しめしていはく、「いまこの如来一大事の正法眼蔵無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問(モン)きたれり。
しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾(ジクケン)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門(バラモン)となづけき。
のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡(カン)して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定(ゼンジョウ)にならつていふべきにあらず。
この仏法の相伝(ソウデン)の嫡意(テキイ)なること、一代にかくれなし。如来むかし霊山会上(エジョウ)にして、正法眼蔵涅槃妙心無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆(テンシュ)、まのあたりみしもの存せり、うたがふべきにたらず。おほよそ仏法は、かの天衆とこしなへに護持するものなり、その功いまだふりず。まさにしるべし、これは仏法の全道なり、ならべていふべきものなし。」
【現代語訳】
教えて言う、「今、この如来の最も大切な仏法の神髄、無上の大法を、禅宗と名付けたので、この質問が来たのです。
知ることです、この禅宗の名称は、中国から東の地域に起ったものであり、インドでは聞かれません。初め達磨大師が、嵩山の少林寺で、九年の間、壁に向って坐禅していると、当時の僧も俗人もまだ釈尊の正法を知らずに、坐禅を宗とする婆羅門と名付けたのです。
また、後の代々の祖師も、皆平常には坐禅を専らにしました。これを見た愚かな俗人は、真実を知らずに、みだりに坐禅宗と言ったのです。今の世間では、坐の言葉を略してただ禅宗と言っているのです。その真意は、祖師方の言葉に明らかです。六波羅蜜と三学の禅定を学んで、これを言うべきではありません。
この仏法の相伝が、嫡子から嫡子へと伝えられたことは、釈尊のご一代に明らかです。釈尊が昔、霊鷲山の法会で、仏法の神髄、優れた悟りの心、無上の大法を、摩訶迦葉尊者ただ一人にお授けになった儀式は、現に天上界の天衆たちで、目の当たり見た者がいるのであり、疑うに足りません。およそ仏法は、その天衆たちが永久に護持するものであり、その功徳は未だ変わることはありません。正に知ることです、この坐禅は仏法の全体であり、比べられるものはないのです。」
《そういう質問は、「如来の最も大切な仏法の神髄、無上の大法」を求める考え方を、禅宗と名付けることから起こるのだ、と禅師は説き起こします。
実は、仏教が起こったインドではそういう呼び名は用いられず、達磨大師が少林寺で坐禅をされて以来、多くの僧が坐禅をするのを見て、仏教のことをよく知らなかった世間の人が、それが特別変わったことでもあるかのように、「坐禅を宗とする」僧侶だという意味で坐禅宗と言うようになり、現代ではそれを略して禅宗というようになっただけのことだ。六波羅蜜の中にある禅定と同じものと考えてはならない、…。
コトバンクで「禅定」を見ますと、「『禅』はサンスクリット語dhyānaの音写、『定』はその漢訳。六波羅蜜の一つ。心を統一して三昧に入り寂静になること」とあり、『漢語林』で「禅」を見ると、「ゆずる」が本義のようですから、「禅定」ではまったく音としてだけ用いられている、ということのようです。
すると、坐禅というのも、「坐」の方に意味があるわけで、禅宗と言うよりも、坐宗とでも言うべきだったのかもしれません。
「坐る」ということを通して、六波羅蜜の一つであるに過ぎない「禅定」を求めようというのではなく、「正法眼蔵涅槃妙心無上の大法」、つまり釈尊の教え全体をこそ、会得しようとするのだ、というようなことでしょうか。》