『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

4 7財物供養~10至処道供養

 第七に、財物を仏及び支提(シダイ)塔廟舎利に供養す。謂(イハ)く、財に三種有り。一には資具供養。謂く、衣食(エジキ)等なり。二には敬具(キョウグ)供養。謂く、香華(コウゲ)等なり。三には厳具(ゴング)供養。謂く、余(ヨ)の一切の宝荘厳(ホウショウゴン)等なり。
 第八に勝(ショウ)供養。勝に三種有り。一には専ら種々の供養を設く。二には純浄の信心(シンジン)。仏徳の重きを信じ、理供養に合(カナ)ふ。三には廻回心(エコウシン)。仏を心中に求めて供養を設く。
 第九に無染(ムゼン)供養。無染に二有り。一には心無染、一切の過を離る。二には財物無染、非法の過を離る。
 第十に至処道供養。謂く、供養果に順ふを、至処道供養と名づく。
 仏果は是れ其の所至之処、供養之行(ギョウ)は、能く彼の処に至るを至処道と名づく。至処道供養を、或は法供養と名づけ、或は行供養と名づく。中に就きて三有り。一には財物供養を、至処道供養と為す。二には随喜供養を、至処道供養と為す。三には修行供養を、至処道供養と為す。
 仏を供養すること、既に此の十供養有。法に於ても僧に於ても、類するに亦同然なり。謂く、供養法とは、仏所説の理教行法に供養し、并びに経巻に供養す。供養僧とは、謂く、一切の三乗の聖衆、及び其の支提、并びに其の形像、塔廟及び凡夫僧に供養す。
 

【現代語訳】
 第七、財物を仏や仏の霊廟、塔廟、舎利(仏の遺骨)に供養する。その財物には次の三種類がある。一は生活資具を供養する。衣食などである。二は敬意の具を供養する。香や花などである。三は荘厳の具を供養する。その他のあらゆる装飾品などである。
 第八に勝供養(すぐれた供養)。勝供養には次の三種類がある。一は専ら種々のものを供養する。二は清浄な信心。仏の功徳は得難いものであると信じ、道理に適った供養をする。三は回向心(自らの善根功徳を人々に回らし施す心)。仏を心の中に求めて供養をする。
 第九は無染供養(汚れに染まらない供養)。無染には次の二つがある。一は心の無染(心が汚れていないこと)。心が一切の過ちを離れていることである。二は財物の無染(財物が汚れていないこと)。財物が非法の過ちを離れていることである。
 第十は至処道供養(仏道修行による供養)。仏道修行の成果によって供養することを至処道供養と名づける。
 仏の悟りは、我々の至るべき所であり、供養を行えばその所に至ることが出来るので至処道と名づける。
 至処道供養を、ある人は法の供養と名づけ、ある人は行の供養と名づけている。この中には三つがある。一に、財物の供養(仏 僧に財物を供養すること)を至処道供養という。二に、随喜の供養(仏法僧を喜んで供養すること)を至処道供養という。三に、修行の供養(仏道を修行して供養すること)を至処道供養という。
 仏を供養するには、このような十種の供養がある。これは法の場合でも僧の場合でも、その種類は同じである。法を供養するとは、仏(釈尊)の説かれた理法、教法、行法に供養することであり、また経巻を供養することである。僧を供養するとは、すべての三乗(声聞乗、縁覚乗、菩薩乗)の聖者たちやその霊廟、その形像、塔廟や凡夫僧を供養することである。
 

《供養の種類、第七から十ですが、ちょっとよくわからないところです。
 第七の前節の第五と同じように思えますが、どうなのでしょうか。
 第八、第九は、供養する物、形の話であって、それぞれが前の六種と横並びの一つの種類であるというのも、よくわかりません。
 第十は、供養一般の話のようで、これが一種に数えられるのはへんに思われます。それに、「供養果に順ふを、至処道供養と名づく」と言いますが、この巻の初めから供養には「果」を求めてはならないということが、さんざん言われてきていたはずで、そのこととどう繋がるのか、…。
 いろいろと、どうもよく分かりません。》


