『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

二十

3 臨済院義玄禅師曰く

 鎮州臨済院義玄禅師曰く、「夫れ出家は、須らく平常真正(ビョウジョウシンショウ)の見解(ケンゲ)を辨得し、辨仏、辨魔、辨真、辨偽、辨凡、辨聖(ベンショウ)すべし。若し是の如く辨得せば、真の出家と名づく。
 もし魔仏辨ぜざれば、正に是一家を出でて一家に入るなり、喚んで造業(ゾウゴウ)の衆生と作(ナ)す。未だ名づけて真正の出家と為すことを得ず。」
 いはゆる平常真正見解といふは、深信(シンジン)因果、深信三宝等なり。辨仏といふは、ほとけの因中果上の功徳を念ずることあきらかなるなり、真偽凡聖をあきらかに辨肯するなり。もし魔仏をあきらめざれば、学道を阻壊(ソエ)し、学道を退転するなり。
 魔事を覚知してその事にしたがはざれば、辨道不退なり。これを真正出家の法とす。いたづらに魔事を仏法とおもふものおほし、近世の非なり。学者はやく魔をしり、仏をあきらめ修証すべし。
 

【現代語訳】
 鎮州の臨済院義玄禅師が言うことには、「そもそも出家者は、必ず平常が真実であるという見解を会得して、仏を見分け、魔を見分け、真実を見分け、虚偽を見分け、凡夫を見分け、聖人を見分けなければならない。もしこのように見分けることが出来れば、真の出家と呼ぶことができる。
 もし魔と仏を見分けられなければ、まさに家宅を出てまた家宅に入ることになろう。このような人を業をつくる衆生と言うのである。それでは真の出家と呼ぶことは出来ない。」と。
 いわゆる「平常が真実であるという見解」とは、深く因果の道理を信ずることであり、深く三宝(仏と法と僧)を信ずること等です。又仏を見分けるとは、仏になる修行の中で、本来成仏の功徳を念ずることであることは明らかです。それで真実、虚偽、凡夫、聖人を明白に見分け知るのです。もし魔と仏を明らかにしなければ、学道は阻害されて修行を退くことになるでしょう。
 魔を知ってそれに従わなければ、仏道修行を退くことはないのです。これが真の出家の法なのです。徒に魔を仏法と思う者が多いことは、近頃の誤れるところです。仏道を学ぶ者は早く魔を知り、仏を明らかにして修行しなさい。
 

《「平常真正の見解」を、ここでは「平常が真実であるという見解」としており、諸注は、「ごくあたりまえの正しいものの見方」(『提唱』)、「平常のことの正しい見方考え方」(『全訳注』の訳ですが、こちらは意味がよく分かりません)としていて、異なりますが、続けて「辨仏、辨魔、辨真、辨偽、辨凡、辨聖すべし」とあるのを見ると、「平常が真実である」というのとは少し違うように思われます。
 「魔仏辨ぜざれば、正に是一家を出でて一家に入るなり」もおもしろい言葉で、この場合、「家」は一つの妄念のことを言っているようです。仏魔、真偽、凡聖を「辨」ずることができなければ、何かを考えても一つの妄念から次の妄念に移るだけのことだ、…。
 そして禅師は「いはゆる平常真正見解といふは、深信因果、深信三宝等なり。(例えば)辨仏といふは因中果上の功徳を念ずることあきらかなるなり」と言います(ここの訳、『全訳注』も二つの文を「また」で繋いでいますが、私は「例えば」と入れてみましたが、どうでしょうか)。
 「因中果上の功徳を念ずる」は、「『因中』というのは、まだ真実を得る前の仏道修行の過程にあること」、「『果上』というのは、仏道修行が行われて、仏道修行の成果に到達したという境地」(『提唱』)で、それぞれの時の仏の姿を思い描いてみる、ということのようで、そうすることで仏というものを「辨」じ、それに伴い翻って「魔」を「あきらめ」ることが必要なのだと説かれているようです。
 ところで、仏魔、真偽、凡聖を「辨」ずる、とありますが、これは、前節の続きで言えば、それぞれ個別に順次「辨」じていくのではなく、その中の一つのこと、またはこれ以外の何かのことが「辨」ぜられれば、他のことも自動的に「辨」ぜられるものだと理解するのがよいように思われます。》


