『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

月光菩薩、顔回と称し、…。

 清浄法行経(ショウジョウホウギョウキョウ)に云はく、
「月光菩薩、彼(カシコ)に顔回と称し、光浄菩薩、彼に仲尼と称し、迦葉菩薩、彼に老子と称す。云々。」
 むかしより、この経の説を挙(コ)して、孔子老子等も菩薩なれば、その説ひそかに仏説におなじかるべしといひ、また仏のつかひならん、その説おのづから仏説ならんといふ。この説みな非なり。
 古徳云はく、
「諸の目録に準ずるに、皆此の経を推(オ)して、以て疑偽と為す。云々。」
 いまこの説によらば、いよいよ仏法と孔老とことなるべし。すでにこれ菩薩なり、仏果にひとしかるべからず。
 また和光応迹(オウシャク)の功徳は、ひとり三世諸仏菩薩の法なり、俗塵凡夫の所能にあらず。実業(ジツゴウ)の凡夫、いかでか応迹に自在あらん。
 孔老いまだ応迹の説なし、いはんや孔老は先因をしらず、当果をとかず、わづかに一世の忠孝をもて、君につかへ家ををさむる術をむねとせり。さらに後世の説なし、すでにこれ断見の流類(ルルイ)なるべし。
 荘老をきらふに、小乗なほしらず、いはんや大乗をやといふは、上古の明師なり。三教一致といふは、智円、正受なり、後代澆季愚闇の凡夫なり。
 なんぢなんの勝出(ショウジュツ)あればか、上古の先徳の所説をさみして、みだりに仏法と孔老とひとしかるべしといふ。
 なんだちが所見、すべて仏法の通塞を論ずるにたらず。負笈(フキュウ)して明師に参学すべし。
 智円、正受なんぢら大小両乗すべていまだしらざるなり。四禅をえて四果とおもひしよりもくらし。
 かなしむべし、澆風(ギョウフウ)のあふぐところ、かくのごとくの魔子(マシ)おほかることを。
 

【現代語訳】
 清浄法行経には、
「月光菩薩は、中国では孔子の門人の顔回と呼ばれ、光浄菩薩は、中国では仲尼(孔子の別名)と呼ばれ、迦葉菩薩は、中国では老子と呼ばれている。云々。」と説かれています。
 中国では、昔からこの経の説によって、孔子や老子なども菩薩であるから、その説く所も、暗に仏の説と同じであろうと言われ、また孔子老子は仏の使者であろうから、その説も自ずから仏の説であろうと言われています。しかしこのような説は皆誤りです。
 古聖はこの経について、
「多くの先人の目録を見ると、皆この経を偽経と推定している。云々。」と言っています。
 この古聖の説によれば、まさしく仏法と孔子老子の説とは異なっているということです。また、現に孔子老子が菩薩であれば、仏の位とは同等でありません。
 又、世俗に同化し、人々に応じて救うという功徳は、ただ三世(過去現在未来)の仏や菩薩だけが具えている法であり、俗世の凡夫に出来ることではありません。この世で実際に善悪の報いを受けている凡夫に、どうして人々に応じて救う自在な働きがありましょうか。
 孔子や老子には、まだ人々に応じて救うという説はありません。まして孔子老子は過去の因縁を知らず、未来の果報を説かず、わずかに一生一代の忠義と孝行によって、君主に仕え、家を治めるという心術を第一としているのです。ここには全く後世についての説はありません。まさしくこれは、死後にはすべてが断滅すると考える断見の部類というべきものです。
 荘子老子を嫌う理由に、「小乗の教えでさえも知らないのだから、ましてや大乗の教えならなおさらである。」と言っているのは上古の明眼の師であり、「仏教 儒教 道教の三教は一致する。」と言うのは智円と正受であり、後代末世の愚かな凡夫です。
 私は言おう、「お前たちは、何の勝れた所があって、上古の先聖の所説を曲げて、妄りに仏法と孔子老子の教えは同じものであると言うのか。
 お前たちの意見は、全く仏法の消息として論ずるに足らないものである。更に本箱を背負って、明眼の師に就いて学びなさい。
 智円と正受よ、お前たちは仏法の大小乗の教えをまだ知らない。四禅を得て四果を得たと思った者よりも、お前たちは仏法に暗い。」と。
 悲しいことです。末世の風の吹く所では、このような魔物が多いのです。
 

