『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

十三

1 順後次受業~2 修善行の者

1 室羅筏(シラバ)国に昔二(フタリ)の人有り、一(ヒトリ)は恒に善を修し一は常に悪を作す。修善行(シュゼンギョウ)の者は一身の中に於いて恒に善行を修し未だ嘗て悪を作さず。作悪行(サアクギョウ)の者は一身の中に於いて常に悪行を作し未だ嘗て善を修せず。
 善行を修するもの、臨命終の時、順後次受の悪業力(アクゴウリキ)の故に、欻(タチマチ)に地獄の中有(チュウウ)ありて現前す。
 便ち是の念を作さく。「我が一身の中に、恒に善行を修して、未だ嘗て悪を作さず。応に天趣に生ずべし。何の縁にて此の中有ありて現前するや。」
 遂に念を起こして言(イワ)く、「我定んで応に順後次受の悪業有りて、今熟すが故に、此の地獄の中有現前せるならん。」
 即ち自ら一身より已来(コノカタ)修する所の善業を憶念して深く歓喜を生ず。
 勝善思現在前するに由るが故に、地獄の中有は即便(スナワチ)ち陰歿(オンモツ)して、天趣の中有欻爾(タチマチ)に現前し、此れ従り命終して天上に生ぜり。
 

【現代語訳】
 室羅筏国に昔、二人の人間がいました。一人は常に善を修め、もう一人は常に悪を為していました。善行を修める者は、一生の中に於いて常に善行を修して、未だ悪を為したことがありませんでした。また悪行を為す者は、一生の中に於いて常に悪行を為して、未だ善を修めたことがありませんでした。
 善行を修めた者は、命が終わる時になって、順後次受の悪業力のために、たちまち地獄の中有が目の前に現れました。
 そこで自ら思うに、「私は一生の中に常に善行を修めて、未だ悪を為したことは無い。それなら天界に生まれるはずである。何の因縁でこの地獄の中有が現れるのだろう。」と。
 そして思い至って言うに、「私にはきっと前世に順後次受の悪業があり、それが今熟して、この地獄の中有となって現れたのであろう。」と。
 そこで、自ら一生の中に修めた善業を思い起こして、深く喜びました。
 すると、優れた善の思いを起こしたことによって、地獄の中有はすぐに消え、天界の中有がたちまち現れて、その命が終わると天上界に生まれました。
 

《前章の終わりの謎の言葉を受けた例話で、まずはその中の「思惟それ善なれば、悪すなはち滅す」の例です。
 現世で悪をなしたことのない人が死に臨んで地獄への道を示されました。その不都合を、彼は一度は不審に思ったのですが、しかし自分の前々世において悪をなしたことがあって、今の世においてその報いを受ける(順後次受)のだろう、と考えました。
 そして自分が前世において悪をなさず、ひとえに善をなしてきたことを思って「歓喜」したのでした。
 すると、そのように大変優れたよい考えをまざまざと思ったことによって、さっきまで目の前にあった「地獄の中有」は消えて、彼は「天上」に生まれたのでした、…。
 途中、「作さく」と「定んで」が読めませんが、どうやら「なさく」、「さだんで」と読むようです。「為す」の体言化した形、「定めて」の音便形ということでしょうか。》


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二祖慧可~1

 真丹(シンタン)第二祖、太祖正宗普覚(ショウシュウフガク)大師は、神鬼(ジンキ)ともに嚮慕(キョウボ)す、道俗おなじく尊重(ソンジュウ)せし高徳の祖なり、曠達の士なり。伊洛に久居して群書を博覧す。くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。
 法高徳重のゆゑに、神物倏見(ジンモツシュクケン)して、祖にかたりていふ、
「将(マサ)に受果を欲(オモ)はば、何ぞ此(ココ)に滞るや。大道遠きに匪(アラ)ず、汝其れ南へゆくべし。」
 あくる日、にわかに頭痛すること刺がごとし。其師(ソノシ)洛陽龍門香山宝静(コウザンホウジョウ)禅師、これを治せんとするときに、空中に声有りて曰く、
「此れは乃ち骨を換ふるなり、常の痛みに非ず。」
 祖、遂に見神の事を以て、師に白(モウ)す。師、其の頂骨を視るに、即ち五峰の秀出せるが如し。乃ち曰く、
「汝が相、吉祥(キチジョウ)なり、当に所証有るべし。神の汝南へゆけといふは、斯(ソ)れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり。」
 この(オシエ)をききて、祖すなはち少室峰に参ず。神(ジン)はみづからの久遠修道(クオンシュドウ)の守道神なり。
 

