『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

十三

1 袈裟は絹布等にあらざること

 商那和修(ショウナワシュ)尊者は、第三の附法蔵なり。うまるるときより衣と俱生(クショウ)せり。この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。
 また鮮白(センビャク)比丘尼、発願施氎(セジョウ)ののち、生生(ショウショウ)のところ、および中有、かならず衣と俱生せり。
 今日釈迦牟尼仏にあふたてまつりて出家するとき、生得(ショウトク)の俗衣、すみやかに転じて袈裟となる、和修尊者におなじ。
 あきらかにしりぬ、袈裟は絹布等にあらざること。いはんや仏法の功徳よく身心諸法を転ずること、それかくのごとし。
 

【現代語訳】
 商那和修尊者は、釈尊から第三代の正法を受け継いだ人です。この人は、生まれた時から衣を身に着けていました。その衣は、在家の時は俗服であり、出家すると袈裟になりました。
 また鮮白比丘尼は、前世に発願して仏に衣を施してからは、生まれ変わる度に、そして生まれ変わる間にも、必ず衣を身に着けていました。
 そして今日、釈尊にお会いして出家すると、生得の俗衣は、すぐに袈裟になりました。これは商那和修尊者の場合と同じです。
 これらのことから、明らかに知ることは、袈裟は絹や綿などではないということです。まして仏法の功徳が身心の全てを変えていくことは、このように明らかなのです。
 

《商那和修と鮮白の二人の人は、衣を着た姿で生まれたと伝えられていて、「成長するにつれてその衣も大きくなり、出家の時に袈裟になった」(『読む』)と『西域記』という書にあるのだそうです。
 これは、現実にはあり得ない話ですが、伝説として聞くなら大変ありがたい話として、何の問題もないでしょう。しかし禅師は、このことからも、人の世界でいう布ではなくて、袈裟は袈裟という別個のものであることは明らかなのだ、と説きます。
 すると禅師はこの話を、伝説ではなく現実の話と考えているのでしょうか。しかし、それは、前に、絹糸は蚕ではなくて樹神が吐き出したものだという説(化糸の説・十二章1節)を、「わらふべし」と否定した禅師には、考えられないことのように思われます。
 あるいは、この伝説に何か寓意を読み取って、それを根拠としている、ということなのでしょうか。
 『読む』は「袈裟は人間本具の仏性の象徴なのである。衣とともに生まれ、衣は人の生長とともに大きくなり、出家すれば袈裟となる」と言っています。これは、つまり「生まれたときから衣を身につけて」いたとは、仏性を持って生まれることであり、生長とともにその仏性が袈裟を着る姿をとる、つまり仏になる、というような理解、ということのように思われます。
 ということになると、ここに至って袈裟は、これまでの「体色量」を持った、物としての袈裟とは全く異なり、「象徴」であることさえ超えて、いわば仏性という言葉の同義語に変わったわけです。
 少なくとも、袈裟にはその二面がある、ということのようです。》

3 眼処聞声

 徹地の堂奥は、初心の浅識にあらず、ただまさに先聖(センショウ)の道をふまんことを行履(アンリ)すべし。このとき、尋師訪道するに、梯山航海あるなり。
 導師をたづね、知識をねがふには、従天降下(コウゲ)なり、従地涌出(ユシュツ)なり。その接渠(セッコ)のところに、有情に道取せしめ、無情に道取せしむるに、身処(シンジョ)にきき、心処(シンジョ)にきく。
 若将耳聴(ニャクショウニチョウ)は家常(カジョウ)の茶飯なりといへども、眼処聞声(ゲンジョモンショウ)これ何必不必なり。
 

【現代語訳】
 大悟徹底の所は、初心の浅い見識で窺うことは出来ません。ですから、もっぱら先の仏祖の道を踏んで修行しなさい。この時に、師を尋ね道を尋ねて、山を越え海を渡って行くのです。
 そうして導師を尋ね、師を望むなら、師は天から降りてくるのです。地から涌き出てくるのです。その彼を教え導くために、衆生に法を説かせ、石や木に法を説かせて、それを身体で聞き、心で聞くのです。
 それをもし耳で聞けば、日常のありふれた事ですが、眼でその声を聞くということも無くはないのです。
 

《仏道の奥深い境地は、初心のものが考えるようなものではない、それはただ先哲の後を踏むことによってしか得られないものである、…。
 「尋師訪道するに、梯山航海あるなり」は『全訳注』の「その時に師を訪ね道を問えば、山に攀じ、海を渡ることもできるのである」という解釈がいいように思います。「山」「海」は具体的な道程を言うのではなく、「徹地の堂奥」を指すと考えるわけです。
 そのように本気で師を求めれば、必ずや自然と師に巡り会えるのだ、…。
 「渠」は彼で、ここの訳は修行者を指すという解釈(『哲学』も同じ)ですが、現れた師を指すという訳もあります。
 「接渠」、その人に接するとき、その師は、修行者をして有情無情のものから真理を感じ取らせ、修行者はそれを体全体で、心で聞くのだ、…。
 「従天降下」「従地涌出」は、「導師」がそのように現れるということでもあり、また「道取」すべき真実は、そのように彼の前に現れる、ということでもあるでしょう。
 「若将耳聴」は、訓読するなら、「もし将に耳をもって聴かんとすれば」とでも読むのでしょうか。
 「眼処聞声」は眼処に声を聞く、と読み、「何必不必」は、『全訳注』が「『なんぞ必ずしも必せんや』というほどの句である」として「必ずしも誰にでもできることではない」と訳しています。
 その真実は、決して眼で見、耳で聞くのではない、目で聞き、耳で見ることもあるのだ、つまり全身で感じるのだ、ということなのでしょう。そういうことは、初心の者にはもちろん難しいことで、「導師」の導きによって初めて可能なことなのだ、…。
 話がやっと初めの「谿声山色」の本題に帰ってきたような気がします。