《月光菩薩は顔回で、光浄菩薩が孔子で、迦葉菩薩が老子だ、とは、なんとも子供だましのような話で、昔、子供の頃に友人と、月形半平太と月形龍之介とはどちらが強いか、という議論をしたことを思い出します。
 ちなみに応迹」は「『応化(おうげ)垂迹(すいじゃく) 』の意。…。仏語。仏、菩薩などが衆生を救うためにもとの姿を変え、他の形をとって現われること」(コトバンク)だそうです。
 また、訳の中の「その説も自ずから仏の説」は分かりにくいのですが、「その説くところも自ずから仏の説くところ」というほどの意味かと思われます。
 禅師は孔子老子に応迹」の考えがないことを第一の批判点としてあげます。それはまた引いては因縁因果の考えがないことでもあり、それを第二の批判点として、「わづかに一世の忠孝」を徳だけである、と言います。
 確かに儒家はもとより政治論であるわけですが、老荘にしても、その説くところは、政治との距離の取り方がその原点をなしているように思われます。
 どちらも一方に政治という価値観があることを前提に、それへの対応策であるわけですが、禅師の考える仏法は、そういう対象を考えず、純粋に人はいかに生きるべきかということについての普遍的絶対的価値を求める道であるようです。
 松尾芭蕉が西鶴の文章を評して「浅ましく下がれる姿あり」と書いていることは名高い話ですが、その芭蕉は弟子の其角から「全身俳諧なるものなり」と評されているそうで(サイト「芭蕉会議」)、禅師から見た老荘儒家は、そういう芭蕉の目に映った西鶴のようであったのかも知れません。
 そういう立場からすれば三教一致を説く智円と正受は許しがたい者と移ったのでしょうか、「なんだち」と呼びつけられた格好で、ほとんど言葉を極めてと言っていいほどに否定されます。


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魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ、

夾山(カッサン)の圜悟(エンゴ)禅師克勤(コクゴン)和尚、頌(ジュコ)に云く。
 「魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ、
  至鑑逃れ難く、太虚寥廓(リョウカク)たり。
  一たび往(ユキ)て迢迢(チョウチョウ)たり五百生、只因果の大修行に縁る。
  疾雷山を破り、風海を震はす、百錬の精金色改まらず。」
 この頌(ジュ)なほ撥無因果のおもむきあり、さらに常見のおもむきあり。
 杭州径山(キンザン)の大慧(ダイエ)禅師宗杲(ソウコウ)和尚、頌に云く。
 「不落不昧、石頭土塊、
   陌路(ハクロ)に相逢ふて、銀山粉砕す。
  拍手呵呵笑ひ一場、
  明州(ミンシュウ)に箇の憨布袋(カンホテイ)有り。」
 これらをいまの宋朝のともがら、作家(サッケ)の祖師とおもへり。しかあれども、宗杲が見解(ケンゲ)、いまだ仏法の施権(セゴン)のむねにおよばず、ややもすれば自然見解のおもむきあり。
 

【現代語訳】
 夾山の圜悟禅師克勤和尚が、百丈和尚を称揚した言葉に、
 「魚行けば水が濁り、鳥飛べば毛が落ちる。
  因果の法は、すぐれた鏡がすべてを映すように逃れ難く、大空が広々と開けているように明らか
 である。
  一たび野狐に堕ちて久しく五百生を重ねたことは、ただ因果の大修行であった。
  激しい雷が山を壊し、風は海を震わしたが、よく精錬した金の色は変わることがなかった。」
とあります。
 この言葉には、依然として因果を無視する趣きがあり、更に常見(恒常で変わらぬものという見解)の趣もあります。
 また杭州径山の大慧禅師宗杲和尚が称揚した言葉には、
 「因果に落ちないと答えても、因果を昧まさないと答えても、それは石ころと土くれほどの違いで 
 かない。
  ただ路上で百丈和尚に出会ったことで、五百生の野狐身を粉砕したのだ。
  この話を聞いて、手をたたいて大笑したのは、
  明州の愚鈍な布袋和尚である。」
とあります。
 これらの人を、今の宋国の仲間は優れた祖師と思っています。しかしながら宗杲の見解は、未だ仏法の方便の教えにも及びません。ややもすれば自然見解(全てを無因と見ること)の趣さえ窺われます。

 

