『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

十五

悉達太子の出家

 「悉達(シッタ)太子、車匿(シャノク)が辺より、摩尼雑飾荘厳(マニゾウキショウゴン)七宝の把刀(ハトウ)を索取して、自ら右の手を以て彼(カノ)刀を執り、鞘より抜き出して、即ち左の手を以て、紺青の優鉢羅色(ウハツラシキ)の螺髻(ラケイ)の髪を攬捉(トリ)て、右の手に自ら利刀を持って割取し、左の手を以て擎(ササ)げて空中に擲置(テキチ)す。
 時に天帝釈、希有(ケウ)の心を以て大歓喜を生じ、太子の髻(モトドリ)を捧げて、地に堕せしめず。天の妙衣(ミョウエ)を以て承受し接取す。爾(ソ)の時に諸天、彼(カノ)上天(ジョウテン)に勝れたる諸の供具を以て之を供養せり。」
 これ釈迦如来そのかみ太子のとき、夜半に踰城(ユジョウ)し、日たけてやまにいたりて、みづから頭髪を断じまします。ときに浄居天(ジョウコテン)きたりて、頭髪を剃除したてまつり、袈裟をさづけたてまつれり。これかならず如来出世の瑞相なり、諸仏世尊の常法なり。
 三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。過去有仏(ウブツ)のゆゑに、出家受戒の功徳あり。衆生の得道、かならず出家受戒によるなり。おほよそ出家受戒の功徳、すなはち諸仏の常法なるがゆえに、その功徳無量なり。
 聖教(ショウギョウ)のなかに在家成仏の説あれど、正伝にあらず。女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず。仏祖正伝するは、出家成仏なり。
 

【現代語訳】
 「シッダールタ太子は、従者のチャンナから宝石で飾った刀を受け取って、自ら右手で鞘から抜き、左手で青蓮華色をした螺形の髻をつかんで右の手に鋭い刀を持って切り取り、左の手で空中に投げ捨てた。
 その時に帝釈天は、太子の希有な心を知って大いに喜び、太子の髻が地に落ちないように天の美しい衣で受けた。そして天神たちは、天上のすばらしい供物でこの髪を供養した。」
 釈迦如来がむかし釈迦国の太子であった時に、夜半にカピラ城を脱け出して、日が高くなってから山に入り、自ら頭髪を切り落として出家されたということです。その時には浄居天がやってきて太子の頭髪を剃って差し上げ、仏衣の袈裟をお授け申し上げたといわれます。このように出家は、きまって如来が世に出る時のめでたいしるしであり、諸仏の変わることのない作法なのです。
 三世(過去現在未来)十方(すべての方角)の諸仏は皆、一人として在家のままで仏となった方はおられません。過去に仏がおられるのは、出家受戒の功徳なのです。ですから、衆生が仏道を悟るには、必ず出家受戒することが大切です。およそ出家受戒の功徳は、それが諸仏の変わらぬ作法であることから分かるように、その功徳は無量なのです。
 聖教の中には、在家のままで仏になるという説もありますが、これは仏祖の正しく伝えた教えではありません。また女身のままで仏になるという説もありますが、これもまた仏祖の正しく伝えた教えではありません。仏祖の正しく伝えてきた教えは、出家して仏になるということです。
 

《ここから第十九章まで、三人の祖師の出家の様子が語られます。
 最初は釈尊の出家です。初めの引用の部分は、原文は漢文です。
 話はわかりやすいのですが、いずれもたいした意味はないだろうとは思うものの、いろいろ細かなところが気になります。
 「車匿」は人名のようで、チャンナ(『提唱』ではチャンダカ)、「太子の出城にあたっては、馬を御して従ったという」(『全訳注』)という人です。「辺より」は、あたりという、普通の意味のようですが、従者のあたりから剣を受け取ったというのは、なんだか変です。
 さらに、続けて右手、左手に妙にこだわっていますが、これも、たいした意味はないのでしょう。
 切った髻を空中に投げ上げた、というのも、真面目に出家しようという人の振る舞いとしては、どうもちょっと不似合いな気がします。帝釈天が登場しやすいように、演出上の工夫をした、というような感じです。
 ともかく、王子の出家は、このように天の使いによって祝福されたのだよ、と禅師は言います。
 終わりに、急に「女身成仏」の話が出てきて、それは「正伝にあらず」と言われます。普通に読めば女性は成仏できないのだということで、例えば「辨道話」の「十八問答」の第十三の問い(第十八章3節)の答えにもある禅師の男女平等の主張に反しているように見えます。
 これについて『提唱』が、男女を超越しなければ仏にはなれないという意味だと一ページ以上を費やして解説していますが、それなら特に「女身」を取り上げる必要はないはずです。女性のことはよく分かりませんが、男に比べて女性の方が、「性」ということを離れにくいというような考え方があって、その難しさを言っている、というようなことがあるのでしょうか。逆に、そういうふうに何か問題がある方が仏に近づくことになりやすいという考え方もあるわけですが。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


