『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

二十八

2 道楷~8

 你(ナンジ)見ずや、達磨西来して、少室山の下に到り、面壁九年す。祖、雪に立ち臂(ヒジ)を断つに至って、謂(イイ)つ可し、艱辛(カンシン)を受くと。
 然れども達磨 (カツ)て一詞を措了せず、二祖曾て一句を問著せず。
 還って達磨を喚んで、不為人(フイニン)と作(ナ)し得てんや、二祖を喚んで、不求師(フグシ)と做(ナ)し得てんや。
 山僧、古聖(コショウ)の做処(サショ)を説著(セツジャク)するに至るごとに、便ち覚(オボ)ふ、身を容るるに地無きことを、懺愧す、後人(コウジン)の軟弱なること
 又 況んや百味の珍羞(チンシュウ)、逓(タガイ)に相供養し、道(イ)ふ、我は四事具足して、方(マサ)に発心す可しと。
 只恐らくは做手脚(サシュキャク)(イタ)らずして、便ち是れ生(ショウ)を隔て世を隔て去らん。時光箭(ヤ)に似たり、深く為に惜しむ可し。
 

【現代語訳】
 あなた達は知っているであろう。達磨は西方インドから来て少室山の下に行き、壁に向かって九年間坐禅したのであり、二祖慧可は、達磨の法を求めて雪の中に立ち、自分の臂を断ったのである。それこそ艱難辛苦を受けたと言うことが出来る。
 しかしながら達磨は、それまで二祖に一言も説かなかったのであり、二祖もまた、それまで一言も尋ねなかったのだ。
 だからと言って、達磨は人のために何もしなかったと言えるであろうか。また二祖は師を求めなかったと言えようか。
 山僧(私)は、昔の仏祖の行いを説く度に、身の置き場のない思いをし、後世の人間の軟弱なことを慚愧するのである。
 まして今では、百味の御馳走を互いに供養し合って言うことには、自分は食事や衣服、寝具 薬などを備えて、まさに発心修行することが出来る、と。
 恐らくは手足の振る舞いも修まらず、仏道から生を隔て世を隔ててしまうことであろう。光陰は矢のように速いのだから、深く惜しまねばならぬ。
 

《「先聖、人をして只今時を尽却せんことを要せしむ。能く今時を尽さば、更に何事か有らん」(第二十四章3節)という話が延々と続いています。
 師が弟子にするべきことは、俗塵を離れた閑静な場所を提供して、師たる自分がそこにいることであって、そこでは、師の教えの言葉さえいらず、弟子はその師の姿、ありようを直接的に学ぶことになるだろう、…。
 古来、こうした教えの継承は、「啐啄」などという言葉もあるように、言葉ではなく、阿吽の呼吸というか、以心伝心というか、言葉のないところで授け受け取られてきたようです。
 そうは言いながら、一方で、「禅家では不立文字と言うけれども、禅家ほど饒舌な教えは少ない」という、唐木先生から幾度となく聞いた笑い話があります。
 「言ひ仰せて何かある」というのは芭蕉の言葉(『去来抄』)で、これも唐木先生から幾度も聞きましたが、教えの要点が曰く言いがたいということがあるので、結局は肌で感じ取るし
ないのですが、そうであればあるほど何とかして伝えようとすると、語ることも多くなるのは、やむを得ないところであるのでしょう。
 そこでつい言ってしまうんだよなあ、という感慨が、そういう言葉になったのではないか、と思いたいところです。
 そのようにして自分もまた語ってしまうのだが、語ってみると、「古聖」に比して身の至らなさが思われて「懺愧す、後人の軟弱なることを」。『行持』はここでも自分の「力量の限度・限界」を恥じたものとしますが、「後人」は、私もお前たちも、で、もっと一般的に言っているように思います。
 そういう自分も情けないのだが、またこの頃の修行者を見ると、「四事具足して、方に発心す可し」などとさえ言う者もいる始末、まったく我人ともに、達磨や慧可の時とはすっかり隔絶して、比較にならぬ、「軟弱」さよ、との嘆きです。


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1 道楷~7

 山僧今日、諸人の面前に向かって家門を説く、已(スデ)に是れ便りを著(ツ)けず。
 豈(アニ)更に去って陞堂入室(ジンドウニッシツ)し、拈槌竪払(ネンツイジュボツ)し、東喝西棒して、眉を張り目を怒らし、癇病(カンビョウ)の発するが如くに相(アイ)似たるべけんや。
 唯(タダ)上座(ジョウザ)を屈沈するのみにあらず、況や亦た先聖に辜負(コフ)せんをや。
 