《ここの二つの頌は、いずれも因果の法を認めているように見えるのですが、禅師は「撥無因果のおもむき」がある、と言います。
 『全訳注』は前章からの三つの頌をまとめて「道元には、そのいずれも意に充たないものであったらしく、それらを批判して、もって結びとしている」と言います。
 圜悟の頌の後段、「疾雷山を破り、…」は、野狐となった老人には様々なことがあったが、その中で因果の法は生き続けていた、というような意味と解すれば、この部分は、「因果不昧」と考えられます。
 前段の、「魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ」も、因果そのもののようですが、それは因果と言うよりも、「自然」を言う、ということで、ここが禅師の批判となっている、ということでしょうか。
 大慧の頌はどうでしょうか。初めの二句は「不落不昧」を「石頭土塊」だというのですから、まったく「撥無因果」そのものと言えそうです。
 後半の「拍手呵呵」が前章の宏智の「阿呵呵」を指すのだとすれば、それを「憨布袋(愚鈍な布袋和尚)」になぞらえていることからして、宏智を否定していることになりそうでから、そうすると禅師の考えに沿うものであるように見えて、前半と相違します。
  もっとも、その憨布袋」こそが実は真実の人だったのだと言っているとも読めます。そうすると、圜悟の「豁達の空」に通じることになりそうで、終わりの「自然見解」に一致します。
 というわけで、禅師は、この三人、宏智、圜悟、径山をまとめて、否定して、次節が結びとなります。》

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2 龍女~3

 この龍女(リュウニョ)、むかしは毗婆尸仏(ビバシブツ)の法のなかに、比丘尼となれり。禁戒を破(ハ)すといふとも、仏法の通塞(ツウソク)を見聞(ケンモン)すべし。
 いまはまのあたり釈迦牟尼仏にあひたてまつりて、三帰を乞受(コツジュ)す。ほとけより三帰をうけたてまつる、厚殖善根(コウジキゼンゴン)といふべし。
 見仏の功徳、かならず三帰によれり。われら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如来をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三帰をうけず、見仏はるかなり、はぢつべし。
 世尊みづから三帰をさづけまします。しるべし、三帰の功徳、それ甚深(ジンジン)無量なりといふこと。天帝釈の野干(ヤカン)を拝して三帰をうけし、みな三帰の功徳の甚深なるによりてなり。
 

【現代語訳】
 この竜女は、昔、毘婆尸仏の教えによって出家し尼僧となりました。出家の禁戒を破ったけれども、きっと仏法の消息を見聞したことでしょう。
 そして今竜女は直接釈迦牟尼仏にお会いすることが出来て、自ら三帰依(仏陀、仏法、僧団に帰依すること)を願って受けました。このように、仏から三帰依を受けることが出来たのは、多くの善根を植えていたおかげといえましょう。
 仏にお会い出来るという功徳は、必ず三帰依によって得られるのです。我々は盲目の竜でも畜生の身でもないのに、仏にお会いすることもなく、仏に従って三帰依を受けることもなく、仏にお会いする縁が遠いということを、恥なければいけません。
 世尊(釈尊)は自ら竜女に三帰依を授けられました。このことから、三帰依の功徳は甚だ深く無量であることを知りなさい。帝釈天が野狐を礼拝して三帰依を受けたといわれるのも、すべて三帰依の功徳が甚だ深いからなのです。
 

《実はこの龍女は、初めに自身で語っていたように、昔「毗婆尸仏の法のなかに、比丘尼とな」っていたことがあったのでした(第八章)。それがあったので、彼女は、行状はけしからぬものであっても、仏法のなんたるかを一応すでに知ってはいる、という前提がありました。
 その上で、今回、「三帰を乞受」したのだったという説明です。
 以前、優鉢羅華比丘尼という人が、酔余の興に袈裟を掛けて踊ったというだけの縁で、その後の悪行にもかかわらず、比丘尼となり阿羅漢になったという話がありました(「袈裟功徳」巻第二十章)が、そのことを考えれば、こちらは、ずいぶん立派な背景があります。
 ともあれ、これも前世での善根によってこの世でよい報いを受けたという話です。》


