『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

谿声山色

2 

 修行の力量、おのづから国土をうることあり、世運の達せるに相似せることあり。かくのごとくの時節、さらにかれを辨肯すべきなり、かれに瞌睡(カッスイ)することなかれ。
 愚人(グニン)これをよろこぶ、たとへば癡犬(チケン)の枯骨をねぶるがごとし。賢聖(ケンショウ)これをいとふ、たとへば世人の糞穢(フンネ)をおづるににたり。
 おほよそ初心の情量は、仏道をはからふことあたはず、測量(シキリョウ)すといへども、あたらざるなり。初心に測量せずといへども、究竟(クキョウ)に究尽(グウジン)なきにあらず。
 

【現代語訳】
 また仏道修行の力によって、仏法が自然に国土に広まったり、世の中が一見仏法に叶うようになる場合があります。そのような時には、更にそれを弁えるべきです。それに油断して居眠りしてはいけません。
 愚かな人は、これを喜ぶのです。例えば、愚かな犬が干からびた骨を喜んでなめるようなものです。賢人聖人はこれらの事を嫌うのです。例えば、世の人が糞便を恐れるようなものです。
 およそ初心の人の思慮分別では、仏道を推し量ることは出来ません。推し量っても当たらないものです。しかし、初心の人に推し量れなくても、修行を究めた人に、究め尽くすことが無い訳ではありません。
 

《ここも、世間の評価や他人の褒貶に目を向けてはならないという話ですが、それは翻って、あくまでも自分の初心をしっかりと保って、それだけを指針にしなさいということのようです。
 初めは純粋に道を求めていても、ある程度周囲に認められていくと、これでいいのではないかという気がしてくる、というのは、人間の甘さというか弱さというか、ついつい湧いてくる気持ちでしょう。
 もっとも、最初が不純なスタートだという場合もありそうで、第十章2節でそれに触れて、そうしているうちに正師に会うことがあればよいのだということでした。しかし、正師に会うには、正師を求める心がなければならないでしょうから、どこかで自分の中で本筋に入ることが必要だと思われます。そうならなかったのが、少林寺の達磨における二人の僧(十二章1節)だということになりそうで、そういう人もいるわけです。
 そもそも、仏道の深いところは、「初心」の人に容易に到達することができるはずはないもので、自分でそうだと思っても、当たっていない。「修行」の人は、ちょっとした到達感に満足することなく、本来自分が求めようとしたものが何であるかを常に忘れずに励めば、初めは解らなかったことでも、「究め尽くすことが無い訳ではありません」。
 あくまでも、自分が本来求めるべきものを見失うな、という教えであるように思われます。》

1 

 又むかしより、天帝(テンタイ)きたりて行者の志気(シイキ)を試験し、あるひは魔波旬(マハジュン)きたりて行者の修道(シュドウ)をさまたぐることあり。
 これみな名利の志気はなれざるとき、この事ありき。大慈(ダイズ)大悲のふかく、広度衆生の願の老大なるには、これらの障礙(ショウゲ)あらざるなり。
 

【現代語訳】
 又昔から、帝釈天がやって来て修行者の志を試験したり、或いは悪魔が来て行者の修行を妨げることがあります。
 これらは皆、行者が名利の心を離れない時に、このような事があるのです。大慈大悲の心深く、衆生済度の誓願の久しく広大な人には、これらの障害はないのです。
 

《「又」と始まる意味が分かりにくいので、この巻を振り返って見ると、第九章までは得道の決定的瞬間のさまを語り、第十章から後は、そういういわば奇跡的一瞬を捉えるために、仏道を修するにあたって、それを害するものへの処し方を説いているようで、その十章では、他人の思惑に気をとられるなということ、十一章ではそれを裏返して、自らの初心を忘れるなということ、十二章では世間には積極的に害そうとして向かってくるものがあり、それへの処し方が語られていました。
 こうしてみると「谿声山色」という巻名は、主に第九章までのことからの名であるようです。
 『全訳注』は、訳の各段落に小見出しを付けていますが、ここの第十章にあたるところに「名利の心を離れること」、第十一章2節に「初心を忘れざること」として、ここに至っています。
 ここでは、「天帝」や「魔波旬」が修道を妨げることについての話です。「天帝は帝釈天。…須弥山に住み、釈尊の修行中はさまざまに身を変じて、その修行試めして見たが、仏成道後は、梵天と共に仏法守護の神となる。魔波旬は魔王波旬の意。波旬は善根慧命を断つ。シヴァを指すという」(『哲学』)のだそうですが、現実的には、修行者自身の内心の迷いと戦うべきことを言うのでしょう。
 修行中に生じるそういう心の迷いは、結局はこれも「行者が名利の心を離れない」ことから起こるのだ、というわけです。》

