『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

二十四

2 洞山悟本

 洞山悟本大師道(イハク)、「行不得底(ギョウフトクテイ)を説取し、説不得底を行取す。」
 これ高祖の道(ドウ)なり。その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。
 しかあれば、終日とくところに終日おこなふなり。
 その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。
 

【現代語訳】
 洞山悟本大師が言うことには、「行(ギョウ)ずることが出来ないことを説き、説くことが出来ないことを行ずる。」と。
 これが高祖洞山の道です。その教えの主旨は、行は説かれたことに精通する道を明らかにし、説かれたことには行に精通する道があるということです。
 ですから、終日説いて終日行うのです。
 その教えの主旨は、行ずることの出来ないことを行じ、説くことの出来ないことを説くということです。
 

《十七人目、洞山悟本(八六九年沒)で、先の雲巌曇晟の話(第八章3節)に出てきた人です。
 ここは、初めの悟本の言葉が、行と説が互いに補完し合う関係にあるということを言っているように見えるところを、最後の一句において、禅師が、それを逆転させて、それぞれが独立しているのだと説いているところが要点だと思われます。
 その点を『提唱』が「どうしても実行できないようなことを何とかして実行しようと思ってがんばって」おり、「どうしても理論的に説明できないものを何とかして説明しようとしてがんばっておる」のが「われわれの日常」である、と言います。
 『行持』は、「私見によれば」としながら、悟本の言葉が「『行』に代わって『説取』せよ、…『説』に代わって、『行取』せよという意味にも解されることを慮って、行と説の相違・一如によって、行の説からの自立・独立を失うことなく、行は行としての一貫性に徹し、説も行からの自立・独立を失うことなく、説は説としての一貫性に徹すべきことを説示したものと考える」と言い、「行取と説取との独立が尊重されるべきを、その『宗旨』として」懇切に注意したものと考えられる」と言います。
 行を徹底して行き着いた行き止まりの先に、忽然と別世界が見える、説においても然り、といったようなことでしょうか。
 唐木順三先生は、禅の説明でよくそういう説明をされました。話としては分かり易い説明で、私たちはそれをまねして「論理の行き着いた果てに忽然として見える自己の根源的姿が実存なのだ」などと話したものでした。
 それはともあれ、改めて読み返してみると、悟本の言葉はやはり補完的な関係にあると説いているように読むのが自然に思われて、その解釈はあくまで禅師の考え、禅師の独創なのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。》

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1 大慈寰中

 大慈寰中(カンチュウ)禅師いはく、「一丈を説得せんよりは、一尺を行取(ギョウシュ)せんに如(シ)かず。一尺を説得せんよりは、一寸を行取せんに如かず。」
 これは、時人(ジニン)の行持おろそかにして、仏道の通達(ツウダツ)をわすれたるがごとくなるをいましむるににたりといへども、一丈の説は不是(フゼ)とにはあらず、一尺の行(ギョウ)は一丈説よりも大功(ダイコウ)なるといふなり。
 なんぞただ丈尺の度量のみならん、はるかに須弥(シュミ)と芥子(ケシ)との論功もあるべきなり。
 須弥に全量あり、芥子に全量あり。行持の大節(ダイセツ)、これかくのごとし。
 いまの道得は、寰中の自為道にあらず、寰中の自為道なり。
 

【現代語訳】
 大慈寰中禅師が言うことには、「法を一丈説くよりも、一尺を行ずるほうがよい。一尺説くよりも、一寸を行ずるほうがよい。」と。
 これは、当時の人が修行を疎かにして、仏道に通暁することを忘れているのを戒めているようですが、一丈の説法が無駄という訳ではありません。一尺の行は一丈の説法よりも功が大きいと言っているのです。
 それは、単に丈と尺ほどの違いだけでしょうか、遙かに須弥山と芥子粒ほどの功の違いがあると論じてもよいのです。
 しかし、須弥山には須弥山としての功の全量があるのであり、芥子粒には芥子粒としての功の全量があるのです。行持する上で守るべき大切な事柄とは、このようなことです。
 今の寰中禅師の言葉は、寰中の自らの言葉ではありません。寰中の自らの仏道なのです。(この訳不確実)
 

