『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

十七

如来世尊、はるかに一切を超越しまします

いま世尊の金言(キンゴン)、それかくのごとし。東土愚闇の衆生、みだりに仏教に違背(イハイ)して、仏道とひとしきみちありといふことなかれ。すなはち謗仏(ボウブツ)謗法となるべきなり。
  西天の鹿頭(ロクトウ)、ならびに論力(ロンリキ)、乃至(ナイシ)長爪(チョウソウ)梵志、先尼梵志等は、博学の人たり、東土にむかしよりいまだなし。孔老さらにおよぶべからざるなり。これらみなみづからが道(ドウ)をすてて、仏道に帰依す。
 いま孔老の俗人(ゾクニン)をもて仏法に比類せんは、きかんものもつみあるべし。いはんや阿羅漢、辟支仏も、みなつひに菩薩となる、一人としても小乗にしてをはるものなし。いかでかいまだ仏道にいらざる孔老を、諸仏にひとしといはんや。大邪見なるべし。
 おほよそ如来世尊、はるかに一切を超越(チョウオツ)しましますこと、すなはち諸仏如来、諸大菩薩、梵天帝釈、みなともにほめたてまつり、しりたてまつるところなり。西天二十八祖、唐土六祖、ともにしれるところなり。おほよそ参学の力あるもの、みなともにしれり。
 いま澆運(ギョウウン)のともがら、宋朝愚闇のともがらの、三教一致の狂言もちゐるべからず。不学のいたりなり。

 正法眼蔵 四禅比丘 第十

建長七年 乙卯(キノトウ)夏安居の日、御草案本を以て書写し畢(オワ)る。 懐弉


【現代語訳】
 ただ今の世尊(釈尊)の金言(仏の言葉)は、それこのようであります。中国の愚かな人々よ、みだりに仏教に背いて、仏道と等しい道があると言ってはいけません。それは仏を謗り法を謗ることになると言うべきです。
 インドの鹿頭や論力、また長爪梵志、先尼梵志などは、博学の人であり、これに匹敵する人は、中国には昔からまだ出ていないのです。孔子老子は決して及ぶことが出来ない人たちなのです。これらが皆、自らの道を捨てて仏道に帰依しました。
 今、孔子老子という俗人の教えをもって、仏法に比べることは、それを聞き入れる者にも罪があります。まして仏法では、小乗の阿羅漢や辟支仏も、皆最後には大乗の菩薩となるのであり、一人も小乗で終る者はいないのです。それなのに、どうしてまだ仏道に至らない孔子老子を、諸仏に等しいと言えましょうか。それは大きな邪見です。
 およそ世尊(釈尊)が、遥かに一切の人々を超越しておられることは、諸仏や諸大菩薩、梵天や帝釈天などが、皆共に褒めておられ、知っておられるのです。インドの二十八代の祖師たちや中国の六代の祖師たちも、共に知っているのです。およそ師に参じて学ぶ力のある者は、皆共に知っているのです。
 今の末世の修行者たちは、宋国の愚かな者たちの説く三教(仏教 儒教 道教)は一致するという、でたらめな説を信用してはいけません。それはまったく仏道を学んでいない者の言うことです。

 正法眼蔵 四禅比丘 第十

建長七年、夏の禁足修行期間に御草案本を書写し終る。懐弉


《四禅比丘批判を枕にして、延々と続いてきた三教一致説批判の終わりです。
 孔老荘の説くところと仏法の最も大きな違いは、前者がもっぱら現世を語るのに対して、仏法は過現未の三世を見通して、その間に因果のつながりを見ているという点と言えばいいでしょうか。
 しかし、『全訳注』は「鋭い批判」と言っていますが、厳しいとは言えても、あまり鋭く核心を突いた批判のようには感じられないのですが、どうなのでしょうか。
 ただ、孔老荘と釈尊を同日に論ずることに我慢がならなかったようだということは、その言葉の激しさからよく分かります。
 ともあれ、この巻は、人を、現実世界だけにおける存在と考えず、永遠の時間の中において、そこでの因果因縁での繋がれ、生まれ変わり生き変わるもの、と考えることの大切さを強調する話となっている、と考えれば、禅師の当初の趣旨に添うものと考えていいのではないでしょうか。》