2

 かくのごとくの道理、仏法の力量の究竟(クキョウ)せざるにはあらず、良人(リョウニン)をほゆるいぬありとしるべし。ほゆるいぬをわづらふことなかれ、うらむることなかれ。引導の発願(ホツガン)すべし。
 「汝は是れ畜生、菩提心を発(オ)こせ。」と施設(セセツ)すべし。先哲いはく、「これはこれ人面(ニンメン)畜生なり。」 又 帰依供養する魔類もあるべきなり。
 前仏いはく、「不親近(フシンゴン)国王、王子、大臣、官長、婆羅門(バラモン)、居士(コジ)。」
 まことに仏道を学習せん人、わすれざるべき行儀(ギョウギ)なり。菩薩初学の功徳、すすむるにしたがうてかさなるべし。
 

【現代語訳】
 世間にはこのような者がいるという道理は、仏法の力が及ばないからではなく善良な人間を吠える犬もいるということを知りなさい。吠える犬を悩んだり怨んだりしてはいけません。仏道に導こうと発願しなさい
 「おまえは畜生である、菩提心を起こしなさい。」と教え導きなさい。先哲は、このような者を「これは人の顔をした畜生である。」と言いました。又、仏祖に帰依し供養する魔の類も、きっとあるものです。
 先の釈尊の言われるには、「国王、王子、大臣、官長、バラモン教徒、居士などと親密になってはならない。」と。
 これは実に、仏道を学ぶ人の忘れてはならない行儀です。こうして初心の菩薩の功徳は、修行が進むに従って重なることでしょう。
 

《ここはよく分からないところです。
 「仏法の力が及ばないからではなく」と言ったのは、「仏法の力が及ばないから達磨は死ななければならなかったのだ」という考え方・批判を想定しているわけですが、ではなぜ達磨は死んだのかというと、「善良な人間を吠える犬もいる」からだと言います。
 そして、その「犬」に対しても「仏道に導こうと発願しなさい」と言うのですが、それなら、まず達磨がそれをすべきだったのではないか、そして、達磨ほどの人にできなかったことを、後の人にやれといても無理なのではないか、という疑問が湧きます。
 それに、ただの想像ですが、達磨はそれができなかったのではなくて、もともとそうする気持ちがなかったのではないでしょうか。
 また、禅師は一方で「国王、王子、…」には近づくなとも言います。
 「良人にほゆる犬」と「国王、王子、…」は、その性質は異なっていますが、いずれも仏法にとっては「悪」であると思われますが、それに対する立ち位置の取り方は大きく揺れているように見えます。
 仏教には「悪」にどのように向き合うかという観点がない、というようなことをどこかで読んだような気がしますが、あるいはこういうところにそれが顕れているのでしょうか。》

1 

 又 西天(サイテン)の祖師、おほく外道(ゲドウ)、二乗、国王等のためにやぶられたるを。これ外道のすぐれたるにあらず。祖師に遠慮なきにあらず。
 初祖西来よりのち、嵩山に掛錫(カシャク)するに、梁武もしらず、魏王もしらず。ときに両箇のいぬあり。いはゆる、菩提流支(ボダイルシ)三蔵と光統(コウヅ)律師となり。
 虚名邪利(コミョウジャリ)の正人(ショウニン)にふさがれんことをおそりて、あふぎて天日をくらまさんと擬するがごとくなりき。在世の達多(ダッタ)よりもなほはなはだし。
 あはれむべし、なんぢが深愛する名利は、祖師これを糞穢(フンネ)よりもいとふなり。
 

