『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

二十六

出息入息をまたず、いそぎ出家せん

羅睺羅(ラゴラ)尊者は、菩薩の子なり、浄飯王(ジョウボンオウ)のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。
  しるべし、出家の法最尊なりと。密行(ミツギョウ)第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず。衆生の福田(フクデン)として世間に現住しまします。
  西天伝仏正法眼蔵の祖師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦の初祖、これ香至王(コウシオウ)第三皇子なり。王位をおもくせず、正法を伝持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。
  これにならぶるにおよばざる身をもちながら、出家しつべきにおきていそがざらん、いかならん明日をかまつべき。出息入息をまたず、いそぎ出家せん、それかしこかるべし。
  またしるべし、出家受戒の師、その恩徳すなはち父母にひとしかるべし。
 

【現代語訳】
  羅睺羅尊者は、菩薩(出家する前の釈尊)の子であり、浄飯王の孫にあたる人です。王は羅睺羅に王位を譲ろうとしましたが、釈尊は強いて出家させました。
  このことから知りなさい、出家の法は最も尊いものであることを。羅睺羅尊者は、仏弟子の中で密行(戒を善く守る)第一の弟子として、今でも涅槃(死滅)に入ることなく、人々の福田(幸福の収穫をもたらす田)として世間に居られるのです。
  西方インドで、仏の正法眼蔵(仏法の真髄)を伝えた祖師の中には、王子の身で出家された方が数多くおられます。今の中国の初祖(菩提達磨)は、香至王の第三皇子であり、王位を重んぜず出家して仏の正法を伝えました。このようなことからも、出家は最も尊いものであることが明らかに知られます。
 この人たちに及ばない身分であれば、すぐにも出家すべきなのに、何故急がないのでしょうか。どのような明日を待って決心するのでしょうか。息をつぐ間も惜しんで、急いで出家することが賢明というものです。
 又知りなさい、出家受戒の師の恩は、父母の恩にも等しいものです。
 

《前節から続いて、王族が出家した話です。祖父を起点として語られているのでちょっとごちゃごちゃして分かりにくいのですが、前節は釈尊の同世代の話、こちらは次の世代、釈尊の息子の話です。
 家系図的に言えば、師子頬王―浄飯王―釈尊(およびその兄弟・従兄弟)―羅睺羅(およびその弟たち)となり、釈尊以下は全て出家してしまったような形になります。
 禅師は「しるべし、出家の法最尊なり」と言いますが、実際問題、この王家は、この後どうなったのだろうかと心配になり、「Wikipedia」を覗いてみると、「仏教文献等によると、釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ滅亡したとされる。異説も有り、滅亡したのではなく、生き残った四人の王族がヒンドゥー教に改宗して釈迦族は存続したという伝承も存在する[要出典]。シャカ族で生き残った四人の男子は、それぞれ他の国へ行って、みなその国の王になったと伝える説もある[要出典]」とありました。
 どうやら釈尊の後まもなく滅亡したようですが、後継が途絶えて、というわけではないようです。しかし、いずれにしても、相当に古いらしい系譜が、このあたりで途絶えたことは間違いなさそうで、釈尊の父、祖父は、それなりに心痛があったことだろうと思われます。
 不思議に思われるのは、今更ですが、当人にそういう内的要請があるならまだしも、そうでもない人に家族を捨てての出家を勧めるというのは、どういうことなのでしょうか。
 もちろん一面、心の安定を得るということにはなるのでしょうが、肉親を捨てたことによる痛みはどうなるのでしょうか。また、それを極端まで進めて仮に人類が全て出家するようなことになったら、人間社会は崩壊し、人類は子孫を喪失することにならないでしょうか。
 また一面、「自未得度先度他」で他者の幸せのためにもなるのでしょうが、その他者は在家者なのであって、在家者を幸せにしても、あまり意味がないということにはならないのでしょうか。
 私自身は、この歳になって仏教者たることに少なからぬ憧れがありますが、それでもなお、この部分についてはどうも納得がいかず不思議な気がします。
 禅師はさらに、シャカ族以外の王族でも出家した人があり、中国では達磨がそうだったことを挙げて、まして、そうした尊貴な身分でもないわれわれなどは、すぐにも現世を捨てるべきだと、強調します。》