「四禅比丘」巻 おわり
 次は、「受戒」巻を読んでみます。



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提多迦の出家~2

それ諸仏の法にあふたてまつりて出家するは、最第一の勝果報なり。その法すなわち我のためにあらず、我所のためにあらず、身心のためにあらず、身心の出家するにあらず。出家の我我所にあらざる道理かくのごとし。
 我我所にあらざれば、諸仏の法なるべし。ただこれ諸仏の常法なり。諸仏の常法なるがゆゑに、我我所にあらず、身心にあらざるなり。三界のかたをひとしくするところにあらず。かくのごとくなるがゆゑに、出家これ最上の法なり。
 頓にあらず、漸(ゼン)にあらず。常にあらず、無常にあらず、来にあらず、去にあらず、住にあらず、行(ギョウ)にあらず、広にあらず、狭にあらず、大にあらず、小にあらず。作(サ)にあらず、無作(ムサ)にあらず
 仏法単伝の祖師、かならず出家受戒せずといふことなし。いまの提多迦(ダイタカ)、はじめて優婆毱多(ウバキクタ)尊者にあふたてまつりて出家をもとむる道理、かくのごとし。出家受具し、優婆毱多に参学し、つひに第五の祖師となれり。
 

【現代語訳】
 そもそも諸仏の法に出会って出家できることは、最高の果報なのです。出家の法は、私のためでなく、私の所有物のためでなく、この身や心のためでなく、身や心が出家するのでもありません。提多迦の言う、出家が私や私の所有物のためではない道理とはこの通りです。
 出家が私や私の所有物のためでなければ、それは諸仏の法です。もっぱらこれが諸仏の不変の法なのです。諸仏の不変の法なので、私や私の所有物のためでなく、身や心のためでもないのです。世間でこの法と肩を並べるものはありません。このような理由で出家は最上の法と言うのです。
 諸仏の法は、すぐ悟るものでも次第に悟るものでもなく、恒常なものでも無常なものでもなく、来るものでも去るものでもなく、止まるものでも行くものでもなく、広いものでも狭いものでもなく、大きいものでも小さいものでもなく、働きのあるものでも働きのないものでもありません。
 このようにして、仏法相伝の祖師方は、必ず出家受戒しました。この提多迦が、初めて優婆毱多尊者にお会いして出家を願ったことも同様です。そして出家受戒し、優婆毱多尊者に学んで、ついに釈尊から第五代目の祖師となりました。
  

《またしても、『大きな石の顔』のアーネスト(「現成公案」巻第一章7節)を思い出します。彼は幼いときからその生涯ずっと、この村出身の「大きな石の顔」の偉人を待ち続けていました。
 そのひたすらな真摯な希求が、彼を、知らず知らずのうちに(「作にあらず、無作にあらず」)、少しずつ(「頓にあらず、漸にあらず」)「真実」の世界に導いていたのです。
 そして、彼の日常の何気ない生活(「来にあらず、去にあらず、住にあらず、行にあらず」)が、隅々まで(「広にあらず、狭にあらず、大にあらず、小にあらず」)、「その「真実」に沿うありかたに(いわば「行持」に)なっていっていたのではないでしょうか。
 そしてそれはほとんど一本道だったのですから、つまり、彼が「大きな石の顔」を信じたときから、彼はすでにその人であったということでもあります。
 ただ、彼は西洋人ですから、「出家」ということを知らなかっただけでしょう。ちなみに、彼は(私の読み落としでなければ)家庭を持つことをしなかったようです。
 その物語の最後は、彼自身が敬愛する詩人から、アーネストこそが「大きな石の顔」ではないかと指さされた後、「ゆるやかな足取で、家路についたのであった。彼よりも更に思慮の深い善良な人がまもなく現れて、その人こそ、人面の大岩に本当に似ていることを尚も心に念じながら」と結ばれます。
 実は、私はこれまで、この姿を、これこそ仏ではないかと思っていました。しかし、今ここを引用してみて、これはまだ本当には分かっていないのではないか、まだ他に求めている状態なのではないか、という気がしてきました。本当は、他に求めるのではなく、自分で把握しなければならないのではないと思います。もちろんそれは、我こそは、という自覚ではなく、「真実」とは何か、ということについての自覚です。
 いつか誰か、という不確定なものではなく、確かなものを把握したという確信ですが、それが「単伝」の仏法のあり方なのではないか、…。
 ここはそれを確信した人の話なのではないかと思います》

