『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

十九 問十四 多忙と坐禅

 ころざすもの、かならず心地(シンチ)を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。
 国家に真実の仏法弘通(グツウ)すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。
 又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下(エカ)には、獦者(リョウシャ)、樵翁(ショウオウ)さとりをひらく。いはんやそのほかの人をや。ただ正師(ショウシ)の教道をたづぬべし。
 

【現代語訳】
 そして志す者は、必ず心の本性を解明することが多いのです。このことで、世俗の務めは仏法を妨げないことが、自然と知られます。
 国家に真実の仏法が広まれば、すべての仏や天神たちが絶え間なく護ってくださるので、国王の治世は太平なのです。聖帝の治世が太平であれば、仏法はその力を得るものなのです。
 又、釈尊の世に在りし時には、悪逆非道の者が改心して仏道を悟りました。祖師の門下では、猟師や樵(キコリ)が悟りを開きました。ましてその他の人はいうまでもありません。ですから、ひたすらに正法の師の教導を尋ねることです。
 
《そういう国家中枢の多忙の人でさえも道を得ることができるのだ、そのようにして国に仏法が広まれば、国は安泰になり、またそうなれば、逆に仏法もさらに力を得ることになるのだ、…。
 さらに釈尊の時代には悪逆非道の者でも、また漁師木樵でも可能だった、身分の高下にかかわらず、また知無知にも関わらない、と言います。
 もともとの問は、「在俗の繁務」で仏道を務めるのが難しい人はどうすればいいか、というものでしたから、ちょっと本題から外れたように見えますが、いかに多忙の人でも、また「逆人邪見」の人でも、教養のない人でも、ただただ志を持つことだけが大切なのだということのようです。
 その志とは、「ただ正法の師の教導をたづぬべし」というものです。
 正しい教えを求めようという気持ちさえしっかりしておれば、後はおのずと道が開けていく、と禅師の考えは、この点に関してはかなり楽観的に見えます。》

3 仏法と国家

 ちかごろ大宋に、馮相公(ヒョウ ショウコウ)といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふにいはく、
公事(クジ)の余(ヒマ)に坐禅を喜(コノ)む、
 曾(カツ)て脇を将(モツ)て牀(ショウ)に到して眠ること少(マレ)なり。
 然も現に宰官の相(ショウ)に出(イズ)ると雖も、
 長老の名、四海に伝わる。
 こ0れは、官務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし。
 大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門、文家、いづれも参禅学道をこころざせり。
 

【現代語訳】
 最近、大宋国に馮という宰相がいました。仏祖の道に優れた高官です。後に詩を作って自ら述懐しました。
 「公務の余暇には坐禅を好み、横になって眠ることは少なかった。今は宰相になっているが、不動居士という長老の名が天下に知れ渡っている。」
 この人は、官務で暇のない身でしたが、仏道への志が深かったので悟りを得たのです。このような他の行跡をもって自己を顧み、昔をもって今の手本としなさい。
 大宋国では、今の世の国王や大臣、庶民の男女が、皆心を仏祖の道に寄せているのです。武人や文人の誰もが禅を学び仏道を志しているのです。
 

《第十四の問への答えが続きます。初めに「むかしいまをたづぬるに」とありました(前節)が、ここは「ちかごろ」の例で、前の「李相国防相国」の例に比べて、より具体的ということはありますが、同じ内容です。
 サイト「禅と悟り」によると、「仏教は唐末の武宗の大規模な排仏事件によって再起不能なまでの打撃を受けた。ただ禅宗だけが排仏事件をくぐり抜け全盛を続け宋代に引き継がれて行った」のだそうで、ここの話は、その時代のことなのでしょう。、十三世紀初めのころになります。
 そして同サイトには「南宋の寧宗(在位:11941224)の頃には国家による保護と統制のための五山十刹制度ができた。…(それによって)中国(宋)の禅宗寺院は序列化し、国家による保護と統制下に入った」とあります。
 禅師の入宋はちょうどその頃で、禅師の目には、隆盛を極めているように見えたのでしょう。
 禅は特に士大夫に支持されたようですから、「世俗の務め」の例に「国王大臣」「武門、文家」が挙げられたのも、国家と仏法との関わりが語られるのも、そういう背景があることを考えれば、よく理解できます。そういう国家の中枢にいる多事多忙な人びとでも、「こころざし」さえきちんと持っていれば、道を得ることができるのだから、まして一般の人にそれができないなどということはないと言います。
 ただし、後の「行持」下巻の達磨大師の話の中では、宋代でも達磨が理解されていないとして嘆いている記述もあって(「行持下」第九章)讃歎一色というわけでもありません。》

 ただこれ、こころざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかかはらじ。
 又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。
 いはんや世務は仏法をさゆとおもへるものは、ただ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なきことをいまだしらざるなり。
 