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道楷~5

山僧(サンゾウ)行業(ギョウゴウ)取ること無うして、忝(カタジケナ)く山門に主たり、豈(アニ)(イナガ)ら常住を費やして、頓(トン)に先聖(センショウ)の附嘱(フショク)を忘る可けんや。
 今輙(スナワ)ち略(ホボ)古人の住持たる体例に学(ナラ)わんと欲す。諸人と議定(ギジョウ)して更に山を下らず、斉(サイ)に赴かず。
 化主(ケシュ)を発せず、唯本院の荘課一歳の所得をもて、均しく三百六十分と作(ナ)して、日に一分を取って之を用い、更に人に随って添減せず。
 以て、飯に備(ソナウ)べくんば則(スナワチ)飯と作し、飯と作して足らずんば則粥と作し、粥と作して足らずんば則米湯(ベイトウ)と作さん。
 新到相見(ショウケン)も茶湯のみ、更に煎点(センテン)せず。唯一茶堂を置いて、自ら去って取り用ゆ。務めて縁を省て、専一に辨道せんことを要す。
 

【現代語訳】
 山僧(私)は修行も至らぬ身で、忝ないことに寺院の主となった。どうして何もせずに寺院の資産を費やし、すぐに先の仏祖の依嘱を忘れることが出来ようか。
 今は一先ず、昔の仏祖の住持された規則に倣うこととする。それは、諸人と合議して全く山を下りず、また在家のお斎の供養に赴かない。
 寄付を募る僧を派遣せず、ただ当寺院の荘園一年分の所得を等しく三百六十に分けて、日にその一を使い、人数によって全く増減をしない。
 それでもって飯に炊ければ飯にし、飯に足らなければお粥にし、お粥に足らなければ重湯にするのである。
 新たな入門僧の面会も茶湯だけを供して茶菓子などは出さない。それもただ茶を用意した部屋へ自ら行って、自由に飲んでもらうのである。努めて用事を省いて専一に精進してもらうためである。
 

《珍しく禅師の実生活が語られているなどと勘違いしそうですが、ここの「山僧」は道楷で、八人の先師の逸話を念頭に置いての、彼の日頃の心構えや実際の生活、特に毎日の食料の取り扱いが語られます。
 そこでは「更に人に随って添減せず」がポイントで、これは、一読、人の身分や状況によって区別をしないということのように思ってしまいそうですが、そうではなく、「人」は人数の意で、あらかじめ年間の食料の総「所得」を割り出し、それを三百六十五等分して年間の一日あたりの量を決め、それをその日の人数の増減にかかわらず用いる、というものです。
 一日分は、少なければ我慢し、多すぎても敢えて食べ尽くす(実際には、そういう場合は想定されていませんから、そういうことはない程度の全体量だったということなのでしょう)、つまり、要点は、一年間で一切の繰り越しを出さないようにする、決して蓄えを作らない、ということのようです。
 なるほど、蓄えがあると、それを巡って、さまざまな思惑が働きます。目の前にあるものがすべてで、それで足れりと割り切ってしまえば、食というもっとも基本的な欲望の一つについての雑念がなくなります。
 もっとも、逆に、寺院内の人数を減らそう(いろいろな手段が考えられそうです)というような、サスペンスドラマのような事態も考えられなくはありませんが、それはテレビの見過ぎというものです。
 終わりの、入門僧に対して応接を省略するというのも、なにか大変すがすがしい気がします。二つのエピソードを合わせると、この人は日常を処理することについて、大変合理的な考え方をする人のようです。》

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2 僧伽難提~4

 もしいたづらにすごさざるは、日月を皮袋に包含して、もらさざるなり。しかあるを、古聖(コショウ)先賢は、日月ををしみ、光陰ををしむこと、眼睛(ガンゼイ)よりもをしむ。国土よりもをしむ。
 そのいたづらに蹉過(シャカ)するといふは、名利の浮世(フセイ)に濁乱(ジョクラン)しゆくなり。いたづらに蹉過せずといふは、道(ドウ)にありながら、道のためにするなり。
 すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし。ひとへに道のために行取し、道のために説取すべし。
 このゆゑにしりぬ、古来の仏祖、いたづらに一日の功夫(クフウ)をつひやさざる儀、よのつねに観想すべし。
 遅遅たる華日(カジツ)も、明窓に坐しておもふべし。蕭蕭(ショウショウ)たる雨夜(ウヤ)も、白屋(ハクオク)に坐してわするることなかれ。
 