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2 八種の業

 参学のともがら、この三時業をあきらめんこと、鳩摩羅多尊者のごとくなるべし。すでにこれ祖宗の業なり、廃怠(ハイタイ)すべからず。
 このほか不定業(フジョウゴウ)等の八種の業あること、ひろく参学すべし。いまだこれをしらざれば、仏祖の正法つたはるべからず。
 この時業の道理あきらめざらんともがら、みだりに人天の導師と称することなかれ。
 

【現代語訳】
 仏道を学ぶ仲間は、この三時業を鳩摩羅多尊者のように明らかにしなさい。これは仏祖の宗門の務めであり怠ってはいけません。
 この他に果報の時期が定まらない不定業など、果報のある業と果報のない業と合わせて八種の業があることを広く学びなさい。これを知らなければ仏祖の正法は伝わらないのです。
 ですから、この三時業の道理を明らかにしていない仲間は、みだりに人間界天上界の導師と称してはいけません。
 

《この節の「このほか」以下終わりまでは『全訳注』にもある言葉で、「不定業」「八種の業」については、以下の注があります。
「不定業」・順不定業である。つまり果報を受ける時期の定まらない業である。
「八種の業」・順現報受業などの三つに、いまの不定業を加えると四種の業になる。それらを善悪によってさらに二つにわければ八種の業となるのである。
 そして『全訳注』は、この後に、先に挙げた短い文章があって(第十六章3節)、次の第十八章の文章に合流します。その短い文章がちょっと気になりますので、再掲します。
「かの三時の悪業報、かならず感ずべしといえども、懺悔するがごときは、重きを転じて軽受せしむ。また滅罪清浄ならしむるなり。善業また随喜すれば、いよいよ増長するなり。これみな作業の黒白にまかせたり。」
 気になるのは、前世において行ったことは当人には分からないことではないかと思うのですが、それを「懺悔」することができるだろうか、ということであり、また、できるとして、それなら先にあった師子尊者や二祖大師は、あれほどの人でありながら「懺悔」をしなかったのだろうか、ということです。
 あるいは、「懺悔」していたからこそ、災厄があの程度で済んだのだということなのかもしれませんが。…。》


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1 長沙批判~4

 のち偈にいはく、「涅槃償債の義、一性(イッショウ)にして更に殊(コト)なること無し。」
 なんぢがいふ一性は、什麽(ナン)の性なるぞ。三性のなかに、いづれなりとかせん。おもふらくは、なんぢ性をしらず。
 涅槃償債の義とはいかに。なんぢがいふ涅槃は、いづれの涅槃なりとかせん。声聞(ショウモン)の涅槃なりとやせん、支仏の涅槃なりとやせん。諸仏の涅槃なりとやせん。たとひいづれなりとも、償債の義にひとしかるべからず。
 なんぢが道処、さらに仏祖の道処にあらず、更に草鞋を買ふて行脚すべし。
 師子尊者二祖大師等、悪人のために害せられん、なんぞうたがふにたらん。最後身にあらず、無中有(ムチュウウ)の身にあらず、なんぞ順後次受業のうくべきかなからん。
 すでに後報(ゴホウ)のうくべきが熟するあらば、いまのうたがふところにあらざらん。
 あきらかにしりぬ、長沙いまだ三時業をあきらめずといふこと。
 

【現代語訳】
 長沙は後に教えを説いて、「涅槃(煩悩の滅)と悪業の報いを受けること(祖師の死)は、一つの性であって少しも違わない。」と言いました。
 あなたの言う一つの性とは、いったい何の性を言うのでしょうか。三性(善の性、悪の性、善でも悪でもない性)の中のどれを言うのでしょうか。思うに、あなたは性を知らないのです。
 「涅槃と悪業の報いを受けること」とはどういうことでしょうか。あなたの言う涅槃は、どの涅槃なのでしょうか。
 声聞(仏の説法を聞いて悟る者)の涅槃でしょうか、それとも支仏(自ら縁起の法を観じて悟る者)の涅槃でしょうか、それとも諸仏の涅槃のことを言っているのでしょうか。たとえ何れであっても、涅槃は悪業の報いを受けることと同じではありません。
 あなたの説く所は、まったく仏祖の教えではありません。もう一度、草鞋を買って行脚修行してくることです。
 師子尊者や二祖大師(慧可)などが、悪人のために害されたことを、どうして疑うことが出来ましょうか。祖師は、輪廻を脱して仏となる最後身の菩薩ではありませんし、極善を修めて死後すぐに善処に生まれるという中有の無い身でもありません。どうして順後次受業の報いを受けないものでしょうか。
これは、すでに順後次受業の報いを受けるべき時が熟したのであって、今疑うところではないのです。
 明らかに知ることは、長沙がまだ三時業(三時にわたる善悪業の報い)を明らかにしていないということです。
 

