『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

十九

僧伽難提の出家~2

在家出家の称、このときはじめてきこゆ。
 ただし宿善のたすくるところ、天光のなかに坦路(タンロ)をえたり。つひに王宮をいでて石窟にいたる、まことに勝躅(ショウチョク)なり。世楽をいとひ俗塵をうれふるは聖者なり、五欲をしたひ出離をわするるは凡愚なり。
 代宗、粛宗しきりに僧徒にちかづけりといへども、なほ王位をむさぼりていまだなげすてず。盧(ロ)居士はすでに親を辞して祖となる。出家の功徳なり。
 ほう居士はたからをすててちりをすてず、至愚なりといふべし。
 盧公の道力(ドウリキ)と ほう公が稽古と、比類にたらず。あきらかなるはかならず出家す、くらきは家にをはる、黒業(コクゴウ)の因縁なり。
  

【現代語訳】
 在家、出家という呼び名は、この僧伽難提尊者の時代に初めて聞かれるようになりました。
 さて尊者は、過去世の善業に助けられて、天空の光の中に一筋の平坦な道を得ることが出来ました。そして遂に王宮を出て石窟に至り出家したのです。まことに勝れた先人の足跡というべきです。世間の楽しみを厭い、俗世のけがれを愁える人は聖者であり、五欲(名誉欲、色欲、食欲、財欲、睡眠欲など)を求めて、迷いを離れることを忘れている者は、愚かな凡人です。
 代宗皇帝、粛宗皇帝は、しばしば僧徒に親近して仏法を学びましたが、それでも王位に執着して、その地位を捨てることはありませんでした。盧居士は、母と別れて中国の六祖となりましたが、これは出家の功徳です。
 ほう居士は、自らの財産を舟に積んで河に沈めましたが、世俗を捨てることはありませんでした。愚の極みというべきです。
 盧居士の道力とほう居士の道の稽古とは比べ物になりません。道理に明るい者は必ず出家し、暗い者は在家で終わるのです。悪業の因縁によるものでしょう。
 

《最初の「在家出家の称」は、ここの訳では「在家、出家という呼び名」となっていますが、諸注、「在家のままの出家」という意味の熟語として解するのが普通のようで、話の流れからしても、その方が自然だと思われます。
 代宗、粛宗については、「袈裟功徳」巻のはじめ(第一章2節)に「唐朝中宗、粛宗、代宗、しきりに帰内供養しき」とありました。粛宗が玄宗皇帝の息子で、代宗はその息子のようですから、安禄山の乱で乱れた時代、それにしては仏道を尊んだということで、それなりに立派な皇帝だったのではないかと思われますが、禅師は容赦がありません。
 盧居士は「六祖慧能のなお居士であったころは廬氏であったので、かくいう」(『全訳注』)のだそうです。
 また、「ほう居士」は「龐居士」で「唐代の仏教者。名は蘊。衡州(湖南省衡陽)の人。馬祖と石頭に参禅して,印可を得るが,出家せず,晩年は家族と襄陽の鹿門山に住み,禅風を起こす」(コトバンク)という人です。優れた人だったようですが、出家しなかったので禅師の認めるところとなりませんでした。》

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3 大医~4

しるべし、一切諸法、悉皆解脱なり。諸法の空なるにあらず、諸法の諸法ならざるにあらず、悉皆解脱なる諸法なり。
 いま四祖には、未入塔時の行持あり、既在塔時の行持あるなり。生者(ショウジャ)かならず滅ありと見聞するは小見なり、滅者は無思覚と知見せるは小聞(ショウモン)なり。
 学道には、これらの小聞、小見をならふことなかれ。生者の滅なきもあるべし、滅者の有思覚(ユウシカク)なるもあるべきなり。
 

【現代語訳】
 知ることです。全てのものは、ことごとく皆解脱しているのです。これは、全てのものが空である、というのではありません。また、全てのものは全てのものとして存在しているわけではない、というのでもありません。元来、ことごとく皆解脱しているのが全てのものの様子なのです。
 先ほどの四祖(大医禅師)には、塔に入る前の行持があり、また、塔の中での行持がありました。ですから、生者には必ず滅があると見ることは、浅はかな考えであり、死者には思量覚知が無いと見ることは、狭い知識なのです。
 仏道を学ぶには、このような浅はかな知識や考えを学んではいけません。生者には滅がないこともあるだろうし、死者には思量覚知があってもよいのです。
 

