者(ミョウシャ)をめぐらして出家受戒せん功徳、さらに酔婆羅門よりも劣ならめやは。
 

【現代語訳】
 ここに説かれているように、世尊は酔った婆羅門の出家の願いを聞き入れて、仏道を悟るための最初の因縁を授けたのです。このことから明らかに理解されることは、過去に於いて、まだ出家の功徳を受けたことが無い人々は、長い間仏の悟りを得ることが無いということです。
 この婆羅門は酒に酔うことで、やっとほんの少しだけ出家の心を起こし、髪を剃り落して僧になりました。酔いの醒めない間は、いくらもなかったけれども、この婆羅門の出家の功徳を保護して、仏道を悟る善根を増長すべきであるという趣旨は、世尊の真実の言葉であり、世尊が世に出られた本懐でもあるのです。ですから、このことをすべての人々ははっきりと心得て、過去現在未来にわたって信じ、実行して行きなさい。
 実に、仏道を発心し悟ることは、必ず刹那からするものです。この婆羅門の少しの間の出家の功徳でさえ、このように大きいのです。まして今、人間一生の寿命をめぐらして出家受戒した功徳は、決して酒に酔った婆羅門より劣ることはないでしょう。
 

《さて、この巻最初の禅師の言葉です。最初のところの「あきらかにしりぬ」がよく解りません。酔漢が戯れに言った程度のささやかな出家の志でも、釈尊には聞き届けられるのだ、という話が、どうして「出家の功徳なからん衆生、ながく仏果菩提うべからず」ということがよく分かる、ということになるのでしょうか。
 たったこれほどのささやかな志だけでも、かくも温かく受け入れてもらえるのに、それほどの志さえもないような「衆生」には、決して「仏果菩提」などあるはずもないであろう、とでもいうように解すればいいでしょうか。そういえば、『蜘蛛の糸』の犍陀多は、たった一瞬、踏み出した足の下に踏み潰しそうになった蜘蛛に慈悲の心を持って足を引っ込めたというだけで、釈迦に地獄からの救いの手を向けられたのでした。
 いずれにしても大変寛容な姿勢で、先の優鉢羅華比丘尼にしてもこの酔漢にしても、出家の志はほんのかりそめのものだったにも関わらず、いや、優鉢羅華比丘尼に至っては逆に仏衣を侮蔑的に扱ったと言ってもいい振る舞いだったくらいだったのですが、それでも温かく受け入れられて出家得度がかなったのでしたが、一方で、慧可断臂のエピソードのように、命がけで志を示して、やっと受け入れられた、という場合もあり、今の永平寺入山にも厳しい試練があると聞きますが、そこのところはどういう辻褄なのでしょうか。
 来る者は拒まず、しかしいったん中に入った者には峻烈にあるべき姿を求める、というようなことなのでしょうか。「人を見て法を説け」という言葉は、「『法華経方便品』の以万億方便宜而説法などによる」(コトバンク) ものなのだそうですが、こういうところにも当てはまることなのかもしれません。》


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