【現代語訳】
 山僧(私)は今日、皆の前で仏祖の家風を説いたが、これさえすでに余計なことである。
 どうして更に法堂で説法したり、室内で一人一人指導したり、槌を手に取ったり、払子を立てたり、東西に喝や棒を行じて、眉を吊り上げ目を怒らして、癇癪を起こしたようなことをする必要があろうか。
 それはただ修行僧をおとしめるだけでなく、更に昔の仏祖にも背くことになろう。
 

《「便りを著けず」(原文・「不著便」)は、諸注さまざまです。
『行持』・「口先巧みにものを言うことができない。『便』は、口先がうまい。…」。
『提唱』・「口を使って説法するということをしない場合でも」。
『全訳注』は「これはどうも勝手が違って具合が悪い」。
 後へのつながりから見ると、ここの訳か、『全訳注』がよさそうです。
 後はこの訳のとおりに解するとして、前節からのつながりを考えると、道楷のいるこの寺では、食はあるに合わせて足りるとし、穏やかな環境に恵まれて、修行に専念できている、この上私が教えを述べたり厳しく指導したりする必要はないのだ、というような趣旨でしょうか。
 それを『行持』は「(自分の)力量の限度・限界を告白し、表白して」いるのだと言いますが、修行にふさわしい環境を作ることによって、人は自然にその方向に向かうはずなのだという信念のもとで行われていることだと考えたい気がしますが、どうでしょうか。》


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大慧懐譲

南岳大慧(ダイエ)禅師懐譲(エジョウ)和尚、そのかみ曹谿(ソウケイ)に参じて、執侍(シュウジ)すること十五秋なり。しかうして伝道授業(ジュゴウ)すること、一器水瀉一器(イッキスイシャイッキ)なることをえたり。古先の行履(アンリ)、もとも慕古(モコ)すべし。
 十五秋の風霜、われをわづらはすおほかるべし。しかあれども、純一に究辨(キュウベン)す、これ晩進の亀鏡なり。
 寒爐(カンロ)に炭なく、ひとり虚堂にふせり。涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する。たとひ一知半解(ハンゲ)なくとも、無為の絶学なり。これ行持なるべし。
 おほよそひそかに貪名(トンミョウ)愛利をなげすてきたりぬれば、日日に行持の積功(シャック)のみなり。このむね、わするることなかれ。
 説似一物即不中(セツジイチモツソクフチュウ)は、八箇年の行持なり。古今のまれなりとするところ、賢不肖(ケンフショウ)ともにこひねがふ行持なり。
 

【現代語訳】
 南嶽の大慧禅師懐譲和尚は、昔、曹谿(六祖大鑑慧能禅師)に入門して、十五年間 そばに仕えました。そして六祖の道を、一器の水を一器に移し替えるように受け継ぎました。この古聖の行跡は、最も慕うべきものです。
 六祖に仕えた十五年間は、さぞ自分を煩わすことも多かったことでしょう。しかし、ただひたすらに仏道を究明したのです。これは後輩のよき手本です。
 冬の囲炉裏に炭はなく、一人で空の堂に臥したのです。涼しい夜には燭もなく、一人で月明かりの窓辺に坐ったのです。たとえ少しも悟るところが無くても、それは無為の仏道でした。これが行持というものです。
 およそ密かに名利を愛する心を投げ捨てれば、日々に行持の功徳が積まれていくだけなのです。この道理を忘れてはいけません。
 懐譲和尚の「自分を一物と説くことは適切でありません。」という言葉は、八ヶ年の行持により得たものです。これは古今にも希なことであり、賢い人も愚かな人も、共に願い望む行持です。
 