《さて、そういう奇蹟はともかくとして、禅師よって「一切諸法、悉皆解脱」が説かれます。
 「諸法」は、この世のすべての事象の意、「解脱」は「ときはなたれること、…迷いや煩悩や苦悩や執着から抜け出て、自由となること」(『行持』)ですが、では「すべての事象は解き放たれている」とはどういうことか。
 それは「空」(「永続性ある実体ではなく変化して消滅してゆく、仮の存在」・『行持』)であることと間違えられやすいが、そうではない、…。
 つまり、言い換えれば「諸法の諸法ならざるにあらず」、すべての事象はそれ自体として実体を持っているのだ、…。
 ただし、それは「解脱なる諸法」である、生の実体を持ったものではなく、解き放たれたものとして存在しているのだ、…。ここでもまた、あの画家の見た風景(「現成公案」巻第三章6節)を思い出してみると、考えやすいように思います。
 実在としてだけの「諸法(もの)」は「空」であっても、ものがその所を得て存在しているとき、そのものはその輝きを増す、…。それを、解脱している、というように考えていいでしょうか。その時、時間は止まって、ものは時間の制約を受けず、それ自体としてそこに存在します。
 そういう輝きを見抜くこと、もののそういうあり方に気づくこと、また私自身がそういうあり方をすること、それさえできれば、…。
 大医はそれをなんとしても捉えたかったので、「未入塔時」には太宗の招きをも死を以て固辞し、「既在塔時」には後進に伝えようとしてみずから戸を開けたのでしょう。それは奇蹟ではありますが、ないことではないのかも知れません。


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2 大医~3

 高宗の永徽辛亥(エイキカノトイ)の歳、閏(ウルウ)九月四日、忽ちに門人に垂誡(スイカイ)して曰く、「一切諸法は、悉く皆解脱なり。汝等各自護念して、未来に流化(ルケ)すべし。」
 言ひ訖(オワ)りて安坐して逝す。
 七十有二、本山に塔をたつ。明年四月八日、塔の戸、故無くして自ら開く、儀相生けるが如し、爾後(ソノノチ)、門人敢て復閉じず。
 

【現代語訳】
 唐の高宗の代、永徽二年九月四日、四祖は、突然門人たちに教えて言いました。
「全てのものは、ことごとく皆解脱している。お前たちは、各自このことを大切に護り、未来に教えを広めなさい。」
 このように言い終わると、安坐して亡くなりました。
 寿は七十二歳。本山(破頭山)に墓塔が建てられました。明くる年の四月八日、塔の扉が理由もなく自然に開くと、その姿は生きているようでした。その後門人たちは、敢て扉を閉じようとしませんでした。
 

《大医の二つ目のエピソードです。
  死期を悟ったということでしょうか、急に弟子に教えを垂れて、そこに坐ったままで亡くなりました。その言葉は「一切諸法は、悉く皆解脱なり」でした。
 「諸法」の法については、『全訳注』が、「一には存在そのもの、二には、存在の法則、三には、存在の法則にもとづいて説かれた教えの三つの意味がある」と言っていました(「現成公案」巻頭)。
 「解脱なり」は、普通には「解脱である」という意味になり、ちょっと分かりにくいのですが、ここは諸注、「解脱している」という意味に解しています。特有の言い方だと思っておきます。意味は『提唱』によれば「われわれの住んでおる世界に存在するところの全ての者は、いずれも何らかの拘束を受けておるというふうなものではなく、それぞれがそれぞれの自由な立場で現にこの世界の中にある」といことのようですが、次節で少し詳しく考えてみます。
 そして死後に、寺に塔が建てられて、そこに亡骸が納められたのですが、七ヶ月の後に、どういうわけか、その塔の戸がひとりでに開いたのでした。
 どういうわけだったのでしょうか。手元の諸注は何も語ってくれません。戸が開いたので、弟子達が中に入ってみると、亡骸は「生けるが如し」だったと言います。
 実際には、戸の建て付けが緩んだということなのでしょう(ちょっと早い気がします)が、人々は、大医が自分のいなくなった世を案じている気持ちがそういう奇蹟を起こしたのだと考えた(「生けるが如し」だったから余計にそうだった)のでしょうか、その後、弟子達はその戸を閉めることをしなかったと言います。


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1 大医~2

 太宗は有義の国主なり、相見(ショウケン)のものうかるべきにあらざれども、かくのごとく先達の行持はありけると参学すべきなり。
 人主(ニンシュ)としては、身命ををしまず、引頸就刃して身命ををしまざる人物をも、なほ歎慕するなり。これいたづらなるにあらず、光陰ををしみ、行持を専一にするなり。
 上表三返、希代の例なり。いま澆季(ギョウキ)には、もとめて帝者にまみえんとねがふあり。
 