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2 支提供養 ~6

 塔龕(トウガン)とは、
 爾(ソ)の時に波斯匿(ハシノク)王、仏の所(ミモト)に往詣(オウケイ)して頭面(ズメン)に足(ミアシ)を礼(ライ)し、仏に白(マウ)して言(マウ)さく、
「世尊、我等迦葉仏の為に塔を作れり。龕(ガン)を作ることを得んや不や。」
 仏の言はく、「得ん。」
 過去世の時、迦葉仏 般泥洹(ハツナイヲン)したまひし後、吉利(キリ)王、仏の為に塔を起(タ)つ。面の四面に龕を作り、上に獅子像、種々の綵画(サイガ)を作る。前に欄楯(ランジュン)を作りて華処(ケショ)を安置し、龕の内には幡蓋(バンガイ)を懸(カ)く。
 若し人、世尊は貪欲瞋恚(シンイ)愚癡已に除きたまふに、但(タダ)自ら荘厳(ショウゴン)して楽を受くと言はば、越毘尼罪(オビニザイ)を得ん。業報重からん。是を塔龕と名づく。」
 あきらかにしりぬ、仏果菩提のうへに、古仏のために塔をたて、これを礼拝供養したてまつる、これ諸仏の常法なり。かくのごとくの事おほけれど、しばらくこれを挙揚(コヨウ)す。
 仏法は有部(ウブ)すぐれたり。そのなかに、僧祇律(ソウギリツ)もとも根本なり。僧祇律は、法顕(ホッケン)はじめて荊棘(ケイキョク)をひらきて、西天(サイテン)にいたり、霊山(リョウゼン)にのぼれりしついでに将来するところなり。祖祖正伝しきたれる法、まさしく有部に相応せり。
 

【現代語訳】
 塔龕(塔下部の仏像を収める厨子)とは、
 波斯匿王は塔を作ると、仏の所にやって来て、頭に仏の足を頂いて礼拝し、仏に申し上げた。
「世尊よ、我々は迦葉仏のために塔を建てました。その塔に龕(仏像を祀る厨子)を作ってもよろしいでしょうか。」
 仏は「よろしい。」と答え、そして言われた。
「過去の世の時代に、迦葉仏が入滅された後に、吉利王はその仏のために塔を建てられた。その塔の基壇の四面には龕が作られ、上には獅子の像と様々な美しい絵が描かれ、前には欄干を作って花を飾り、龕の内には旗と天蓋がつるされていたのである。
 もし、世尊は貪りの心、怒りの心、愚かな心を既に除いておられるのに、自らを飾って楽を享受している、と言う人があれば、それは戒律を犯す罪となり、その行いの報いは重いことであろう。これが塔龕である。」
 明らかに知られることは、釈尊は仏の悟りを得られた上で、昔の仏のために塔を建てて、礼拝し供養されたということです。これは諸仏の変わることのない作法なのです。このような事例は多いのですが、とりあえずこれを取り上げて示しました。
 仏法の中では、有部(説一切有部 一派)の教えが優れています。その中でも僧祇律(僧の戒律について述べたもの)は、仏法の最も根本の教えと言うべきものです。この僧祇律は、中国の法顕が、初めて茨の道をかき分けて遠くインドへ行き、経典を学んで霊鷲山などの仏跡を巡ってきた折に将来したものです。歴代の祖師が正しく伝えてきた法は、まさしく有部の教えに合致しているのです。
 