長沙の「業障本来空」

 皓月供奉(コウゲツグブ)、長沙景岑(チョウサケイシン)和尚に問ふ。
「古徳云く、了ずれば即ち業障本来空(ゴウショウホンライクウ)なり、未だ了ぜずば応に須らく宿債(シュクサイ)を償ふべしと。只師子尊者二祖大師の如きは、什麽(ナニ)としてか債を償い得去るや。」
 長沙云く、「大徳は本来空を識らず。」
 皓月云く、「如何なるか是本来空。」
 長沙云く、「業障是なり。」
 皓月又問ふ、「如何なるか是業障。」
 長沙云く、「本来空是なり。」
 皓月無語。
 長沙便(スナワ)ち一偈を示して云く、
「假有(ケウ)は元有に非ず、
 假滅(ケメツ)も亦無に非ず、
 涅槃と償債の義、
 一性(イッショウ)にして更に殊(コト)なること無し。」
 

【現代語訳】
 皓月供奉(供奉は貴人に仕える役人)が長沙景岑和尚に尋ねました。
「古人の言葉に、悟れば悪業(悪しき行い)の障りは、本来実体が無いものである。まだ悟っていなければ、過去世の悪業の報いを受けなければならない、とあります。それなら、師子尊者や二祖大師(慧可)のような人たちは、なぜ災難を受けたのでしょうか。」
 長沙は答えて、「あなたは、本来実体が無いことを知らない。」
 皓月は尋ねました。「本来実体が無いとは、どういうことでしょうか。
 長沙はこたえて、「悪業の障りのことである。」
 皓月は又尋ねました。「悪業の障りとは、どういうものでしょうか。」
 長沙は答えました。「本来実体が無いということである。」と。
 皓月は黙ってしまいました。
 長沙はそこで一つの教えを説きました。
「全てのものは元来仮の姿であって、実体あるものではない。
 また全てのものは仮に滅するのであって、無になるわけではない。
 涅槃と悪業の報いを受けることは、
 一つの性であって少しも違わない。」と。
 

《「業障」の読み方は、ここでは「ごうしょう」となっていますが、『全訳注』によれば、一般には「ごっしょう」と読むのだそうです。また解釈は、「悪業をつくって正道を障(そこな)うこと」と言います。
 「了ずれば即ち業障本来空なり」とはどういうことか。文字通りには、「悪業をつくっても」、悟りを得れば、その悪業は消えて、「正道」を得る障り(妨げ)になることはない、という意味であろうと思われますが、どうしてそういうことがあるのか。いや、確かに、現世において犯していても、仏門に正しく帰依すれば、それは、その罪の大きさ以上の功徳をしたことになるのだと考えれば、あり得る考え方と言えそうです。
 さて、師子尊者というのは「外道の謀略にあい、王に処刑された」(『全訳注』)人(サイト「瑞雲院法話のページ・師子尊者の話」が参考になります)であり、二祖大師(「断臂」で名高い人)も「最期は処刑された」(同)のだそうです。
 そこで、ここの問いは、「業障」は、悟った人にとっては「本来空」だと言われるのに、師子尊者や二祖大師のような、立派に悟りを得たはずの方が、どうして災厄(処刑)を受けなければならなかったのか、「宿債を償ふ」、つまりこれまで語られてきた「いはゆる善悪之報有三時焉」(第二章2節)ということを受けなければならないのは、悟りがない人だけであるはずではないのか、というものです。
 それに続くやりとりは、まさしく禅問答の様相で、「本来空」とは「業障」のことだと言って、その意味を終わりの偈で示しているようです。
 偈の終わりの二句の訳はちょっと分かりにくいのですが、『全訳注』は「入滅といい、負い目を償うといい、べつに異なる義があるのではない」と訳しています。双方を合わせて考えると、「涅槃」とは「償債」のことなのだということになりそうです。しかしどうしてそんなことが言えるのか、…。
 ここの長沙の応えに対して、次で禅師は異論を呈します。》

