『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

二十三

閻魔の出家

仏、比丘に告げたまはく、「当に知るべし、閻羅王(エンラオウ)、便ち是の説を作さく、『我れ当に何れの日にか此の苦難を脱し、人中に生じて、以て人身を得、便ち出家することを得て、鬚髪(シュホツ)を剃除し、三法衣を著して、出家学道すべし。』
 閻羅王すら尚ほ是の念を作す、何(イカ)に況んや汝等、今人身を得て、沙門(シャモン)と作ることを得たり。
 是の故に諸の比丘、当に身口意の行を念行して、欠有らしむること無かるべし。当に五結を滅し、五根を修行すべし。是の如く諸の比丘、当に是の学を作すべし」。
 爾の時に諸の比丘、仏の所説を聞いて、歓喜奉行しき。
 

【現代語訳】
 釈尊は、出家の弟子たちに説いた、「閻羅王(閻魔)は、次のように語ったことを知りなさい。『私がいつの日か、この苦難を脱け出して、人間の中に生まれて人身を得たならば、すぐに出家して鬚 髪を剃り落とし、三枚の出家の衣を身に着けて、仏道を学ぶこととしよう。』と。
 閻羅王ですら、このように考えるのである。ましてあなた方は、今人身を得て出家となることが出来たのである。
 この故にあなた方は、身と口と心の行いに気を付けて、善行に欠けることのないように努めなさい。五結(貪り、怒り、侮り、妬み、物惜しみ)の心を滅ぼして、五根(眼、耳、鼻、舌、身)を修めなさい。このようにして出家は仏道を学ぶのです。」と。
 その時に出家の弟子たちは、仏の説く教えを聞いて大いに喜び、信じ行いたてまつりました。
 

《ここも漢文で経典の引用ですが、「出処必ずしも定かでない」のだそうです(『全訳注』)。
 「人間が死んで地獄に行くと、その裁きをする」(『提唱』)という閻魔大王は、そういう自分の役目を「苦難」と考えていて、ゆくゆくは人間になって出家したいという希望を持っていた、…。どうも、大変に人間味のある閻魔で桂枝雀の落語に出てきそうな話です。
 閻魔についてサイト「德法寺」は次のように紹介しています。ちょっと長いですが。
今では地獄の王といわれる閻魔ですが、インドではヤマという古代から伝えられている神で、ペルシャ神話にも登場します。インド古代神話の『リグ・ヴェーダ』では、ヤマと妹のヤミーが結婚し、その子供が人類だとされていますから、人間の先祖ということになります。最初に死んだ人間となったので、死者の国の王とされます。ただし、その国は地獄ではなく天上界にあり、良いことをした人間だけが死後生まれることのできる世界でした。仏典でも、閻魔の王宮は広大で美しく豪華な例えとして使われています。
 これが時代と共に変化して地獄の主となってきました。そして大乗仏教になると、地獄は重大な罪を犯した者が死後に赴く世界と見なされるようになります。菩提心を抱かない者にも仏道を歩ませる方便として地獄を用いました。中国に仏教が伝わるとこの地獄の教えは民衆の間に受け入れられていきます。中国に古来からある道教と結びつき、閻魔は冥界の王とされ、閻魔大王や閻羅王となります。そして、中国で作られた仏教経典『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土教』では閻魔は地獄の裁判官になり、これが日本に伝わります。
 元来、地獄が菩提心を抱かせるための方便であるのなら、そこの王である閻魔が涅槃を願っていたというのも不思議ではないと言えそうです。》