《塔の作り方の結びは「塔龕」の扱い方です。「龕」は、一字の読みは「かん」で、意味は「ずし。神体や仏像を安置する小さな箱」(『漢語林』)だそうですが、何とこれによって、この辞書の最終ページを見ることになりました。関係ありませんが、辞書の編者の、ここに至ったときの感慨に思いを致しました。
 さて、この「塔龕」の話までが支提供養についての引用で、そして以下は、供養「十種」の第二、霊廟を供するということについての禅師自身の言葉です。
 「かくのごとくの事」は、諸仏が塔廟を供養したということを指しているのでしょう。
 この第二に限って、かくも長い説明が必要であるのは、古仏自体を供養するというのは理解できるとしても、本来、物に過ぎない塔廟を供養するというには、それなりに理由付けが必要だと考えられたからでしょうか。
 なお、「有部」というのは『提唱』によると、「『説一切有部』と呼ばれる部族」の名前で、釈尊がなくなって二、三百年後に「部派仏教」の時代があって、代表的な部派が二十ほどあった中の一つ、「この世の中は実在である」ということを主張した一派だそうです。その教えの「根本」である「僧祇律」に、ここまで語られてきたように塔を建てて古仏を供養することが書かれてある(第十八章1節)ということですが、実は『全訳注』によれば、「『摩訶僧祇律』は有部所属ではない」のだそうです。禅師にもこうした思い違いがあったというのは、ちょっとほっとする感じです。もちろん草稿の中だから起こったことなのでしょう。
 これを清書した如浄は、知っていてそのままにおいたのでしょうか。》


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2 支提供養 ~5

 作塔の法は、下基(ゲキ)は四方にして欄楯(ランジュン)を周帀(シュウソウ)し、円に二重を起(タ)て、方牙四出し、上に旛蓋(バンガイ)を施し、長く輪相を表す。
 若し、世尊は已に貪欲(トンヨク)瞋恚(シンイ)愚痴を除きたまふに、是の塔を用ふ、と言はば、為に越毘尼罪(オツビニザイ)を得ん。業報(ゴッポウ)重きが故に。是を塔法と名づく。
 塔事とは、僧伽藍(ソウギャラン)を起こす時、先ず預(アラカジ)め好地を度(ハカ)り、塔処と作(ナ)すべし。
 塔は南に在ることを得ざれ、西に在ることを得ざれ、応に東に在るべし、応に北に在るべし。
 僧地は仏地を侵すことを得ざれ、仏地は僧地を侵すことを得ざれ。
 若し塔 死尸林(シシリン)に近く、若しは狗の食(ジキ)して残し、持ち来りて地を汙(ケガ)さば、応に垣牆(エンショウ)を作るべし。
 応に西、若しは南に在りて僧房を作るべし。僧地の水を仏地に流入(ルニュウ)せしむることを得ざれ。仏地の水は僧地に流入せしむることを得。
 塔は応に高顕の処に在つて作るべし。塔垣(トウエン)の中に在つて浣染曬衣(カンセンシャエ)し、革屣(カクシ)を著(ツ)け、頭を覆ひ、肩を覆ひ、地に洟唾(イダ)することを得ざれ。
 若し是の言(ゴン)を作(ナ)さん、世尊は貪欲、瞋恚、愚癡を已に除きたまふに、是の塔を用ふと。為に越毘尼罪(オツビニザイ)を得て、業報重からん。是を塔事と名づく。
 