【現代語訳】
 もし一日を徒らに過ごさなければ、月日を身体に包み込んで漏らすことはないのです。そのために、昔の聖人や賢人たちは、月日を惜しみ時を惜しむこと、自分の眼よりも惜しみ、国土よりも惜しんだのです。
 その月日を徒に過ごすとは、名利の浮世に惑わされていくことです。月日を徒に過ごさないとは、道にありながら道のために日々行ずることです。
 すでに道を会得した者は、また一日を無駄にしてはいけません。ひたすら道のために行じ、道のために説きなさい。
 このことによって分かることは、昔から仏や祖師が、一日の修行を無駄に費やさなかったことを、常日頃 思い返しなさいということです。
 このことを、日の長いのどかな春にも、明るい窓辺に坐して思いなさい。物寂しい雨の夜にも、草庵に坐して忘れてはいけません。
 

《「皮袋」は身体のこと。昔、生物の先生から、人間の体は要するに管に過ぎないという話をされて、わが身を再認識をしたような気がしましたが、この言葉も同様です。
 私たちは根源的にはそういう自然の中の単なる一存在なのですが、それがどういうわけか、思考とか意識とかを持った、または持ったような気になったことによって、天然自然から遠ざかってしまい、そういう根源的な存在に帰るために、例えば坐禅などということをしなくてはならなくなったわけです。
 運良くそういう行持に目覚めた「古聖先賢」は、その時間を自分の中に包み込んで、自分が時間の主となって存分に行持に打ち込み、無駄に過ごすことがなかった、…。
 やはりどうも前章の一日でも立派な行事をすれば、という話と、話が変わって、ここは、その一日を継続することがいかに大切か、という話になったようです。もちろん、最初の一日がなければ、それもないわけですから、第一日目の大切さは分かりますが、継続はそれにもまして大変なことであることは、私たち誰もが、何かにつけて承知していることです。》


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1 僧伽難提~3

 このゆゑに、いまだ決了せざらんときは、一日をいたづらにつかふことなかれ。この一日は、をしむべき重宝(チョウホウ)なり。尺璧(セキヘキ)の価直(ケジキ)に擬すべからず。驪珠(リジュ)にかふることなかれ。古賢をしむこと、身命よりもすぎたり。
 しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん。一生百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたたびうることなからん。いづれの善巧方便(ゼンギョウホウベン)ありてか、すぎにし一日をふたたびかへしえたる。紀事の書にしるさざるところなり。
 

【現代語訳】
 この故に、まだ会得していないのなら、一日を無駄に使ってはいけません。この一日は、大切にすべき宝なのです。これを一尺の宝玉の価値と比べてはいけません。驪竜(リリュウ)の玉と取り換えてはいけません。昔の賢者はこの一日を身命よりも大切にしたのです。
 静かに考えてみなさい。驪竜の玉は求めることも出来ましょう。一尺の宝玉は得ることもあるでしょう。しかし、一生百年の中の一日は、一度失えば二度と得られないのです。どのようなうまい手段があって、過ぎた一日をまた取り返すことが出来ましょうか。歴史の書にも、そのような例は書きしるされていないのです。
 

《一日を大切にする、ということはなかなかできないことではありますが、誰でもよく承知していることですから、一言言えばすむ話のように思いますが、ここで禅師は言葉を尽くして、そのことを語ります。
 もっとも、前節までは百歳の中で一日だけでも行持すれば、それでよいような言い方でしたが、「一日をいたづらにつかふことなかれ」というのは、そうではなく、その一日が継続しなくてはならないと言っているようです。
 以前、大相撲の寺尾(今の錣山親方)が、あなたのモットーは、と聞かれて、「今日一日の努力」だと言っていました。
 その心は、自分は稽古が嫌いなので、今日一日だけは稽古すれば、明日は怠けてもいいと自分に言い聞かせながら、今日だけは、今日だけはと、毎日の稽古を続ける、ということだったそうです。自分をだましながらというのが、いかにも曲者寺尾らしく、それにだまされて稽古をしている彼自身の姿を思うとおかしく、おもしろい、しかしいい言葉だと思ったものです。
 一日だけならできることでも、その継続は大変です。
 それにしても、「すぎにし一日をふたたびかへしえたる。紀事の書にしるさざるところなり」は、笑ってしまいます。『徒然草』五十三段に、頭にかぶった足鼎が抜けなくなって担ぎ込まれた法師を見た医者が、こういうものの抜き方を書いた医書は見たことがないと言った、という話があって、当たり前だと一人吹き出したものでしたが、禅師にはこんな冗談が言えたのかと驚かされます。いや、案外、真面目に書かれたのでしょうか。そうだとすると、ずいぶん生真面目な人だったようですが。