《文中の「なんぢ」は長沙を指すのでしょう。彼を厳しく問い詰める形で語られます。弟子に語って聞かせるはずの話ですから、こういう呼びかけはそぐわないように思うのですが、この書には時折こういう語り口が見られます。
 正法のためには一歩も引かないという一徹な面と、そう言っては失礼ですが、真っ正直で激しやすい一面もあったのではないかという気がします。
 そして結局、皓月の「師子尊者二祖大師の如きは、什麽としてか債を償い得去るや」という問い(第十五章1節)に対する禅師の答えは、「後報のうくべきが熟する」ことによるものなのだ、とされます。
 師子尊者や二祖大師が現世においていかに優れた師であっても、前世またはそのまた前世において悪業があったのであれば、その報いは最終的には逃れることはできないのであって、そういう人には相応の悪業があったのだというものでした。
 その悪業(善業にしても同じでしょうが)が何であったか、それを今の当人は知ることはできないのです。ただ、彼等は、現世においてその報いとして災厄に遭ったのですが、次世においては、現世における優れた行いによって間違いなく涅槃を得ることができるだろう、ということになります。
 長沙にはそのことが分かっていなかった、そういう長い視野が欠けていると禅師は厳しく激しく批判します。》


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石頭希遷

石頭大師は、草庵を大石にむすびて、石上に坐禅す。昼夜にねぶらず、坐せざるときなし。衆務を虧闕(キケツ)せずといゑども、十二時の坐禅かならずつとめきたれり。
 いま青原(セイゲン)の一派の天下に流通(ルヅウ)すること、人天を利潤せしむることは、石頭大力の行持堅固のしかあらしむるなり。いまの雲門、法眼(ホウゲン)のあきらむるところある、みな石頭大師の法孫なり。
 

【現代語訳】
 石頭大師(希遷)は、草庵を大石に結んで、石の上で坐禅しました。昼夜に眠らず坐していない時はありませんでした。日々の務めを欠くことはありませんでしたが、一日の坐禅を必ず努めたのです。
 今日、青原(行思)の一派が天下に広まって人々を利益していることは、石頭の優れた力による堅固な修行のお蔭なのです。今日の雲門宗や法眼宗で、法の眼を明らかにした人たちは、皆、石頭大師の法孫です。
 

ここは、前節末の寺を創建しなかったという話の例として語られているようにも見えますが、『全訳注』、『行持』ともに、独立した一人の例話として扱っていますので、これだけの短い話ですが、これで一章とし、この石頭大師を慧可に続く二十七番目の人と数えることにします。
 「「六祖の大鑑慧能の弟子となったが、具足戒を受けない前に、師の入寂に会い、その遺命に従って、廬陵の青原山に住していた、慧能の弟子の行思に随侍した」(『行持』)という人です。
 「草庵を大石にむすびて」は、何のことかと思いますが、文字どおり石の上に草庵を作ったようです。
 「衆務を虧闕せずといゑども、十二時の坐禅かならずつとめきたれり」も妙な言い方で、普通は「いゑども」ではなく、「その上に」とつなぐところでしょう。
 達磨と慧可が正法を伝えたという点で評価されているのと違って、ここは普通の行持が優れているという点で取り上げられている、ということで、独立した扱いということでしょうか。行持の「堅固」であったことが、後継の人々の範となったことが讃えられています。
 彼は「具足戒」を受けていないからでしょうか、「仏祖」巻の仏祖五十七人の内には挙げられていませんが、『行持』が、この人については「仏道」巻で取り上げられていることを示していて、そこで禅師は「仏道の正伝、ただ、無際(石頭の諡・おくりな)のみ、唯達なり」と言っていますから、それで言えば、やはり慧可と同じく、法を受け継いだ扱いになっているとも言えます。
 なお、この人のミイラが総持寺に祀られてあり、毎月二十五日には、無際大師月忌が営まれるのだそうです。》

 

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