【現代語訳】
 塔を作る方法は、下の基壇は四角形で周りに欄干を巡らし、その上に円形の壇を築いて、四角い突起を四本出す。上には長く垂らした旗と天蓋を設け、長い相輪を立てる。
 もし、世尊(釈尊)は貪りの心、怒りの心、愚かな心を既に除いておられるのに、この塔を使用していると言う者があれば、それは戒律を犯す罪となるであろう。その行いの報いは重いのである。これを塔の法という。
 塔を建てて仕えるには、僧院を建てる時に、先ず塔に適した場所を探して、塔の場所を定めなさい。塔は僧院の南にあってはいけないし、西にあってもいけない。塔は 僧院の東側や北側に建てなさい。
 僧院の土地は仏塔の土地を侵してはいけないし、仏塔の土地も僧院の土地を侵してはいけない。
 もし、塔が死人を葬る場所の近くで、犬が食べ残したものを持って来て、土地を汚すようであれば、垣根を作りなさい。
 塔の西側か、もしくは南側に僧房を作りなさい。その時、僧房の土地の水を仏塔の土地に流入させてはならない。しかし、仏塔の土地の水は僧房の土地に流入させてもよろしい。
 塔は高い目立つ場所に作りなさい。塔の垣の中で衣を洗って干したり、皮ぞうりを履いたり、頭や肩を覆ったり、地につばを吐いたりしてはならない。
 もし人が、世尊は貪りの心、怒りの心、愚かな心を既に除いておられるのに、この塔を自ら使用していると言うならば、それは戒律を犯す罪となり、その行いの報いは重いことであろう。これが塔に仕えることである。
  

《ここは塔(今で言う仏塔でしょうか)の建て方の話で、「ここに書かれておるのと同じような塔が今日でもインド、その他の古い仏教の行われた地区にはのこっておる」(『提唱』)ということになります。
 「塔は南に在ることを得ざれ、…」以下のことは、仏塔を清浄な場にするために、生活の場から切り離すように、という意味でしょうか。
 そういった純然たる建て方の話の中に、唐突に、「若し、世尊は已に貪欲、瞋恚、愚痴を除きたまふに、…」という話が挟まれ、最後にまた繰り返されますが、これもまた草稿ゆえのことと思われます。その意味は『提唱』によれば「すでに、…仏道修行の結果、欲張りの気持ちを離れ、腹をたてることがなくなり、また愚かな状況から抜け出すということができたにもかかわらず、さらにその上に功徳を求めるためにこの塔を建てられたと、こういうふうな批判をするならば、その批判が原因となって、戒律を破った罪に落ちるであろう」ということなのだそうです。
 ということは、供養ということには、一般にはやりすぎてはいけないという一面があるということのようですが、仏のために塔を建てるという供養に限っては、そういう制限はなく、だれがいつ行っても、尊いものである、ということであろうかと思われます。》


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2 支提供養~3

 婆羅門 見已りて、即便ち仏に白して言さく、「世尊、我が姓は迦葉なり、是れ我が迦葉の塔なり。」
 爾の時に世尊、即ち彼の家に於て、迦葉仏の塔を作りたまふ。
 諸の比丘仏に白して言さく、「世尊、我れ泥土を授くることを得んや不(イナ)や。」
 仏の言(ノタマ)はく、「授くることを得ん。」
 即ち時に偈を説いて言はく、
「真金(シンゴン)百千を担い、
 持して用て布施を行ぜんよりは、
 一団泥をもて、敬心(キョウシン)
 仏塔を治せんには如かず。」
 爾(ソ)の時に世尊、自ら迦葉仏の塔を起(タ)てたまふ。下基(ゲキ)は四方にして欄楯(ランジュン)を周帀(シュウソウ)し、円に二重を起こす。方牙四出(ホウゲシシュツ)し、上に旛蓋(バンガイ)を施し、長く輪相を表す。
 仏の言(ノタマ)はく、「作塔の法は応に是くの如くなるべし。」
 

【現代語訳】
 バラモンはその塔を見上げて仏に申し上げた。「世尊よ、私の姓は迦葉といいます。これは私の迦葉仏の塔です。」
 そこで世尊は彼の家に行き、迦葉仏の塔をお作りになった。
 比丘たちは仏に申し上げた。「世尊よ、私も泥土で塔を作ってもよろしいでしょうか。」
 仏は言われた。「よろしい。」
 仏はその時に詩句を説かれた。
「金貨を百枚千枚担いで
 布施するよりも、
 一つの泥団子でもって、敬いの心で
 仏の塔をつくるほうが優れている。」と。
 その時に世尊(釈尊)は、自ら迦葉仏の塔をお作りになった。それは下の基壇が四角形で周りに欄干を巡らし、その上に円形の壇を築いて、四角い突起を四本出し、上には長く垂らした旗と天蓋を設け、長い相輪が立っていた。
 仏(釈尊)は言われた。「塔を作る方法は、このようにしなさい。」