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袈裟の裁縫

 袈裟を裁縫するに、割截衣(カッセツエ)あり、揲葉衣(チョウヨウエ)あり、摂葉衣(ショウヨウエ)あり、縵衣(マンエ)あり。ともにこれ作法(サクホウ)なり。その所得にしたがうて受持すべし。
 仏の言はく、「三世(サンゼ)の仏の袈裟は、必定して却刺なるべし。」
 その衣(エザイ)をえんこと、また清浄を善なりとす。いはゆる糞掃衣を最上清浄とす。三世の諸仏、ともにこれを清浄としまします。
 そのほか、信心檀那の所施(ショセ)の衣、また清浄なり。あるいは浄財をもていちにしてかふ、また清浄なり。
 作衣(サクエ)の日限ありといへども、いま末法澆季なり、遠方(オンポウ)辺邦なり。信心のもよほすところ、裁縫をえて受持せんにはしかじ。
 

【現代語訳】
 袈裟を裁縫する方法に、割截衣(布を截断して条に縫った衣)、揲葉衣(布の葉を截断せずに貼り付けて縫った衣)、摂葉衣(布の葉を截断せずに貼り付けて縫い、裾が木の葉を集めたようになった衣)、縵衣(一枚の布に縁を付けただけの衣)があります。これらが袈裟の作り方です。その人が得たものでこのように袈裟を作り護持しなさい。
 釈尊の言うことには、「過去現在未来の仏が使用する袈裟は、綻びないように必ず返し縫いの方法で縫われている。」と。
 袈裟の材料を得るには、それが清浄なことを善とします。いわゆる糞掃衣(捨てられたぼろ布を拾い集めて作った衣)を最上の清浄なものとします。過去現在未来の仏たちは、皆これを清浄とされるのです。
 その他、信心の施主から施された衣もまた清浄です。あるいは、浄財によって市で買い求めたものもまた清浄です。
 衣を作る日限は定められていますが、今は末法の末世であり、インドや中国から遠方の辺境にある日本のことですから、信心に促されて裁縫することで、袈裟を護持すればよいでしょう。
 

《ここは袈裟の具体的な縫い方の話です。『読む』がその縫い方を具体的に説明していますが、十分には分かりません。
 「割截衣」は普通の作り方、「揲葉衣」は「条(継ぎ合わせる布)、壇隔(くぎり)を分ける葉と縁を、別布をはりつけて作るもの」で、布が少し不足している場合の作り方(『読む』)だそうです。
 「縵衣」は簡略なものですが、こんな袈裟もあり得るのかと、ちょっと驚きます。
 不思議なのは「摂葉衣」で、「一枚の広い布を、切らずに条、壇隔を分ける。葉はひだをたたんで作るもの」(同)だそうですが、「糞掃衣を最上清浄」とするのなら、切って使えばよさそうなものですが、それをしないで大きいまま使うと言います。
 あるいは最後にあるように、布を得てから縫い上げるまでの期間の制限があるようで、『読む』によれば「月の初めの十日のうちに衣財を得た時にはその十日のうちに作り上げなければなら」ず、「月の初めの十日のうち、五日を過ぎて衣財を得た時は、六日から十五日の間に作り上げなければならない」、以下中旬の十日、下旬の十日も同様ですが、特に下旬の場合はともかくその月のうちに仕上げなければならないという、大変なことがあるようですから、そういう場合の許容範囲が設けてあるのかもしれません。
 それにしても、最短その日のうちにということもあるわけで、ずいぶん過酷な制限だと思われますが、どういう意味があるのでしょうか。衣財を贈る方も気をつけなければなりません。
 もっとも、「いま末法澆季」であり、特に日本は「遠方辺邦」だから、そういうことは気にしないで、とにかくその気になったら早く袈裟を作って、なにはともあれ身につけることが大切だ、禅師は大変現実的に語ります。『読む』が「禅師が末法だから辺邦だからと言って妥協を示されるのは、おそらくここだけであろう」と言います。


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