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2 爲山~4

 くのごとく行持しきたれりし道得を見聞す、身をやすくしてきくべきにあらざれども、行持の勤労すべき報謝をしらざれば、たやすくきくといふとも、こころあらん晩学、いかでかそのかみの潙山を目前のいまのごとくおもひやりてあはれまざらん。
 この潙山の行持の道力化功(ドウリキケコウ)によりて、風輪うごかず、世界やぶれず、天衆(テンシュ)の宮殿(グウデン)おだいかなり、人間の国土も保持せるなり。潙山の遠孫(オンソン)にあらざれども、潙山は祖宗なるべし。
 のちに仰山(ギョウザン)きたり侍奉(ジブ)す。仰山もとは百丈先師のところにして、問十答百(モンジュウトウヒャク)の鶖子(シュウシ)なりといへども、潙山に参侍して、さらに看牛三年の功夫となる。近来は断絶し、見聞することなき行持なり。三年の看牛、よく道得を人にもとめざらしむ。
 

【現代語訳】
 我々は、禅師がこのように行持して来たという話を見聞しました。これは身を正さずして聞くべき話ではないけれども、行持に力を尽して報恩感謝することを知らなければ、安易な気持ちで聞くことになるのです。しかし、心ある晩学後進ならば、どうして当時の潙山を目前に想像して感銘を受けないものでしょうか。
 この潙山の行持の道力教化の功徳によって、世界の根底は動かず、世界は壊れず、天人たちの宮殿は穏やかであり、人間の国土も保たれているのです。我々は潙山禅師の法孫ではありませんが、潙山禅師は祖先なのです。
 潙山禅師のもとへ、後に仰山が来てお仕えしました。仰山は、もと亡き師百丈禅師の所で、十問われれば百答える舎利弗(しゃりほつ)のような知恵者でしたが、潙山禅師にお仕えして、さらに牛(本来の自己)を見る三年の精進をしました。それは近来では絶えて見聞しない行持でした。牛を見る三年の修行は、言葉で言い表せないほど素晴らしいものでした。

《こうした潙山の行持の功徳は、そのお陰で「風輪(「仏教における須弥山世界を下から支えている三輪、あるいは四輪という大輪の一つ大地の下に存在する、円盤状をなしている、空気の層」・『行持』)うごかず、世界やぶれず、天衆の宮殿おだいかなり、人間の国土も保持せるなり」ということになっているほどだと言います。
 壮大な想像力ですが、『行持』が、この「行持上」巻の初めに「わが行持すなはち十方の帀地漫天、みなその功徳をかうむる」、「行持によりて大地虚空あり」(第二章)とあったことを指摘して、禅師の基本的考え方であることを示しています。私もそこでは「梅、早春を開く」ということを書いておきました(「行持 上」巻第三章2節)し、「辨道話」には「もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる」(第四章3節)とありました。
 個と全体は常に一体なのです。と言うか、個が全体を動かし、息づかせるのだという、大変美しい感覚が禅師にはあるようです。
 終わりに、百丈のところですでに優秀な弟子であった仰山が、その後この潙山の所に来て修行したというエピソードによって潙山の偉大さを語って、この話を結びます。》

 * 明日は、都合により、午後、投稿します。

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1 爲山~3

 潙山のそのかみの行持、しづかにおもひやるべきなり。おもひやるといふは、わがいま潙山にすめらんがごとくおもふべし。
 深夜のあめの声、こけをうがつのみならんや、巌石の穿却(センキャク)するちからもあるべし。冬天のゆきの夜は、禽獣もまれなるべし、いはんや人煙のわれをしるあらんや。
 命をかろくし法をおもくする行持にあらずば、しかあるべからざる活計なり。薙草(チソウ)すみやかならず、土木いとなまず、ただ行持修練し、辨道功夫あるのみなり。
 あはれんべし、正法伝持の嫡祖(テキソ)、いくばくか山中の嶮岨にわづらふ。潙山をつたへきくには、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん。人物の堪忍すべき幽棲にあらざれども、仏道と玄奧と、化成(ケジョウ)することあらたなり。
 