《この章は、三人の先師が語った「説」と「行」についての言葉を挙げて、禅師の考えを語っています。
 寰中(八六二年沒)の話が十六人目のエピソードになります。一丈は一尺の十倍で、「説」は経典の理論学習、「行」は実行、作務・坐禅でしょうか。
 十の理論より一の実行が尊いと寰中が言いました。これは普通には理屈を言わないで実行すればいいのだとなりがちですが、しかし禅師の考えは違いました。実行は理論に勝るが、といって理論に価値がないというのではなく、理論は理論として価値あるものである、と言います。その比喩の「須弥に全量あり、芥子に全量あり」は大変うまく分かり易く、したがってまたいい言葉です。大は大で充実し、小は小で充実している、万物の生き様もまた、そのように理解されなければなりません。
 終わりの一行の解釈は、諸注、二様に分かれるようで、列記しておきます。
 『行持』・『提唱』・寰中が自己の考えから発した言葉ではなく、寰中が仏道の真理にもとづいておのずから発した言葉なのである(「自」を、みずから、と、おのずから、とに取り分けた解釈)。
 『全訳注』・彼が広い世間に向かって言ったものではなく、むしろ、じっと自己に向かって言いきかせたものであろう(「寰中」には「世界中」の意味があり、それと人名とに取り分けた解釈)。》にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

3 (割り注)

 仏の言はく、「安咀婆娑衣、復た二種有り。何をか二と為す。一には豎二肘、横五肘。二には豎二、横四なり。
 僧伽胝は、訳して重複衣と為す。嗢咀羅僧伽は、訳して上衣と為す。安咀婆娑は、訳して内衣と為す。又、下衣と云ふ。」
 又云く、「僧伽梨衣(ソウギャリエ)は、謂く大衣なり。また、入王宮衣(ニュウオウグウエ)、説法衣と云ふ。鬱多羅僧(ウッタラソウ)は、謂く七条衣なり。又、中衣、入衆衣(ニッスエ)と云ふ。安陀会(アンダエ)は、謂く五条衣なり。又、小衣、行道作務衣(ギョウドウサムエ)と云ふ。」
 この三衣、かならず護持すべし。また僧伽胝衣に六十条の袈裟あり、かならず受持すべし。
 

【現代語訳】
 仏は更に言いました。「またアンダバシャ衣には二種類がある。その種類とは、一は縦が二肘で横が五肘のもの、二は縦が二肘で横が四肘のものである。
 また、ソウギャチは、訳して重複衣いう。ウッタラソウギャは、訳して上衣という。アンダバシャは、訳して内衣、又は下衣という。」
 また言うことには、「僧伽梨衣(ソウギャチ衣に同じ)は大衣という。また入王宮衣(王宮で説法するときの袈裟)、説法衣(説法する時の袈裟)ともいう。鬱多羅僧(ウッタラソウギャに同じ)は七条衣という。また中衣、入衆衣(衆僧と共に過ごす時の袈裟)ともいう。安陀会(アンダバシャに同じ)は五条衣という。また小衣、行道作務衣(作業する時の衣)ともいう。」と。
 出家は、この三種の衣(袈裟)を必ず護持しなさい。又、僧伽胝衣(大衣)には六十条の袈裟もあります。これを必ず護持するようにしなさい。
 