【現代語訳】
 太宗は道義を具えた国主ですから、会うことにおっくうであったわけではありませんが、我々は、このように先達が行持されたことを学ばなければいけません。
 人々の主の太宗としては、身命を惜しまずに、刀の前に首を伸ばす人物も、また感歎し敬慕するのです。この禅師は無用な事をしたわけではなく、光陰を惜しんで修行を専一にされたのです。
 国主の招きに三度までも断りの書を送ったことは、世にも希な例です。今日のような道徳人情のすたれた世には、自ら求めて帝王に見えようと願う者がいるものです。
 

《実は太宗は「有義の国主」だったので、会うことを厭わねばならないような人ではなかったのだが、大医はただ「行持を専一に」したいがために、招きに応じなかったのだ、と禅師は言います。
 「有義の国主」だったにしては、「如し果して赴か不んば、即ち首を取り来れ」というのは、穏やかでありませんが、当時の天子としては、このくらいのことは普通だったのでしょうか。
 それに復命する使いに相対する大医の「乃ち頸を引いて刃に就く、神色儼然たり」が見せ場で、ここは、さあ殺せというような態度ではなく、行持大事とする信念から生まれた凜とした覚悟を示した、それならばどうぞといった態度なのでしょう。
 しかし、こういうときに、その事情を言葉で説明することはできないものでしょうか。いや、それは天子の言葉と自分の考えを天秤に掛けるような話で、大変不敬なこととも思われます。やはり、暗黙の内に天子に理解してもらうほかにないような気がします。
 「珎繒を就賜して、以て其の志を遂ぐ」とありますから、太宗は、説明されないままに、それと察したということでしょうか。やはりこれは「有義の国主」たる所以でしょうし、言葉で伝えるよりも、受け取る感動は大きかったのでしょう。》


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法演~3

演和尚、あるときしめしていはく、「行(ギョウ)は思(シ)越ゆることなく、思は行を越ゆることなし。」
 この語おもくすべし。日夜に之を思い、朝夕に之を行ふべし。いたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず。
 いはんやこの日本国は、王臣の宮殿(グウデン)なほその豊屋あらず、わづかにおろそかなる白屋(ハクオク)なり。
 出家学道の、いかでか豊屋に幽棲するあらん。もし豊屋をえたる、邪命(ジャミョウ)にあらざるなし、清浄(ショウジョウ)なるまれなり。もとよりあらんは論にあらず、はじめてさらに経営することなかれ。
 草庵白屋は古聖(コショウ)の所住なり、古聖の所愛なり。晩学したひ参学すべし、たがゆることなかれ。
 

【現代語訳】
 法演和尚は、ある時、修行僧に教えて言いました。「行いは思いを越えることなく、思いは行いを越えることがない。」と。
 この言葉を重んじなさい。日夜にこの教えを思い、朝夕にこの教えを行いなさい。いたずらに東西南北の風に吹かれたようになってはいけません。
 言うまでもなく、この日本国は、国王大臣の宮殿でさえ、大きな家ではありません。簡素な茅葺きの家です。まして、出家して仏道を学ぶ者が、どうして大きな家に閑居することがありましょうか。もし大きな家を得たならば、それは悪い生活でないものはなく、清浄であることは希です。もとからある場合は問題ではないが、改めて建造してはなりません。  
 草庵、茅葺きは昔の聖人の住まいであり、昔の聖人が愛好したものです。晩学後進の人は、この先人を慕い学びなさい。これに背いてはなりません。
 

《ここはもちろん禅師が語っています。
 「演和尚、あるとき…」の話は『禅林宝訓』という書にあるのだそうです。前節の話とは別個に語られたもののようですが、禅師はそれをつなげて説いています。「行は思を…」の言葉は、行いと思いは一致しなければならなとも、ということでしょうが、この場合は、前半の「行は思を越ゆることなく」が問題とされているようです。
 「行」は僧たちの行持、「思」は寒いという気持ち、となりましょうか。どんなに立派な行持を行っていても、寒いことに気をとられるようでは、所詮その程度の行持だということであり、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」(ここでは、さしずめ、雪もまた暖かし、でしょうか)という行持でなくてはならない、と言っていることになります。
 そして禅師は、冷暖房の整った「豊屋」ではなく、「草庵白屋」こそが僧の住まいなのだと説きます。 
 途中、「もとよりあらんは論にあらず」が、ちょっと意外な言葉ですが、諸注、ここのように訳していて(例えば『全訳注』は「もともと有ればそれで結構である」)、もともと豊屋に住んでいるのなら、それはそれで構わない、ということのようです。
 禅師の言葉としてはずいぶん柔軟な考え方だという気がしますが、そういうことにこだわることもよくなく、ただあるがままを受け入れて、ただまっすぐに行持せよ、ということでしょうか。豊屋にあってなお厳しい行持の生活をする、というのは、それはそれで常に自分の行持が試練を受けることであるのですから、一段と大変な難事で、それ自体がまた一つの行持であるとも言えます。


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