【現代語訳】
 中国の第二祖、太祖正宗普覚大師、神光慧可(エカ)は、神と鬼に慕われ、出家者と在家者から尊重された高徳の祖師であり、心の広い人物でした。伊洛に久しく住んで、さまざまな書物を学びました。この国でも希な優れた人物であり、会い難き人でした。
 仏法に優れ人徳に優れた人なので、ある日 神がにわかに現れて慧可に言いました。
「仏法の悟りを求めているのなら、どうしてここに居るのですか。大道は遠方ではありません。あなたは南へ行きなさい。」
 慧可は次の日、にわかに刺すような頭痛がしました。師の洛陽竜門の香山宝静禅師が、これを治そうとすると、空中から声がしました。
「これは骨を換えているのです。普通の痛みではありません。」
 そこで慧可は、前日 神に会ったことを師に話しました。師がその頭の骨を見てみると、それは五つの峰が秀でているようでした。そこで師は言いました。
「お前には吉祥の相が現れている。きっと悟る所があろう。神がお前に南へ行けと言ったということは、少林寺の達磨大師が、きっとお前の師に違いない。」
 この教えを聞いて、慧可は少室峰の達磨大師の所へ行きました。その時の神は、慧可自身の、永遠の修行の守り神でした。

 

《二十六人目は二祖慧可です。『行持』が、先の達磨の項の書き出しが「真丹初祖」であったことに対応していると指摘して「これによってわれわれは、前章の達磨と同じく、著者が、どのように、この第二祖慧可の行状を伝えているかに関心を注がれる」と言います。
 とは言え、実は達磨の場合、その「行状」はそれほど語られず、語られたのはむしろその業績の大きさなのでした。
 ところがここはいきなり、ある日突然頭の形が変わった、それも「五つの峰が秀でているよう」に骨の形からして変わった、という、思いがけないエピソードが語られます。
 それは不思議な語られ方です。
 まず先に、彼の「法高徳重」に感じた神が彼に南に行くことを勧める、ということがあって、その翌日、彼の頭の形が変わるという「吉祥」が現れ、そこで南へというのは達磨のところという意味だと教えたと言います。
 ということは、彼が優秀であることは分かっていたが、それだけでは達磨の元に行くには足りず、頭の構造変革が必要だった、というようなことなのでしょうか。
 「伊洛」(「伊水と洛水の二つの河水」(『行持』)から少林寺は、地図を見るとほぼ真東に当たり、南とは言えないように思われ、それも不思議ですが、ともあれ、彼は勧めに従って達磨の門をくぐります。




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2 法常~2

 師の坐禅には、八寸の鉄塔一基を頂上におく。如載(ニョザイ)宝冠なり。この塔を落地却(ラクチキャク)せしめざらんと功夫(クフウ)すれば、ねぶらざるなり。
 その塔、いま本山にあり、庫下(クカ)に交割(コウカツ)す。
 かくのごとく辨道すること、死にいたりて懈惓(ケゲン)なし。
 

【現代語訳】
 師が坐禅する時には、八寸の鉄塔を頭の上に置いて、宝冠をかぶっているようでした。この塔を落とさないように努めることで、眠らなかったのです。
 その塔は今、大梅山にあり、護聖寺の庫院に代々引き継がれています。
 法常禅師は、このような修行を死ぬまで怠らなかったのです。

 

《法常禅師の行持の峻厳な様を、具体的な一端を挙げて語ります。
 坐禅の時に頭に「八寸の鉄塔」を載せて睡魔と戦った、といいます。鉄で作った五重塔のようなものを考えればいいのでしょうか、鉄塔という言い方にも驚かされますが、八寸は、普通に考えれば一寸が三,〇三㎝ですから、ざっと二五㎝、ずいぶん高いものですから、重さもかなりのものでしょう。細身の背の高いものですから不安定で、載せておくだけでも大変でしょうが、その上重いもので、しかも鉄ですから落ちれば、その落ち方では怪我もしかねません。
 目がちゃんと覚めていても、なかなかの緊張感でしょう。
 見た目にはかなり滑稽な姿と思われますが、そんなことは頓着しない人柄が思われます。もっとも山のてっぺんで、人から離れたところですから、その点は問題ないのでしょうか。
 一事が万事で、一切がこうした一途な修行だったということと思われます。
 「その塔、いま本山にあり」について『行持』が「おそらく著者(禅師)が、在宋中、諸山を遍歴して、大梅山護聖寺に宿泊した時に、実際に見聞した事実にもとづくものであろうと推測される」と言います。大梅山は「浙江省寧波府を去ること、東南七十里にある山」(同)。寧波は天童山の近く、一里は、日本でならおよそ4㎞で二百八十キロですが、中国の一里は五百㍍前後のようで、それなら三十五㎞ですから、そんなに遠い距離ではありません。

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1 法常~1

 大梅山は慶元府にあり、この山に護聖寺(ゴショウジ)を草創す。法常禅師その本元なり。禅師は襄陽人(ジョウヨウニン)なり。
 かつて馬祖の会(エ)に参じてとふ、「如何是仏(ニョガゼブツ)」と。
 馬祖いはく、「即心是仏」と。
 法常このことばをききて、言下大悟(ゴンカダイゴ)す。
 ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて、人倫に不群なり、草庵に独居す。松実(ショウジツ)を食(ジキ)し、荷葉(カヨウ)を衣(エ)とす。かの山に小池(ショウチ)あり、池に荷(カ)おほし
 坐禅辨道すること三十余年なり。人事(ニンジ)たえて見聞(ケンモン)せず、年暦おほよそおぼえず、四山青又黄(シザンセイコウコウ)のみをみる。おもひやるは、あはれむべき風霜なり。
 