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2 盤山宝積禅師曰く

 盤山宝積(ホウシャク)禅師曰く、「禅徳可中(モシ)学道するならば、地の山を擎(ササ)げて、山の孤峻を知らざるに似、石の玉を含んで、玉の瑕無きを知らざるが如くすべし。若し是の如くならば、是を出家と名づく。」
 仏祖の正法かならずしも知不知にかかはれず。出家は仏祖の正法なるがゆゑに、その功徳あきらかなり。
 

【現代語訳】
 盤山宝積禅師が言うことには、「参禅の大徳諸君、もし仏道を学ぶのなら、大地が山を支えながら、その高くそびえていることを知らずにいるように、又石が宝玉を含みながら、それに瑕が無いことを知らずにいるようにして修行しなさい。もしそのようであれば、この者を出家と呼ぶことができる。」と。
 このように、仏祖の正法は必ずしも知る知らないに係わりません。出家は仏祖の正法なので、その功徳は明白なのです。
 

《二人目です。これは大変に興味深い教えです。
 スポーツのトレーニングでは、今自分がしていることは何のためのトレーニングなのかということをきちんと把握して行わなければ、効果がないとされます。
 しかしここでは、その逆が説かれているようです。
 自分が今行っている「行持」の意味など知る必要はない、むしろそういうことを考えないで、ただ無心に行うのがよい、いや、そのように行わなければならない、…。
 なぜなら、その「行持」は「正法」であるのだから、誤りなどあろうわけもなく、その行いは、その人をまっすぐに、自動的に、涅槃に導くであろうから。
 スポーツの場合は一つ一つ段階を踏んで、その段階ごとの技能を身につけていって、初めて高みに到達することになるのですが、「学道」といった精神活動は、初めの段階にこそそういう面を持つでしょうが、究極的なある一つのことを悟ることを目指すのです。
 ということは、それが何であれ、ある一つのことが究極的に理解されれば、それはつまり一切を理解したことであるわけです。
 この頃将棋界に藤井君という天才少年が現れたようです。かつて羽生さんがそう言われたのですが、こういう人たちは、あるいは将棋という世界の究極のこと(戦法とか定跡とか過去の棋譜とかという技術的なことではなく、精神・真髄とでもいうようなもの)を感得しているのではないでしょうか。それがどういうものであるのか、多分彼らも語ることはできないのでしょう。多くの棋士がそういう森のような世界に入っているのですが、こういう人たちは、その数歩先をひとりで歩いている、…。
 昔、あるエピソードを聞いたことがあります。一人の少年が学校で「1」という数字を教わったのですが、どうしてもその意味がわからなかったので、学校を去って山にこもって1という数字を考え続けたのだそうです。
 そして時が経って、その少年が再び学校に現れて、先生に、やっと1の意味が分かりましたと言ったそうです。そこで、先生がどう分かったのか訊ねると、彼は石版に1という数字を書きました。すると、その石版が、その1という文字に沿って真っ二つに割れたのだった、という話です。
 そういう物事の理解の仕方をしたいものだ、と思ったものです。
 なお、冒頭「可中」は、ここでは「もし」と読んでいますが、『全訳注』では「このうち」とルビ、『提唱』は「『可』は優れておる、『中』は適合しておるという意味」と言います。》


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1 南岳懐譲禅師曰く

 南岳懐譲禅師、一日自ら歎じて曰く。「夫れ出家は、無生法の為にす、天上人間、勝(スグ)るる者有ること無し。」
 いはく無生法とは、如来の正法なり。このゆゑに、天上人間にすぐれたり。天上といふは、欲界に六天あり、色界に十八天あり、無色界に四種、ともに出家の道におよぶことなし。
 