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4 7財物供養~10至処道供養

 第七に、財物を仏及び支提(シダイ)塔廟舎利に供養す。謂(イハ)く、財に三種有り。一には資具供養。謂く、衣食(エジキ)等なり。二には敬具(キョウグ)供養。謂く、香華(コウゲ)等なり。三には厳具(ゴング)供養。謂く、余(ヨ)の一切の宝荘厳(ホウショウゴン)等なり。
 第八に勝(ショウ)供養。勝に三種有り。一には専ら種々の供養を設く。二には純浄の信心(シンジン)。仏徳の重きを信じ、理供養に合(カナ)ふ。三には廻回心(エコウシン)。仏を心中に求めて供養を設く。
 第九に無染(ムゼン)供養。無染に二有り。一には心無染、一切の過を離る。二には財物無染、非法の過を離る。
 第十に至処道供養。謂く、供養果に順ふを、至処道供養と名づく。
 仏果は是れ其の所至之処、供養之行(ギョウ)は、能く彼の処に至るを至処道と名づく。至処道供養を、或は法供養と名づけ、或は行供養と名づく。中に就きて三有り。一には財物供養を、至処道供養と為す。二には随喜供養を、至処道供養と為す。三には修行供養を、至処道供養と為す。
 仏を供養すること、既に此の十供養有。法に於ても僧に於ても、類するに亦同然なり。謂く、供養法とは、仏所説の理教行法に供養し、并びに経巻に供養す。供養僧とは、謂く、一切の三乗の聖衆、及び其の支提、并びに其の形像、塔廟及び凡夫僧に供養す。
 

【現代語訳】
 第七、財物を仏や仏の霊廟、塔廟、舎利(仏の遺骨)に供養する。その財物には次の三種類がある。一は生活資具を供養する。衣食などである。二は敬意の具を供養する。香や花などである。三は荘厳の具を供養する。その他のあらゆる装飾品などである。
 第八に勝供養(すぐれた供養)。勝供養には次の三種類がある。一は専ら種々のものを供養する。二は清浄な信心。仏の功徳は得難いものであると信じ、道理に適った供養をする。三は回向心(自らの善根功徳を人々に回らし施す心)。仏を心の中に求めて供養をする。
 第九は無染供養(汚れに染まらない供養)。無染には次の二つがある。一は心の無染(心が汚れていないこと)。心が一切の過ちを離れていることである。二は財物の無染(財物が汚れていないこと)。財物が非法の過ちを離れていることである。
 第十は至処道供養(仏道修行による供養)。仏道修行の成果によって供養することを至処道供養と名づける。
 仏の悟りは、我々の至るべき所であり、供養を行えばその所に至ることが出来るので至処道と名づける。
 至処道供養を、ある人は法の供養と名づけ、ある人は行の供養と名づけている。この中には三つがある。一に、財物の供養(仏 僧に財物を供養すること)を至処道供養という。二に、随喜の供養(仏法僧を喜んで供養すること)を至処道供養という。三に、修行の供養(仏道を修行して供養すること)を至処道供養という。
 仏を供養するには、このような十種の供養がある。これは法の場合でも僧の場合でも、その種類は同じである。法を供養するとは、仏(釈尊)の説かれた理法、教法、行法に供養することであり、また経巻を供養することである。僧を供養するとは、すべての三乗(声聞乗、縁覚乗、菩薩乗)の聖者たちやその霊廟、その形像、塔廟や凡夫僧を供養することである。
 

《供養の種類、第七から十ですが、ちょっとよくわからないところです。
 第七の前節の第五と同じように思えますが、どうなのでしょうか。
 第八、第九は、供養する物、形の話であって、それぞれが前の六種と横並びの一つの種類であるというのも、よくわかりません。
 第十は、供養一般の話のようで、これが一種に数えられるのはへんに思われます。それに、「供養果に順ふを、至処道供養と名づく」と言いますが、この巻の初めから供養には「果」を求めてはならないということが、さんざん言われてきていたはずで、そのこととどう繋がるのか、…。
 いろいろと、どうもよく分かりません。》