【現代語訳】
 大梅山は慶元府にあり、この山に護聖寺を草創しました。法常禅師が開山です。禅師は襄陽の人です。
 法常は、以前に馬祖(道一禅師)の道場を訪れて尋ねました。「仏とは、どのようなものでしょうか。」
 馬祖は、「即心是仏」と答えました。
 法常はこの言葉を聞いて、言下に大悟しました。
 そこで法常は、大梅山の絶頂に登って人々に群せず、独り草庵に住みました。そして松の実を食べ、蓮の葉を衣にして日々を送ったのです。その山には小さな池があり、池には蓮がたくさん生えていたのです。
 法常は、この地で坐禅修行すること三十年余りでした。その間、世間の事をまったく見聞きせず、年数も覚えることなく、ただ周りの山々が緑や黄色に色付くのだけを見ていました。思えば、気の毒な修行の年月でした。
 

《十三人目、法常禅師(七五二年―八三九年)で、ここから四章に渡ります。
 「即心是仏」については、先に同名の巻がありましたので、そちらに譲りますが、ともかく師のその一言で「大悟」して(「大いなる悟りに達して」・『行持』)、山に籠もっての厳しい行持に入り、三十年に及びました。
 終わりの「あはれむべき風雪なり」は、『行持』もここと同様に「まことに同情に堪えられない年月であった」と訳していますが、『全訳注』は「なんとまあ心をひかれる年年歳歳というものであろうか」と言い、『提唱』も同様です。
 やはりここはそのように解釈して、一途な修行ぶりを讃歎していると考える方がいいのではないでしょうか。
 途中、「かの山に小池あり、池に荷おほし」が、妙に具体的な説明です。語りながら、禅師にどんな思いがあったのでしょうか。》


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2 

 われら出家受戒のとき、身心依正(シンジンエショウ)すみやかに転ずる道理あきらかなれど、愚蒙にしてしらざるのみなり。
 諸仏の常法、ひとり和修鮮白に加して、われらに加せざることなきなり。随分の利益(リヤク)、うたがうべからざるなり。かくのごとくの道理、あきらかに功夫参学すべし。
 善来得戒の披体の袈裟、かならずしも布にあらず、絹にあらず、仏化(ブッケ)難思なり。衣裏(エリ)の宝珠は算沙(サンジュ)の所能にあらず。
 

【現代語訳】
 我々が出家受戒すれば、身心の果報はたちまち変わるという道理は明らかなのですが、我々は愚かなので、気が付かないだけなのです。
 諸仏の不変の法は、商那和修と鮮白だけに与えて、我々に与えないということはありません。我々にも、分相応の利益があることを疑ってはなりません。このような道理を、はっきりと精進して学びなさい。
 釈尊に「よく来た」と呼び掛けられて出家受戒した者が、その身に着けていた袈裟は、必ずしも綿や絹であるとは限りません。仏の教化は思量し難いものです。衣の裏に隠れた宝珠は、経典の教えを無益に数え上げる学者の知る所ではないのです。
 

《前節は、最初の一行に目をとられて、まったく読み間違えていました。
 和修については「この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる」とあり、鮮白にも「生得の俗衣、すみやかに転じて袈裟となる」とあるのを読み落としていました。
 商那和修と鮮白が生まれたときから着ていた衣服が、「出家受戒」の後には「袈裟」に変じたと言います。ということは、実際的には、かつての俗服がそのまま袈裟として通用した、または通用させたということなのでしょうか。
 しかし、それでは「正伝」の袈裟ということにならないように思われます。
 あるいは、その俗服を、一度ばらして、改めて「正伝」の袈裟の形に仕立てたということなのかも知れませんが、それならそうと話してほしいと思います。
 さて、この節です。
 私たちも、「出家受戒」することで(ということはつまり、袈裟を身につけることによって、と考えていいでしょうか)、生来備えている仏性が顕現する、と言います。
 ここで『提唱』が「だからそういう点では、われわれ自身も生まれたときからお袈裟をつけておるというふうな理解ができる」と言っていて、それによれば、前節の私の理解のようなことになりそうです。
 つまり、袈裟を身に着ければ人はそのまま仏になる、それが当人に自覚されるかどうかは別の問題だ、ということです。
 そう言えば、「現成公案」巻に「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく」とありました(第一章7節)が、そのことを言っているのでしょうか。そこで私は「現成公案」巻第一章7節でホーソン作『大きな石の顔』のアーネストの生き方を挙げておきました。
 そうすると、悟りには二つの道があるようであって、ひとつは先にあった東坡蘇軾や香厳智閑のようにある時忽然翻然と自覚的に気づく(「渓声山色」第一章2節、第四章1節)という道であり、もう一つがここにある商那和修と鮮白の場合です。

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