【現代語訳】
 南岳懐譲禅を師は、ある日の説法で自ら讃歎して言った。「そもそも出家は、生滅を離れた無生の法のためにするのである。天上界や人間界の中で、この出家より勝れているものはない。」
 いわゆる無生の法とは如来の正法です。この故に、天上界や人間界よりも勝れているのです。天上界とは、欲界の中に六種の天があり、色界の中に十八種の天があり、無色界の中に四種の天があるといわれますが、それらすべてが出家の道にはおよばないということです。
 

《この章は三人の仏祖の言葉を引いて語られます。
 まずは言葉の意味から。
「無生法」は「生滅をはなれた涅槃をいうことば」(『全訳注』)
「天上人間」は天上界、人間界で、「六道」の上位二つ、まともな人間と、少しましな人間が住む世界を言うようです(サイト「仏様のお話」の第七回「十界」)。
 これで懐譲の言葉の意味は理解できますが、あとの禅師の解説の後半がよく分かりません。
「欲界」は淫欲と食欲の強い人間の住む世界であり、そこには、六欲天があり、したには八大地獄があるという」(『全訳注』)
「色界」は「欲界の上にある天界であって、そこには十八の天があるという」(同)
「無色界」は「ずばりといえば叡智の世界というほどの意味である」(同)
 こう並べてみてもどうもよく分かりませんが、ともかく、言おうとする趣旨は懐譲の言葉でいいのではないでしょうか。
 ところで、後の「無生法とは、如来の正法なり」とあることについて『提唱』が「釈尊の教えというのは、釈尊が特別に優れた考え方をつくり出して、これを信じなさいというふうにわれわれに教えられたわけではない。ごくあたりまえにわれわれのあり方というものに忠実に生きるならば、それが最高のあり方で生き方である」と解説し、さらに「社会生活の価値観を離れて生きるということは、釈尊の教えそのものであります」と言っているのは、それはどうなのか、と思います。
 このような、今現在生きているその生がそのまま仏法の世界だ、という説法によく出会いますが、「あたりまえのわれわれのあり方」は決して「社会生活の価値観を離れて生きる」ことではないのであって、そこには大きな飛躍があります。だから「天上人間にすぐれたり」と言うのであって、その飛躍の手立てが出家なのだ、と考えなくてはならないのではないでしょうか。》

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4 玄沙~4

 つひに象骨山(ゾウコツザン)にのぼるにおよむで、すなはち師と同力締構(ドウリキテイコウ)するに、玄徒臻萃(ゲントシンスイ)せり。
 師の入室咨決(ニッシツシケツ)するに、晨昏(ジンコン)にかはることなし。諸方の玄学のなかに、所未決(ショミケツ)あるは、かならず師にしたがひて請益(シンエキ)するに、雪峰和尚いはく、備頭陀にとふべし。
 師まさに仁にあたりて、不譲にしてこれをつとむ。抜群の行持にあらずよりは、恁麽(インモ)の行履(アンリ)あるべからず。
 終日宴坐の行持、まれなる行持なり。いたづらに声色(ショウシキ)に馳騁(チテイ)することはおほしといへども、終日の宴坐はつとむる人まれなるなり。いま晩学としては、のこりの光陰のすくなきことをおそりて、終日宴坐、これをつとむべきなり。
 

【現代語訳】
 雪峰が終に象骨山(雪峰山)に上ることになり、備師(玄沙)と共に力を合わせて道場を開くと、仏道の修行者たちが集まってきました。
 そこでも、備師が雪峰に法を尋ねることは、朝夕変わることがありませんでした。諸方の修行者の中に、仏法が未解決の者があれば、必ず備師に従って雪峰に教えを乞いに行くのですが、雪峰和尚は、「師備頭陀に尋ねなさい。」と言うのでした。
 そこで備師は、正に任に当たって譲ることなく、これを務めました。抜群の修行者でなければ、このようなことはありえないのです。
 備師の終日坐禅の行持は、世に希な行持でした。徒に周囲の物事に走り回ることは多いけれども、終日の坐禅を努める人は希です。現在、晩学の者としては、残りの月日の少ないことを恐れて、終日の坐禅を努めるべきです。
 