【現代語訳】
 潙山での当時の修行を、静かに思いやるべきです。思いやるとは、自分が今、潙山に住んでいるように想像することです。
 深夜の雨の声は、苔を穿つばかりでなく、岩石をえぐる力もあることでしょう。冬天の雪の夜は、禽獣も希なことでしょう。まして煙立つ人里に自分を知る人がありましょうか。
 これは、命を軽くして法を重んじる修行でなければ出来ない生活です。土地を切り開くための草刈りを急がず、土木を営むこともなく、ひたすら行持修練し精進するだけの日々でした。
 いたわしいことです。正法を相伝 護持する祖師潙山禅師は、どれほど山中の険阻に苦労されたことでしょうか。潙山のことを伝え聞くには、池があり、水があり、氷が重なり、霧が重なる所のようです。
とても人の堪え忍べる幽居ではありませんが、そこで新たに仏道と幽玄な奥義の教化が行われたのです。

 

《以下、潙山がどれほどの辛苦に耐えて行持に努めたかが語られますが、その辛苦の様子は、例えば慧可が達磨を訪ねたときの雪の夜に「「堅立不動」した話(第十四章1節)や、慧稜の「蒲団二十枚を坐破す」(第二十一章1節)とかと比べて、やや具体性を欠いて一般的ですので、そいうことだったのだなと理解して通過することにします。
  途中、「禽獣も希な」は、獣も姿を見せないほどの厳しい寒さだったという意味、また終わりの「薙草すみやかならず、土木いとなまず」は、堂宇を広げるための作業をしなかったという意味のようです。
 また、「潙山をつたへきく」は彼が住んだ潙山についての話で、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん」は、「いかに環境的にも、風土的も、地理的にも、過酷・峻烈であったかを思いやっている」(『行持』)ということのようです。


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2 宏智~5

 ただまさに、家郷あらんは家郷をはなれ、恩愛あらんは恩愛をはなれ、名あらんは名をのがれ、利あらんは利をのがれ、田園あらんは田園をのがれ、親族あらんは親族をはなるべし。
 名利等なからんも、又はなるべし。すでにあるをはなる、なきをもはなるべき道理、あきらかなり。それすなはち一条の行持なり。
 生前(ショウゼン)に名利をなげすてて、一事を行持せん、仏寿長遠(チョウオン)の行持なり。
 いまこの行持、さだめて行持に行持せらるるなり。この行持あらん身心(シンジン)、みづからも愛すべし、みづからもうやまふべし。
 

【現代語訳】
 ですから、ただまさに故郷のある人は故郷を離れ、恩愛のある人は恩愛を離れ、名声のある人は名声を逃れ、利益のある人は利益を逃れ、田園のある人は田園を逃れ、親族のある人は親族を離れなさい。
 名利などが無い人も、又これらのことから離れなさい。既にある人が離れるべきなのですから、無い人も離れなければならない道理は明らかです。それが一筋の行持というものです。
 生きている間に、名利を投げ捨てて、仏道の一事を行持することは、釈尊の寿命を永遠のものにする行持なのです。
 今のこの行持は、必ず行持することによって行持されていくものなのです。この行持をする自分の身心を、自ら大切にしなさい。この身心を自ら敬いなさい。
 

《仏祖が切り開いた大道を行持するには、つまり真実を求める修行をするには、まず一切のもの、家郷、恩愛、名、利、田園、親族、から離れなければならない、…。なぜなら、そういうものに心が執していると、それが色眼鏡となって、あるいはおかしなレンズとなって、あるものがあるままには見えなくなるから。そこで世俗の縁の一切を棄て離れる、これは例えば西行の出家の時の状況です。
 そしてそういう執するものがない人も、またそこから離れなければならない、…。これは禅師独特の言い回しで、つまり執することから離れようという心からもまた離れなければならない、ということのようです。
 ここについて『提唱』が「これは難しい。いったいどうやっていったらいいんだかよくわからんというんだけれども、これは坐禅をしておるとわかる。坐禅をしておる状態ですよ」と言うのですが、この程度のことは語ってほしい気がします。
 さて、そのように、世俗の一切から徹底的に離れることを求めます。そういう自分に自信を持ってよい、と言います。
 ただしかし、こう強調されると、やはり先の「もとより(豊屋に)あらんは論にあらず」(第十九章)とか「大悟をまつことなかれ」(前節)が気になります。現実に「豊屋」や諸縁の中にいるなら、それはそれで「論にあらず」ということと、「家郷あらんは家郷をはなれ」とは、どうつながるのでしょうか。
 前節では、現実に「豊屋」や諸縁のなかにいるのは、それはそれとして、そういうものへの「執着」を断ち切ればよいのだと解してみましたが、本当にそうなのだろうか、という疑問を残したまま、次の人に行きます。