慧可~4

初祖あはれみて昧旦(マイタン)にとふ、「汝、久しく雪中に立って、当に何事をか求むる。」
 かくのごとくきくに、二祖、悲涙ますますおとしていはく、「惟(タダ)願わくは和尚、慈悲をもて甘露門を開き、広く群品(グンボン)を度(ド)したまえ。」
 かくのごとくまうすに、初祖曰く、「諸仏無上の妙道は、曠劫(コウゴウ)に精勤(ショウゴン)して、難行能行(ナンギョウノウギョウ)す、非忍にして忍なり。豈(アニ)小徳小智、軽心慢心を以て、真乗を冀(コイネガ)はんとせん、徒労(イタズラ)に勤苦(ゴンク)ならん。」
 このとき、二祖ききていよいよ誨励(カイレイ)す。ひそかに利刀をとりて、みづから左臂(ヒダリヒジ)を断って置于師前(チウシゼン)するに、初祖ちなみに、二祖これ法器なりとしりぬ。 
 乃ち曰く、
「諸仏、最初に道(ドウ)を求むるに、法の為に形を忘る。汝今、臂を吾前(ワガマエ)に断つ、求むること亦(マタ)可なること在り。」
 これより堂奥に入る。執侍(シュウジ)八年、勤労千万、まことにこれ人天の大依怙(ダイエコ)なるなり、人天の大導師なるなり。かくのごときの勤労は、西天(サイテン)にもきかず、東地はじめてあり。
 

【現代語訳】
 初祖達磨は、慧可を哀れに思って明け方に尋ねました。「おまえは長い間 雪の中に立って、一体何を求めているのか。」
 このように尋ねると、二祖 慧可は悲しみの涙をますます落として答えました。「どうかお願いでございます、和尚様。お慈悲をもって甘露の法門を開き、広く人々をお救い下さい。」
 このように答えると、初祖は言いました。「諸仏の無上の妙道は、永劫に精進して、行じ難きことをよく行じ、忍び難きことを忍ばねばならぬ。徳や智慧の少ない者が軽々しく慢心して、真の宗乗を求めようとしても、徒に苦労するだけである。」
 この時、二祖はその言葉を聞いて、いよいよ自らを励ましました。そして、密かに鋭い刀を取って自ら左臂を断ち、それを師の前に置きました。初祖は、これによって二祖が法の器であることを知り、そこで言いました。
「諸仏が最初に道を求めた時には、法の為に自分の身体を忘れたと言う。おまえが今、臂を私の前で断って道を求めていることも、またよしとすべきであろう。」
 慧可は、この時から師の堂奥に入りました。そして師に仕えること八年、あらゆる修行に力を尽くしました。まことにこの人は、人間界天上界の大きな心の拠り所であり、人間界天上界の大導師でした。このように求道に力を尽くした人は、インドでも聞かず、東地中国でも初めてのことでした。
 

《禅史に名高い「慧可断臂」の場面です。
 達磨は慧可をかわいそうに思って、夜明けにやっと声を掛けました。慧可は入門の許しを泣いて訴えたのですが、「悲涙ますますおとして」というのがよく分かりません。
 もちろん「(雪)ややつもりて腰をうづむあひだ、おつるなみだ滴滴こほる」(1節)を受けたもので、そちらは希望が見えないのですから「悲涙」というのにふさわしいでしょうが、ここは達磨が声を掛けてくれたのですから、せめて哀願の涙と考えたいところで、その両方を「ますます」でひとくくりにしてはまずいように思われます。
 その達磨の言葉は、修行は大変なもので、軽はずみに始めても苦労するだけだからやめておいた方がいいという、それまでの厳しい拒絶的な対応とは打って変わった、大変優しいもののように感じられます。
 そこで、慧可は、思いがけない断臂という行動でその決意の固さを示すことになります。「断って置于師前」したと言いますから、腕を切り落としてしまったわけです。「ひそかに利刀をとりて」とあり、どうしてそんなものを持っていたのか、と不思議な気がしますが、ウイキペデイアは、実は慧可は早くから片臂がなかったので、こういう伝説が生まれたのだ、という説を挙げています。
 確かに、臂まで切り落とさせなくても、一夜深い雪の中に佇んで請われれば、特に相手に遺恨でもない限り、それを拒否する理由は、普通はなさそうに思われます。
 そうまでさせた達磨と、そこまでの希求を抱いた慧可の、すでに歴史の中に消えそれぞれの個人的事情・背景を知りたく思いますが、それは週刊誌的のぞき見趣味と言われねばならないでしょうか。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