《義存が雪峰山に寺を開くことになって、師備は同行し、「締構」(「むすびかまえること。ここは禅院を造り上げること」・『行持』)しました。すると「玄徒臻萃」(「玄徒は玄学の徒、すなわち雲水のこと。臻はいたる、萃はあつまるである」・『全訳注』)ということになりました。この時、義存は五十歳、師備は三十七歳だったそうです(『行持』)。
 そこでも師備は相変わらず朝に夕に義存に「咨決」(「問うてただすこと。『咨』は諮と同じくただすこと」・『行持』)していたのでした。そして他の雲水たちも彼について行って義存に法を訊ねることがあったのですが、義存は、師備に訊ねるように言って、自分ではそれには応じなかったと言います。
 いい話で、もちろんそれほど師備を信用していたわけですが、それ以上に、師備がそういう疑問に向き合うことによって、さらに大きくなると考えた、というようなことでしょうか。
 途中、「師にしたがひて請益する」を、諸注、「師備のところにいたって指導を請うた」(『全訳注』)と解し、次の「雪峰…」は、それとは別に雪峰もまたそう言っていた、と訳していますが、ここの訳の方が分かりやすく思われます。どうなのでしょうか。
 「仁にあたりて、不譲」がよく分かりません。『全訳注』は「慈しみ深い人だったから」と訳していますが、『行持』は、「人徳を実行するに際しては」と訳し、『論語』「衛霊公第十五」に「子曰、当仁不譲於師」とあるのに由来する、としています。
 「宴坐」は、1節にもありましたが、「身と心を静めて安らかに坐禅すること」(『行持』)。それを「声色に馳騁する(いたずらに眼前の事物にしかれて走りまわっている・『全訳注』)」ことと比較するのは、あまりに大差があって、違和感があります。「声色」に別の解釈がほしい気がします。
 ともあれ、玄沙は、初心を忘れずひたすらな行持に努めた人だったようです。


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3 玄沙~3

 異日、雪峰召(ヨ)んで曰く、「備頭陀、何ぞ徧参(ヘンサン)し去らざる。」
師曰く、「達磨、東土に来たらず、二祖、西天に往かず。」
雪峰、之を然りとす。

 

【現代語訳】
 別の日に、雪峰は師を呼んで尋ねました。「師備頭陀さん、あなたはなぜ諸方に師を訪ねないのですか。」
 師は答えました。「達磨は中国に来なかったし、二祖(慧可)はインドへ行きませんでした。」
 雪峰は、師をその通りと認めました。
 

《雪峰にしてみれば、もとは兄弟弟子だった師備に師として仕えられるのはこそばゆいところがあって、別に出て行けというわけではないでしょうが、あなたは他の師に付かなくていいのか、私でいいのか、と訊ねた、水を向けた、という感じです。
 仲のよい兄弟弟子同士の、親しい会話というふうにも読めますが、「雪峰、之を然りとす」という反応には、それとは違う感じがあります。
 この言い方は、そうそう、そうなんだよ、という受け止めなのではないでしょうか。
 『行持』が、この話は、『現蔵』「徧参」巻に少し詳しく載っていることを指摘していますが、そこでは、徧参というのは、「諸方に師を訪ねる」ことではなくて「全眼睛の参見を遍参(ママ)とす。打得徹を遍参とす」(「眼睛を見開いて参見するのが遍参である。どこまでも叩きあげるのが遍参である」・『全訳注』訳)とあります。
 ここの話は、つまり、足を使って歩き回って教えを受けるのが「徧(遍)参」ではなくて、自分で思い巡らすことこそがそれなのだ、ということでしょうか。
 雪峰にしてみれば、よしよし、よく分っておるな、といった気持ちだったのではないかという気がします。
 ちなみに、前節とここの問答は「一顆妙珠」巻の巻頭にも載っていますが、前節の問答の意味は、そこを見ても、私にはよく分かりません。》


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