【現代語訳】
 又インドの祖師の多くが、外道や小乗の徒、国王などのために害されたことを知りなさい。これは外道が優れていたからではなく、祖師に先々までの思慮が無かったからでもありません。
 初祖達磨は中国に来て後、嵩山の少林寺に止まりましたが、梁の武帝も魏の国王も、そのことを知りませんでした。当時、愚かな犬のような二人の人物がいました。いわゆる菩提流支三蔵と光統律師です。
 彼等は、自らの虚名と邪まな利益を、達磨という正しき人に塞がれることを恐れて、天を仰いで太陽を隠そうとするような愚かなことをしました。それは釈尊在世当時の提婆達多よりも更に甚だしいものでした。
 哀れなことです、おまえたちが深く愛する名利は、祖師が糞便よりも嫌ったものなのです。
 

《初めの「又」は、前節の「見ずや」を受けて「愚の賢をしらず…」の二つ目の話で、達磨大師の逸話です。変なところで区切ったことになりますが、『全訳注』もこういう段落にしています。何かわけがあるのでしょうか、不審です。
 さて、達磨は五二七年広州に着き、金陵で梁の武帝と会ったのでしたが、話が合わず、達磨は見切りを付けて、魏の洛陽に行き、嵩山少林寺に入ったのだそうです。しかし魏王も彼の偉大さを理解することがなかったようで、「梁武もしらず、魏王もしらず」というのはそのことを言っている、と『哲学』が言います。
 そんな中で、少林寺においては、二人の犬のように愚かな僧がいたと言います。「(その二人は)彼らと全く行蔵を異にする達磨に快からず、数々毒を用いて害せんとした。第六度目のとき、達磨は『化縁すでに終り、伝法人を得しを以て、遂に復た救はず、端居して逝きぬ』と(『伝灯録』に)ある」と言います。
 終わりの一文は、その二人に「なんぢ」と呼びかけて、激しい憤りをぶつけています。ここはどう考えても、弟子への諭しではなく、二人に対する批判と言わざるを得ません。禅師には激情家の一面があるように思います。》

3 

 しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。
 国王大臣の帰依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは学道の一魔なり。あはれむこころをわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。
 みずや、ほとけののたまはく、如来現在猶多怨嫉(ニョライゲンザイユウタオンシツ)の金言あることを。愚の賢をしらず、小畜の大聖(ダイジョウ)をあたむこと、理かくのごとし。
 

【現代語訳】
 それなのに愚かな人は、たとえ道心があってもすぐに初志を忘れて、誤って人間界や天上界の供養を待ち望んで、それによって仏法の功徳が得られたと喜ぶのです。
 そして国王大臣の帰依が多ければ、自分の仏道が実現したと思うのです。これは仏道を学ぶ上での一つの魔です。人々を憐れむ心を忘れてはいけませんが、これを喜んではいけません。
 あなたは見たことがありませんか、釈尊のお言葉に、「如来が世にいても、怨みや妬みを抱く者は多い。」という金言のあることを。愚か者が賢者を理解せず、つまらない人間が仏を仇と見なすことの道理は、このようです。
 

《ここは書かれてあるとおりでしょう。
 仏法は自らの「道心」だけによって求められねばならず、仏道はその「本志」だけによって保たれなければならない、という大変に厳しい要求です。
 何によらず、純粋な動機から始めたことが、いつのまにかその初心が忘れられて、何かの手段に堕してしまうということは、悲しいかな、しばしばあることのように思います。
 ここでは、立派に仏道を行っている人にあやかりたいという気持ちさえ混じってはならない(前節)というのですから、まして「人天の供養」や「国王大臣の帰依」などを喜ぶなど、もっての他だと言うのは、自然なことでしょう。
 そういうものを手にして喜ぶ人見て、憐れむ気持ち持つことはあっても、間違っても自分がそういうものを望む気持ちを持ってはならない、…。
 しかし現実には「如来の現在すら猶怨嫉多し」(法華経の言葉だそうです)、釈迦如来在世の時においてさえ、怨みや嫉みが多くあった、という言葉を知っているであろう、そのように、仏の道にありながら名利を喜び世俗に束縛されている愚かな人が、賢者の生き様を理解しないことは、現在もそのとおりなのだ、と言います。
 まともに仏道を学ばない人への厳しい言葉が続きますが、ここはその人たちを批判することが趣旨ではなく、あなた方はそうあってはなりませんという戒めが趣旨なのでしょう。
 なお、「あたむ」は「仇む」で、「敵視する」の意、とあります(『辞典』)。》

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