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1 宏智~4

 いま仏祖の大道を行持せんには、大隠小隠を論ずることなく、聡明鈍癡(ドンチ)をいふことなかれ。
 ただながく名利をなげすてて、万縁に繋縛(ケバク)せらるることなかれ。光陰をすごさず、頭燃をはらふべし。
 大悟をまつことなかれ、大悟は家常(カジョウ)の茶飯なり。不悟をねがふことなかれ、不悟は髻中(ケイチュウ)の宝珠なり。
 

【現代語訳】
 今、仏祖の大道を行持するには、その場所が町の中であるか、深い山の中であるかは問題ではなく、その人が聡明であるか、愚鈍であるかは関係ありません。
 ただどこまでも名声や利益を投げ捨てて、あらゆる世間の縁に束縛されてはいけません。月日を無駄に過ごさず、頭に降りかかる火の粉を振り払う気持ちで修行しなさい。
 修行に於いて大悟を待ち望んではいけません。大悟とは我々の日常の茶飯そのものであるからです。それならばと、悟らないことを願ってはなりません。悟らないことは、自らの髻(モトドリ)の中の宝石を知らないことだからです。
 

《得道の仏祖は天衆、神道」(二十一章)から隔絶した存在であるという、宏智のエピソードのまとめの章です。
 「大隠小隠を論ずるなく」については『行持』が「小隠ハ陵藪(注・山野)ニ隠レ、大隠ハ朝市(注・朝廷と市場。人の集まるところ)ニ隠ル」という『文選』の言葉を挙げています。気になっていた「もとより(豊屋に)あらんは論にあらず」(第十九章)に通じる考え方で、やはりそうなのかと納得します。周囲の現実を破壊するのではなく、そのままに承認した上で、自分のできることを、できる限りのことをせよ、というのは、決して妥協するというわけではなく、理解できます。
 しかしその一方で、世俗と隔絶するのだから、「名利」や「万縁」とは断固として決別せよ、と言います。「豊屋」や「朝市」に身を置いてそれを実践するのは、大変な精神力を要するでしょう。いっそ、西行のように妻子を棄て家も棄てる方が楽かも知れません。
 ただここは、そういう比較を言っているのではなく、ひたすら名利や万縁を避けるべきことを強調している、ということなのでしょう。
 「不悟をねがふ」というのは変な言葉に見えますが、これもまた『行持』が『禅学大辞典』に「(不悟という語は)一般には悟らないことであるが、道元は、不悟を悟りにとらわれない悟りの徹底、大悟と同義に用いる」とあるとして、「悟り以上の悟り」と言います。
 大悟も不悟も実は「茶飯」であり「髻中の宝珠」、すぐ目の前、身近にあるのだが、それは大逆転の発想であるから、そうと気づくことは生やさしいことではなく、それは正に大悟であって、初めから一足飛びにそういう最高のものを求めようという夢のようなことを考えるのは、結果的には本気で求めるのではないに等しく、着実に一足ずつ歩みを続けよ、という、味わい深い真実を語っているように見えます。
 『徒然草』が、法然の、「念仏の時に眠くなって困るが、どうしたらいいだろうか」と問われて、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答えたという話を取り上げて、「いと尊かりけり」と言っています(第三十九段)。無理をせぬように、しかし怠らぬように、ということでしょうが、また、できないことを言い訳にしたがる甘え心を厳しく戒めてもいます。


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