《ここについて、『全訳注』は、「(「横四なり」までは)異説を挙げたものであり、以下、終わりにいたるまでの引用は、割り注をもって記されたもの」として、補足扱いにしています。
 「安咀婆娑衣、復た二種有り」の「復た」は、先の三種以外にさらに二種、ということでしょうか。『全訳注』の「異説」説に従えば、三種ではなくて二種なのだと言っていることになりますが、どうなのでしょうか。
 「重複衣」は、裏地をつけた衣という意味(『読む』)で、大衣には裏地をつけるということは以前『読む』も言っていました。
 「上衣」「中衣」「内衣」「下衣」とありますが、『読む』は、「安咀婆娑衣は一番下に着るから『内衣』『下衣』という。嗢咀羅僧伽衣はその上に着るから『上衣』『中衣』である」と言います。袈裟の重ね着というのは、現代の感じから言うと違和感がありますが、日常的な着方だったのでしょうか。
 訳文に「僧伽梨衣(ソウギャチ衣に同じ)」、鬱多羅僧(ウッタラソウギャに同じ)」、「安陀会(アンダバシャに同じ)」とありますが、それぞれの漢訳の時の訳し方の違いのようです。
 最後の「この三衣は」の前までは原文が漢文で、ここからは和文です。つまりそこまでは引用で、ここから禅師自身の言葉で、「三衣」すなわち「大衣」「七条衣」「五条衣」は持っていなさい、と言います。
 最後の「また」以下は、「上衣」では特に「六十条衣」を持つようにという指示でしょうか。》

 


2 其れ三品有り

 鄔波離、世尊に白して曰く、「大徳世尊、嗢咀羅僧伽衣(ウッタラソウギャエ)、条数幾(イクバ)くか有る。」
 仏の言はく、「但七条のみ有りて、壇隔両長一短なり。」
 鄔波離、世尊に白して曰く、「大徳世尊、七条復た幾種か有る。」
 仏の言はく、「其れ三品(サンボン)有り、謂く上中下なり。上は三五肘、下は各半肘を減ず。二の内を中と名づく。」
 鄔波離、世尊に白して曰く、「大徳世尊、安咀婆娑衣(アンダバジャエ)、条数幾くか有る。」
 仏の言はく、「五条有り、壇隔一長一短なり。」
 鄔波離、復た世尊に白して言く、「安咀婆娑衣、幾種か有る。」
 仏の言はく、「三有り、謂く上中下なり。上は三五肘、中下前に同じ。」
 

【現代語訳】
 鄔波離は、世尊に尋ねました。「世尊よ、ウッタラソウギャ衣の条数はいくつでしょうか。」
 仏は答えて、「七条だけであり、その条は、長い布二枚と短い布一枚で出来ている。」
 鄔波離は、世尊に尋ねました。「世尊よ、その七条衣は何種類あるのでしょうか。」
 仏は答えて、「上中下の三種類がある。上は縦が三肘、横が五肘であり、下はその長さを各々半肘減らしたものである。この二つの間の大きさを中と呼ぶ。」
 鄔波離は、世尊に尋ねました。「世尊よ、アンダバシャ衣の条数はいくつでしょうか。」
 仏は答えて、「五条である。その条は、長い布一枚と短い布一枚で出来ている。」
 鄔波離は、また世尊に尋ねました。「アンダバシャ衣は何種類あるのでしょうか。」
 仏は答えて、「上中下の三種類がある。上は縦が三肘、横が五肘である。中と下は前に説いた通りである。」

《続いて「嗢咀羅僧伽衣」と「安咀婆娑衣」の話です。それぞれが七条衣、五条衣の一種類ずつで、それぞれに使う布一条の大きさの少しずつ違う三種類がある、と言います。とすると、前節に「(袈裟自体の)長さや幅が大きくなることではない」とあったことと違うような気がしますが、どうなのでしょうか。
 その三種類は「上、中、下」と呼ばれ、『読む』によれば、「布が充分あって大きくできる場合を『上』とし、『下』は最低これだけは必要という大きさ」と言うのだそうですが、上限と下限だけを上、下と呼び、その間はすべて中と呼ぶというのは単に変な呼び名ですし、それを「三品あり」と言うのも、不思議な呼び方だという気がします。
 また、継ぎ接ぎの多い方が尊い品だという考え方があるのなら、小さい端切れを使ったものの方が上でありそうな気がして、「上は三五肘、下は各半肘を減ず」というのも、変に思われます。
 どうも、よく分からないことの多いところですが、私の方が混乱しているのでしょうか。
 『読む』が、この章に当たる部分について「読むだけなら、律文の引用にすぎない。しかし、実際に袈裟を作るに当たって、道元禅師がこの一段を書いておいてくださったことは大変ありがたい拠り所となる」と言っています。