法常~6

あるとき、馬祖ことさら僧をつかはしてとはしむ、
「和尚そのかみ馬祖を参見せしに、得何(トクガ)道理、便住此山(ビンジュウシザン)なる。」
 師いはく、「馬祖われにむかひていふ、即心是仏。すなはちこの山に住す。」
 僧いはく、「近日仏法また別なり。」
 師いはく、「作麽生(ソモサン)別なる。」
 僧いはく、「馬祖いはく、非心非仏とあり。」
 師いはく、「這老漢(シャロウカン)、ひとを惑乱すること、了期(リョウゴ)あるべからず。 任他非心非仏、我祗管(ガジカン)即心是仏。」
 この道をもちて馬祖に挙似(コジ)す。馬祖いはく、「梅子熟也(バイスジュクヤ)。」
 この因縁は、人天みなしれるところなり。
 

【現代語訳】
 あるとき、馬祖は試しに師の所へ僧を遣わして質問しました。
「和尚は以前、馬祖に見えて、どんな道理を会得して、この山に住むようになったのですか。」
 師は答えて、「馬祖は私に、即心是仏と言った。それでこの山に住んでいる。」
 僧が言うには、「馬祖の近頃の仏法は、それとは違います。」
 師が言うに、「どのように違うのか。」
 僧が答えるに、「馬祖は、非心非仏(心でも仏でもない)と言っています。」
 師が言うに、「この老人は、また人を惑わせているようだな。非心非仏と言うなら言っておればよい。私はひたすら即心是仏だ。」
 師は、この言葉で馬祖に答えたのです。これを聞いた馬祖は言いました。「梅の実は熟したようだ。」と。
 この法常禅師の因縁は、人間界天上界に広く知られているところです。
 

《興味深い話です。法常は馬祖の「即心是仏」という言葉に大悟して大梅山に籠もったのでした(第十三章)。ところがここでは、馬祖はこの頃「非心非仏」ということを言っているが、どうなのかと、使いの僧から問われます。
 あなたに即心是仏と教えた当の師匠が現在は考え方を変えているのに、あなたがいつまでも元の言葉を信奉し続けているのは、遅れているのではないか、いわゆる、舟に刻みて剣を求む、という類いではないか、という問いでしょう。
 それに対する法常の答えがなかなか微妙です。
 「即心是仏」と「非心非仏」については、『行持』が「仏法から言えば、基本的には即心即仏であり、即心是仏であるが、それに執してとらわれると、かえって真を失うという配慮から、心をも仏をも否定する必要があるという意を示している」と言いますが、「非心非仏」をネットで検索すると、ここでのやりとりを取り上げた様々な法話、解説が出てきて、そのおおむねは、「即心是仏」と「非心非仏」とは、同じこと、ないし表裏の関係にある、と考えるのが一般のようです。
 「即心是仏」巻で禅師は「即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり」と言っていました(第七章)が、「発心・修行・菩提・涅槃」を修証する姿を即心是仏と言い、あのありようは「非心非仏」でなくてはならぬ、というようなことでしょうか。
 「這老漢」の「這」は、「この」、「老」は目上の人への敬意、親愛を示す語、「漢」は男性の呼称で、馬祖を指す(使いの僧を指す、という考え方もあるようですが)と考えられます。
 あの老僧は、またそういうことを言って人を試しておいでのようだ、側の人は振り回されて大変だろうが、まあそういう教え方をなさるお方なのだ、私は即心是仏で行くのだよ、といった気持ちでしょうか。「了期」は議論の終(了)わる時。
 敬意・親愛を示しながら「あるべからず」と言い切っているのがいい感じです。敬意がある分だけ、かえって彼の断固たる確信・信念が感じられて、「梅の実は熟したようだ」というのも宜なるかなです。「梅の実」は、もちろん大梅山の僧であることをもじったもので、これもなかなかしゃれています。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