《十九人目、大慧懐譲(七四四年沒)のエピソードです。
 十五年間師に仕えて学び、師の教えをそのまま丸ごと受け継いだこと、その十五年を「純一に究辨」したこと、などが語られますが、なんと言っても「一知半解なくとも、無為の絶学」であるという、禅師の評が目をひきます。「一知半解」は「生かじりに知っていること」(『行持』)、「ほんのわずかばかりの知識、…理解」(『提唱』)などとさまざまに訳されていますが、知識・理解ではなく、ここの訳のように「少しも悟るところがなくても」と言う気持ちではないかと思われます。いささかの悟るところもなくても、ただ「寒爐に炭なく、ひとり虚堂にふせり。涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する」ということ自体が、真正の行持であって、その結果「無為の絶学」、自然に学問を越えた、「これ以上何も学ぶことのない悟りの境地」(『行持』)を得ているのだ、というあり方は素晴らしいと思います。市井の古老の中に時に、いわゆる職人肌で無口でひたすら自分の仕事に打ち込む人があっりますが、そういうイメージです。
 「説似一物即不中」は、懐譲の言葉で、普通、「一物を説似すれば、即ち中らず」と読んで、「仏法の本質は、ある言葉で説き及んでも、とたんに的はずれとなる」(『行持』)というような意味とされるようです。師の曹谿に就いて八年の修行の後に(一説に初見の時とされますが)、お前はどこから来たのかと問われて答えた言葉で、開悟の言葉とされます。
 言葉では言えないことだけれども分かっている、ということは、あるいは、体に染みついて分かっているのだけれども、それ故に自分に分かっているという自覚がないことでしょうか。常人の及びも付かぬその道の名人が、自分ではまだまだ未熟だと思っているのによく似ています。
 この言葉は、前の一知半解なくとも、無為の絶学」の具体例としてあげられているのだと解するのがよさそうです。


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仏弟子の標幟

 おほよそ袈裟は、仏弟子の標幟(ヒョウシ)なり。もし袈裟を受持しをはりなば、毎日に頂戴したてまつるべし。頂上に安じて、合掌してこの偈を誦(ジュ)す。
「大いなる哉解脱服、
 無相の福田衣、
 如来の教えを披(ヒ)し奉りて、
 広く諸の衆生を度(ワタ)さん。」
 しかうしてのち著すべし。袈裟におきては、師想塔想をなすべし。浣衣(カンエ)頂戴のときも、この偈を誦するなり。
 仏の言はく、「剃頭(テイゲ)して袈裟を著せば、諸仏に加護せらる。一人出家せば、天人に供養せらる。」
 あきらかにしりぬ、剃頭著袈裟よりこのかた、一切諸仏に加護せられたてまつるなり。
 この諸仏の加護によりて、無上菩提の功徳円満すべし。この人をば、天衆人衆ともに供養するなり。
 

【現代語訳】
 およそ袈裟は、仏弟子であることの目印です。もし袈裟を受けたならば、毎日、頭の上にいただいて敬いなさい。袈裟を頭の上に載せて、合掌して次の言葉を唱えるのです。
「大いなるかな解脱の服よ、
 一切の執着を離れて幸福をもたらす衣よ。
 如来の教えを身に着けて、
 すべての人々を悟りの浄土へ渡さん。」
 このようにして唱えた後に袈裟を着けなさい。袈裟のことを教えの師と思い、尊い仏舎利の塔であると思いなさい。又、袈裟を洗って、頭にいただいて敬う時にも、この言葉を唱えるのです。
 釈尊が言われるには、「剃髪して袈裟を着ければ、すべての仏が守り助けて下さる。一人出家すれば、その人は天界の人々や人界の人々に供養される。」と。
 明らかに知られることは、剃髪して袈裟を着けた後には、すべての仏たちが守り助けて下さるということです。
 この仏たちの加護によって、無上の悟りの功徳が円満するのです。又この人を、天界の人々や人界の人々が共に供養するのです。
 

《どうやら、ここからは、説法が収束に向かうようで、この巻のまとめに入る感じです。
 ここまで語ってきたように、授けられた袈裟は、仏法そのものであり、仏祖そのものであるわけで、従ってその扱いは丁重を極めます。
 『読む』が「ここは仏弟子と袈裟との日常のあり方である」と言いますが、具体的な作法の説明であると同時に、その作法の精神を語っています。
 作法にはすべて精神の裏打ちがされていなければならないということを感じさせる一節です。
 剃髪して袈裟を着ると、その人はそのまま仏であると「諸仏」や「天人」が認め、その人が「広く諸の衆生を度」(前節)してくれることだろうと期待して、「加護」し「供養」される、ということでしょうか。
 釈尊がそのように言っているのだから、「剃頭著袈裟」すれば、仏の加護は間違いない、それによってその人の「無上菩提」の成就も間違いないのだ、…。
 「一人出家せば」の「一人」は出家した当人を指すようですが、すると、この言葉はなくてもいいような気がします。どういう意味があるのでしょうか。》


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