1 大袈裟九種

 具寿鄔波離(ウバリ)、世尊に請ふて曰く、「大徳世尊、僧伽胝衣(ソウギャチエ)、条数幾(イク)ばくか有る。」
 仏の言(ノタマ)はく、「九有り。何をか謂って九と為す。謂(イワ)く、九条と十一条と十三条、十五条と十七条と十九条、二十一条と二十三条と二十五条なり。
 其の僧伽胝衣、初め三品(サンボン)は、其の中の壇隔(ダンキャク)は両長一短なり、是の如く持すべし。
 次の三品は、三長一短なり。
 後の三品は、四長一短なり。是の条を過ぐるの外は、便(スナワ)ち破衲と成る。」
 鄔波離、復た世尊に白して曰く、「大徳世尊、幾種の僧伽胝衣か有る。」
 仏の言はく、「三種あり、謂(イワ)く上中下なり。上は豎(タテ)三肘(サンチュウ)、横五肘。下は豎二肘半、横四肘半。二の内を中と名づく。」
 

【現代語訳】
 仏弟子の鄔波離は釈尊に尋ねました。「世尊よ、大衣(大袈裟)の縫い合わせる条数は、どれくらいの数なのでしょうか。」
 釈尊は答えて、「九種類がある。その九種類とは、九条と十一条と十三条、十五条と十七条と十九条、二十一条と二十三条と二十五条である。
 その大衣の初めの三種は、各壇隔(条・「お袈裟を作っておるところの細長いきれ」『提唱』)を二枚の長い布と一枚の短い布とで作るのである。このような大衣を身に着けなさい。
 次の三種は、各条を長い布三枚と短い布一枚とで組み合わせて作り、後の三種は、長い布四枚と短い布一枚とを組み合わせて縫うのである。この条数を過ぎた大衣は、僧衣の定めを破るものである。」
 鄔波離は、また世尊(釈尊)に尋ねました。「世尊よ、ソウギャチ衣の種類はいくつあるのでしょうか。」
 仏(釈尊)は答えて、「ソウギャチ衣には上中下の三種類がある。上は縦の長さが三肘(肘はひじから中指の先までの長さ)で横の長さが五肘、下は縦が二肘半で横が四肘半の長さである。この二つの間の大きさを中と呼ぶのである。」
 

《以下、この一章は、『読む』によれば、『根本説一切有部百一羯磨』第十にある話の引用で、様々な袈裟の作りの説明、そして「鄔波離」は「仏十大弟子の一」だそうです。原文は漢文で、最初の「具寿」は「長老とか上座とかいう意味」(『提唱』)です。
 まず、袈裟のうちの「僧伽胝衣」(大衣)についての話で、第六章に、袈裟には五条衣、七条衣があり、九条衣以上を大衣と言う、とありました。
 まずはその大きさによる種類と作り方です。九条衣から二十五条衣まで挙げられていますが、だんだん大きくなるのかと思っていましたが、そうではなくて『読む』によれば、「条数が多くなることは、長さや幅が大きくなることではない。はぎ合わせる布が小さくなり、その数が増えるだけ」なのだそうです。
 それぞれの使い方として、五条衣は労務に、七条衣は修行に、大衣は人前に出るときに使うとあった(第六章2節)ことから合わせ考えると、継ぎ接ぎが多い方が、より粗末な布を使っていて質素だからということになる、ということなのでしょうか。ぼろであるほど高貴であるという、逆説です。
 ところで、以前三衣を受けて余衣を畜へず」(六章1節)とあって、五条、七条、十五条の三つの袈裟だけを持っていればいい、ということでしたが、それ以外の袈裟もきちんとした作り方が決まっている、というのは、ちょっと変な感じではあります。

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