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2 支提供養 ~6

 塔龕(トウガン)とは、
 爾(ソ)の時に波斯匿(ハシノク)王、仏の所(ミモト)に往詣(オウケイ)して頭面(ズメン)に足(ミアシ)を礼(ライ)し、仏に白(マウ)して言(マウ)さく、
「世尊、我等迦葉仏の為に塔を作れり。龕(ガン)を作ることを得んや不や。」
 仏の言はく、「得ん。」
 過去世の時、迦葉仏 般泥洹(ハツナイヲン)したまひし後、吉利(キリ)王、仏の為に塔を起(タ)つ。面の四面に龕を作り、上に獅子像、種々の綵画(サイガ)を作る。前に欄楯(ランジュン)を作りて華処(ケショ)を安置し、龕の内には幡蓋(バンガイ)を懸(カ)く。
 若し人、世尊は貪欲瞋恚(シンイ)愚癡已に除きたまふに、但(タダ)自ら荘厳(ショウゴン)して楽を受くと言はば、越毘尼罪(オビニザイ)を得ん。業報重からん。是を塔龕と名づく。」
 あきらかにしりぬ、仏果菩提のうへに、古仏のために塔をたて、これを礼拝供養したてまつる、これ諸仏の常法なり。かくのごとくの事おほけれど、しばらくこれを挙揚(コヨウ)す。
 仏法は有部(ウブ)すぐれたり。そのなかに、僧祇律(ソウギリツ)もとも根本なり。僧祇律は、法顕(ホッケン)はじめて荊棘(ケイキョク)をひらきて、西天(サイテン)にいたり、霊山(リョウゼン)にのぼれりしついでに将来するところなり。祖祖正伝しきたれる法、まさしく有部に相応せり。
 

【現代語訳】
 塔龕(塔下部の仏像を収める厨子)とは、
 波斯匿王は塔を作ると、仏の所にやって来て、頭に仏の足を頂いて礼拝し、仏に申し上げた。
「世尊よ、我々は迦葉仏のために塔を建てました。その塔に龕(仏像を祀る厨子)を作ってもよろしいでしょうか。」
 仏は「よろしい。」と答え、そして言われた。
「過去の世の時代に、迦葉仏が入滅された後に、吉利王はその仏のために塔を建てられた。その塔の基壇の四面には龕が作られ、上には獅子の像と様々な美しい絵が描かれ、前には欄干を作って花を飾り、龕の内には旗と天蓋がつるされていたのである。
 もし、世尊は貪りの心、怒りの心、愚かな心を既に除いておられるのに、自らを飾って楽を享受している、と言う人があれば、それは戒律を犯す罪となり、その行いの報いは重いことであろう。これが塔龕である。」
 明らかに知られることは、釈尊は仏の悟りを得られた上で、昔の仏のために塔を建てて、礼拝し供養されたということです。これは諸仏の変わることのない作法なのです。このような事例は多いのですが、とりあえずこれを取り上げて示しました。
 仏法の中では、有部(説一切有部 一派)の教えが優れています。その中でも僧祇律(僧の戒律について述べたもの)は、仏法の最も根本の教えと言うべきものです。この僧祇律は、中国の法顕が、初めて茨の道をかき分けて遠くインドへ行き、経典を学んで霊鷲山などの仏跡を巡ってきた折に将来したものです。歴代の祖師が正しく伝えてきた法は、まさしく有部の教えに合致しているのです。
 

《塔の作り方の結びは「塔龕」の扱い方です。「龕」は、一字の読みは「かん」で、意味は「ずし。神体や仏像を安置する小さな箱」(『漢語林』)だそうですが、何とこれによって、この辞書の最終ページを見ることになりました。関係ありませんが、辞書の編者の、ここに至ったときの感慨に思いを致しました。
 さて、この「塔龕」の話までが支提供養についての引用で、そして以下は、供養「十種」の第二、霊廟を供するということについての禅師自身の言葉です。
 「かくのごとくの事」は、諸仏が塔廟を供養したということを指しているのでしょう。
 この第二に限って、かくも長い説明が必要であるのは、古仏自体を供養するというのは理解できるとしても、本来、物に過ぎない塔廟を供養するというには、それなりに理由付けが必要だと考えられたからでしょうか。
 なお、「有部」というのは『提唱』によると、「『説一切有部』と呼ばれる部族」の名前で、釈尊がなくなって二、三百年後に「部派仏教」の時代があって、代表的な部派が二十ほどあった中の一つ、「この世の中は実在である」ということを主張した一派だそうです。その教えの「根本」である「僧祇律」に、ここまで語られてきたように塔を建てて古仏を供養することが書かれてある(第十八章1節)ということですが、実は『全訳注』によれば、「『摩訶僧祇律』は有部所属ではない」のだそうです。禅師にもこうした思い違いがあったというのは、ちょっとほっとする感じです。もちろん草稿の中だから起こったことなのでしょう。
 これを清書した如浄は、知っていてそのままにおいたのでしょうか。》


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