【現代語訳】
 もっぱらこれは、志の有無によるものです。その身の在家出家には関係ありません。
 又この法は、深く物事の優劣をわきまえる人であれば、自ずから信ずるものです。
 まして世俗の務めは仏法を妨げると思う者は、ただ世の中には仏法が無いということだけを知って、仏法の中には世間の法がないことをまだ知らないのです。

 

こころざしのありなしによるべし」という言葉は、何気ない言葉ですが、前節の生真面目な答えから一転して、そういうことを問うのは、志がないということなのだと突き放しているように聞こえる、大変厳しい言葉です。
 次の「ふかくことの…」の一文も、志のある人は、坐禅を信じて、世事に忙しくて坐禅ができないのをどうしようかなどと考えないで、世事の中で寸暇を惜しんで坐るのだ、という意味になりそうです。
 そうなると法然の、目が覚めているときに念仏を唱えなさいと言ったのとまったく同じだと言えそうです。結局はそういうことで、忙しく出できないというのは、やる気がないということなのでしょう。
 ここの三つの文は、順を追って根本に帰って行く書き方になっているようで、「いはんや」以下は、そもそも「世務」と「仏法」を対立するものだという考え方が間違いだという話のようです。
 分かりにくいところですが、「世中に仏法なしとのみ知りて」は、世の中には仏法は無く、仏法を求めるなら「世務」を削らなくてはならない後とひとえに思い込んで、という意味で考えてはどうでしょうか。
 「仏中に世法なき」は、仏法では、修行とは別に世事があるとは考えないのだと言っているのであって、つまり「世務」であれ「仏務」であれ、全ての行いが仏法の修行だと考えるから、世事ということはないのだ、という意味ではないでしょうか。
 『参究』が「仏道修行のほかに、別に人間社会の仕事というものは一つもない」と読んでいますが、この解釈も、そういう意味かと思われます。
 ところで、ここの「いはんや」も意味がよく分かりません。普通には「まして」と訳しますが、ここは「それに、なによりもまず」というような言葉でつなぐと分かりやすいところだと思われます。この言葉は、古語の「まして」と同様に、往時、現在とは少し違った意味で考えられていたのではないでしょうか。そう思わされることがよくあるような気がします。》

 

1 法然上人

 とうていはく、「出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅辨道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはん。」
 しめしていはく、「おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらんものや。
 ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおほし。しばらく代宗(ダイソウ)順宗(ジュンソウ)の、帝位にして万機いとしげかりし、坐禅辨道して仏祖の大道を会通(エヅウ)す。
 李相国(リショウコク)、防相国(ボウショウコク)、ともに輔佐(フサ)の臣位にはんべりて、一天の股肱たりし、坐禅辨道して仏祖の大道に証入す。
 

【現代語訳】
 問うて言う、「出家の人は、様々な世俗の縁を速やかに離れて、坐禅修行に障害はありませんが、在俗の多忙な人は、どのようにして一途に修行し、無為の仏道にかなうことができましょうか。」
 教えて言う、「およそ仏や祖師方は、人々を哀れに思うあまりに、広大な慈悲の門を開いておかれたのです。これはすべての人々を悟らしめんがためなのです。ですから、人間界や天上界の中で、誰かこの門に入れない者がありましょうか。
 これについて古今を尋ねれば、その実証となる人は多いのです。例えば唐の代宗や順宗は、帝位にあって政務に多忙でしたが、坐禅修行して仏祖の大道を悟りました。
 また李宰相や防宰相なども、共に補佐の臣としてお仕えする天子の家来でしたが、坐禅修行して仏祖の大道を悟りました。
 

《第十四の問いで、大変現実的な問いです。
 『徒然草』第三十九段に法然上人に、念仏を唱えていて眠くなって困ることがあるが、どうしたらいいいか、と、同じようなことを尋ねた人があったとあります。その時の上人の答えは「目のさめたらんほど、念仏し給へ」というものだったそうです。
 この答えは、脇で聞いていれば笑ってしまいそうですが、『徒然草全注釈』は、その言葉について、「法然のやさしさ、柔らかさが好もしくとらえられて」いるが、「(この言葉の背後には)自己に可能なることを自覚せず、不可能事ばかりを障碍として考えたがる人間の弱さ・安易さを鋭く指示している」として、その厳しさに注目しています。
 言葉は一見優しく見えますが、その背景には法然の自らに対する厳しい覚悟があるのです(おこがましいのですが、拙サイト「徒然草~人間喜劇つれづれ」をご覧いただければ幸甚です)
 その答えに倣えば、ここでは、手が空いているときに坐りなさい、というようなことになると思うのですが、ここまでの禅師の答えは、多忙の中にありながら修行に努めた例を挙げるなどした、問いを真正面に受け止めての親切な答えで、なんとも生真面目です。上人はきっと洒脱な人だったのでしょう。》

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