といていはく、「乾唐(ケントウ)の古今をきくに、あるいはたけのこゑをききて道をさとり、あるいははなのいろをみてこころをあきらむるものあり。
 いはんや、釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし。
 のみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禅辨道せるもののみならんや。」
 しめしていはく、「古今に見色明心(ミョウシン)し、聞声悟道(モンショウ)せし当人、ともに辨道に擬議量なく、直下(ジキゲ)に第二人(ダイニニン)なきことをしるべし。」

【現代語訳】
 問うて言う、「インドや中国に於ける古今の先人の足跡を聞くと、ある人は竹の声を聞いて道を悟り、又、ある人は花の色を見て心を明らかにしています。
 まして釈迦大師は、明星を見た時に道を悟り、阿難尊者は、説法の旗竿が倒れたところで法を明らかにしました。
 そればかりか、六代大鑑禅師から後の五家の中でも、わずかな言葉の下に心を明らかにした者は多い。彼らは必ずしも、以前に坐禅修行した者ばかりではないでしょう。」
 教えて言う、「古今に、花の色を見て心を明らかにしたり、竹の声を聞いて道を悟ったその人は、共に仏道精進に於いて是非を推し量ることがなく、直下に余人のないことを知りなさい。」
 

《先に、前節の終わりの補足を少し。
 かりにそういう解釈が正しいとして、それなら法眼はなぜそういうふうに説明しないで、あのような漫才のやりとりのような答え方をするのかと考えてみました。
 彼は弟子に、教えて分からせるのではなく、自ら気づかせなくてはならないと思ったのではないでしょうか。そのためにヒントだけを与えたのです。弟子は坐ったまま話を聞いて理解したのではダメで、みずから理解する力を蓄えて歩みを進め、師に近づかなくてはならない、弟子の分かる気運が高まり、師が教えるタイミングを計り、それが一致したときに火花が散るようにして弟子が気づく、「啐啄」と言われるのはそういうことかなと思います。
 さて、ここは第十七の問答です。坐禅じゃなくても悟りを開いた人はいるじゃないですか、という、まことにもっともな質問です。
 「たけのこゑをききて…」は香厳智閑の逸話、「庭の掃除をしていて竹藪に石を捨てた。その石が竹に当たってカーンとひびいた、その声を聞いてさとったという有名な話」(『講話』)です。「はなのいろをみて…」は霊雲志勤という人の話だそうです。
 釈迦については「苦行からは悟りをえられないと解したシッダールタは、苦行から離れ、村の娘、スジャータの捧げた乳粥を飲み干すと、菩提樹のもとに坐り、深い禅定に入りました。悪魔の誘惑、脅迫などの邪魔を退け、明け方、明星を見てとうとうお悟りになりました」(サイト「瑠璃山正圓寺」)ということのようで、この場合は「禅定」とありますから、坐禅に近い状態ではなかったかと思われます。
 ともあれ、そのように、必ずしも坐禅によってではない得道の話はいろいろあるようで、こういう疑問はぜひ晴らしておく必要があると、禅師は考えたのでしょう。
 さて答えは。
 そういう人たちはどの人も、仏道に「あれこれ思いまどうことなく」(『全訳注』)、「乾坤第一人…、自分になりきっている」(『講話』)のだということを理解しなければならない。
 いや、それはそうでしょうが、で、坐禅は? と思ってしまいます。
 しかし、坐禅というのは何も坐るという「外から見た形だけのことではない」(同)、そういう心のあり方が坐禅の根本なのであって、普通の人は坐ることでもしなければ、なかなかそういう心境になりにくいのだが、ある種の人は必ずしも坐ることなくそういう境地に至ることができるのだ、…。
 ということは、禅師から見ると、話は逆で、悟りを得た人は皆坐禅の状態にあった、ということになるのではないでしょうか。
 なお、「乾唐」は「竺乾と唐土、すなわち印度と中国」(『全訳注』)だそうですが、「竺乾」は、『漢語林』にも見当たりませんでした。