《婆羅門が「我が姓は迦葉なり、是れ我が迦葉の塔なり」と言ったということからすれば、「迦葉」というのは一族の名称なのであって、「迦葉仏」は、この場合、その一族の中のある優れた人を指す、ということなのでしょうか。
 それを聞いて釈尊は彼の家に行き、改めてその迦葉仏のために墓所を作った、と言います。
 すぐそこに立派な塔があるのに、改めて彼の家に塔を作るというのは、ちょっと意外な感じですが、塔を建てることが供養することになるということを強調しているのでしょうか。あるいは、先の塔は念力で現象せられた幻影であったのかも知れません。いやまた、単に、次にある塔の作り方を説明する都合なのでしょうか。
 ともあれ、『提唱』によれば、これが塔の「一番の原型」となって、日本にも伝わり五重塔や多宝塔となっている、と言います。》

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2 支提供養 ~1

 第二に、仏の霊廟に供(クウ)ずるを、支提供養と名づく。
 僧祗律(ソウギリツ)に云く、舎利有るをば、名づけて塔婆(トウバ)と為す。舎利無きをば、説いて支提と為す。或は云く、通じて支提と名づく。
 又梵に塔婆と云ひ、復た偸婆(チュウバ)と称す。此に方墳と翻(ホン)し、亦霊廟と言ふ。
 阿含(アゴン)に支徴(シタ)と言ふ。
 あるいは塔婆と称し、あるいは支提と称する、おなじきににたれども、南岳思大禅師の法華懺法(ホッケセンボウ)に言はく、「一心敬礼(チョウライ)、十方世界、舎利尊像、支提妙塔、多宝如来、全身宝塔。」
 あきらかに支提と妙塔とは、舎利と尊像別なるがごとし。
 

【現代語訳】
 第二に、仏の霊廟に供養することを支提供養と言う。
 僧祗律(僧の規律を説いたもの)には、舎利(仏骨)のある霊廟を塔婆といい、舎利の無い霊廟を支提というと説いている。或は、共通して支提と呼ばれている。
 また梵語(インドのサンスクリット語)では塔婆といい、または偸婆と呼ばれ、ここでは方墳と訳し、また霊廟と言っている。
 阿含経では支徴(シタ)と言う。
 このように、ある場合は塔婆と呼び、ある場合は支提と呼んで、同じもののようですが、南岳慧思大禅師の法華懺法には、「一心に、あらゆる世界の舎利と尊像、支提と妙塔、多宝如来の全身を納めた宝塔を敬礼したてまつる。」とあります。
 ここでは、明らかに支提と妙塔と、舎利と尊像とは別のように思われます。
 

《第一の「身供養」については、当然のことだからということでしょうか、たった一行で終わっていますが、第二の「支提供養」についてはここから章の過半を使って延々と解説が続きます。
 ここはまず「支提」という言葉について、さまざまな呼び方がある、という話です。
 日本では方墳とか霊廟に当たるということですから、つまりは墓所ということのようです。それを塔婆、偸婆と言うこともある、…。
 それを一括して「支提」と言うこともあるが、元来、仏舎利を納めている墓所を塔婆と言い、それのないものを「支提」と言うのであって、そのことは「法華懺法」に分けて書かれていることによって明らかである(ということは、「塔婆」は「妙塔」と言うこともある、ということになります)、…。
 終わりの部分は、支提と妙塔とは、舎利と尊像とが別のものであるのと同じように、別のものである、とも解せますが、どうなのでしょうか。》


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