 


2 

 修行の力量、おのづから国土をうることあり、世運の達せるに相似せることあり。かくのごとくの時節、さらにかれを辨肯すべきなり、かれに瞌睡(カッスイ)することなかれ。
 愚人(グニン)これをよろこぶ、たとへば癡犬(チケン)の枯骨をねぶるがごとし。賢聖(ケンショウ)これをいとふ、たとへば世人の糞穢(フンネ)をおづるににたり。
 おほよそ初心の情量は、仏道をはからふことあたはず、測量(シキリョウ)すといへども、あたらざるなり。初心に測量せずといへども、究竟(クキョウ)に究尽(グウジン)なきにあらず。
 

【現代語訳】
 また仏道修行の力によって、仏法が自然に国土に広まったり、世の中が一見仏法に叶うようになる場合があります。そのような時には、更にそれを弁えるべきです。それに油断して居眠りしてはいけません。
 愚かな人は、これを喜ぶのです。例えば、愚かな犬が干からびた骨を喜んでなめるようなものです。賢人聖人はこれらの事を嫌うのです。例えば、世の人が糞便を恐れるようなものです。
 およそ初心の人の思慮分別では、仏道を推し量ることは出来ません。推し量っても当たらないものです。しかし、初心の人に推し量れなくても、修行を究めた人に、究め尽くすことが無い訳ではありません。
 

《ここも、世間の評価や他人の褒貶に目を向けてはならないという話ですが、それは翻って、あくまでも自分の初心をしっかりと保って、それだけを指針にしなさいということのようです。
 初めは純粋に道を求めていても、ある程度周囲に認められていくと、これでいいのではないかという気がしてくる、というのは、人間の甘さというか弱さというか、ついつい湧いてくる気持ちでしょう。
 もっとも、最初が不純なスタートだという場合もありそうで、第十章2節でそれに触れて、そうしているうちに正師に会うことがあればよいのだということでした。しかし、正師に会うには、正師を求める心がなければならないでしょうから、どこかで自分の中で本筋に入ることが必要だと思われます。そうならなかったのが、少林寺の達磨における二人の僧(十二章1節)だということになりそうで、そういう人もいるわけです。
 そもそも、仏道の深いところは、「初心」の人に容易に到達することができるはずはないもので、自分でそうだと思っても、当たっていない。「修行」の人は、ちょっとした到達感に満足することなく、本来自分が求めようとしたものが何であるかを常に忘れずに励めば、初めは解らなかったことでも、「究め尽くすことが無い訳ではありません」。
 あくまでも、自分が本来求めるべきものを見失うな、という教えであるように思われます。》

1 

 又むかしより、天帝(テンタイ)きたりて行者の志気(シイキ)を試験し、あるひは魔波旬(マハジュン)きたりて行者の修道(シュドウ)をさまたぐることあり。
 これみな名利の志気はなれざるとき、この事ありき。大慈(ダイズ)大悲のふかく、広度衆生の願の老大なるには、これらの障礙(ショウゲ)あらざるなり。
 

【現代語訳】
 又昔から、帝釈天がやって来て修行者の志を試験したり、或いは悪魔が来て行者の修行を妨げることがあります。
 これらは皆、行者が名利の心を離れない時に、このような事があるのです。大慈大悲の心深く、衆生済度の誓願の久しく広大な人には、これらの障害はないのです。
 

《「又」と始まる意味が分かりにくいので、この巻を振り返って見ると、第九章までは得道の決定的瞬間のさまを語り、第十章から後は、そういういわば奇跡的一瞬を捉えるために、仏道を修するにあたって、それを害するものへの処し方を説いているようで、その十章では、他人の思惑に気をとられるなということ、十一章ではそれを裏返して、自らの初心を忘れるなということ、十二章では世間には積極的に害そうとして向かってくるものがあり、それへの処し方が語られていました。
 こうしてみると「谿声山色」という巻名は、主に第九章までのことからの名であるようです。
 『全訳注』は、訳の各段落に小見出しを付けていますが、ここの第十章にあたるところに「名利の心を離れること」、第十一章2節に「初心を忘れざること」として、ここに至っています。
 ここでは、「天帝」や「魔波旬」が修道を妨げることについての話です。「天帝は帝釈天。…須弥山に住み、釈尊の修行中はさまざまに身を変じて、その修行試めして見たが、仏成道後は、梵天と共に仏法守護の神となる。魔波旬は魔王波旬の意。波旬は善根慧命を断つ。シヴァを指すという」(『哲学』)のだそうですが、現実的には、修行者自身の内心の迷いと戦うべきことを言うのでしょう。
 修行中に生じるそういう心の迷いは、結局はこれも「行者が名利の心を離れない」ことから起こるのだ、というわけです。》

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