浣袈裟法

 浣袈裟法(カンケサホウ)
 袈裟をたたまず、浄桶(ジョウソウ)にいれて、香湯(コウトウ)を百沸して、袈裟をひたして、一時(イットキ)ばかりおく。
 またの法、きよき灰水(カイスイ)を百沸して、袈裟をひたして、湯のひややかになるをまつ。いまはよのつねに灰湯をもちゐる。灰湯ここにはあくのゆといふ。灰湯(カイトウ)さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、たびたびこれを浣洗するあひだ、両手にいれてもみあらはず、ふまず。あかのぞこほり、油のぞこほるを期(ゴ)とす。
 そののち、沈香(ジンコウ)、栴檀香等を冷水に和(ワ)してこれをあらふ。
 そののち、浄竿(ジョウカン)にかけてほす。よくほしてのち、摺襞(シュウヘキ)して、たかく安じて、焼香散華して、右遶数帀(ウニョウスウソウ)して礼拝したてまつる。
 あるいは三拝、あるいは六拝、あるいは九拝して、胡跪(コキ)合掌して、袈裟を両手にささげて、くちに偈(ゲ)を誦(ジュ)してのち、たちて如法(ニョホウ)に著(ヂャク)したてまつる。
 

【現代語訳】
 袈裟を洗う方法
 袈裟を畳まずに水桶に入れて、清浄な湯を十分に沸かして袈裟を浸して暫く置く。
 もう一つの方法は、清浄な灰水を十分に沸かして、袈裟を浸して湯の冷めるのを待つ。今では普通 灰湯を使用する。灰湯は、日本ではあくの湯という。灰湯が冷めたならば、その清く澄んだ湯で袈裟を何度も洗い、その時に両手でもみ洗ったり踏んだりしない。そのようにして、垢が除かれ、油が除かれるまで洗うのである。
 その後、沈香 栴檀香などを混ぜた冷水でこれを洗う。
 そして清浄な竿に掛けて干す。袈裟を十分に干してから畳んで高所に安置し、香を焚いて花を散らし、右回りに数回まわって礼拝をする。
 或いは三拝、或いは六拝、或いは九拝してから胡跪(右膝を地に着け、左膝を立てて上体を起こす。)して合掌し、袈裟を両手で捧げて、袈裟を掛ける言葉を口に称えてから、立って作法に従って身に着ける。
 

《こういうところは、我々俗人はなるほどと思って読むだけでよいでしょう。
 ただ、その中でもなるほどと思うところがあって、一つは冒頭の「たたまず」で、それから、後の「もみあらはず、ふまず」です。
 「たたまず」は、もちろんその方が全体が湯水によく浸されるからでしょうが、「もみあらわず」からは丁寧に扱う気持ちが見えます。さすがに、踏み洗いなどはもってのほかでしょう。
 もう一つのやり方は「灰水」を使うというものです。
 サイト「石鹸百科」によれば、「日本に初めて石鹸が入ってきたのは十六世紀。一般庶民が石鹸を使うようになったのは明治以降」とあり、さらに「灰汁(アク)は、最古の洗剤として紀元前から使われていたといわれ、旧約聖書などに灰汁という言葉がしばしば出ています。日本でも洗濯には昔から木灰の灰汁が用いられ、…石鹸や合成洗剤が普及する第二次大戦後まで、洗浄剤として広く一般に使われていました」とあります。
 いずれにしても、ただ湯水に浸しておくだけで汚れが落ちるのを待つ、というのですが、それでどのくらい汚れが落ちるのか、ちょっと心配になります。もっとも、それも、なにか、らしいと言えば、そうも思えますが。
 また、香を水に溶いて使うというのも、あまり聞いたことのない使用法です。
 なお、ここの訳文は、この節だけが「ですます」ではなくて常体になっています。意図はよく分かりませんが、そのままに置きました。》

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
  • ライブドアブログ