『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

二十九

道楷~8

然も(カク)の如くなりと雖も、更に他人の長に従って相度(アイワタ)るに在り。山僧也(マ)た強(シイ)て你(ナンジ)を教ふることを得ず。
 諸仁者(ショニンジャ)、還(カエ)って古人の偈を見るや、
『山田脱粟(サンデンダツゾク)の飯
 野菜淡黄の韲(サイ)
 喫せば則ち君が喫するに従(マカ)す、
 喫せざれば東西するに任(マカ)す。
 伏して惟(オモン)みれば同道、各自に努力せよ。珍重(チンチョウ)。」
 これすなはち祖宗単伝の骨髄なり。高祖の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を挙(コ)するなり。
 いまわれらが晩学なる、芙蓉高祖の芙蓉山に修練(シュレン)せし行持、したひ参学すべし。それすなはち祇薗の正儀(ショウギ)なり。
 

【現代語訳】
 しかしこのようであっても、修行はさらに他人の長所に従って互いに助け合うことが大切であり、私が強いてあなた方に教えようとしても出来ないのだ。
 諸賢よ、次のような古人の詩を見たことがあるだろうか。
 『山の田で取れた玄米の飯と、黄ばんだ野菜のつけもの。これを食べる食べないは君に任せる。食べないのなら何処へでも行けばよい。』
 どうか道を同じくする者たちよ、各自に努力しなさい。ではお大切に。」
 この教えは、仏祖が相伝した仏道修行の骨髄です。芙蓉高祖の行持は多いけれども、とりあえずその一つを取り上げました。
 今、我々晩学後進の者は、芙蓉高祖が芙蓉山で修練された行持を、お慕いして学ぶべきです。それは祇園精舎の釈尊の正しい作法なのです。
 

《初めの「是の如く」は、「『四事具足して、方に発心す可し』などとさえ言う者もいる」(前節)ということを指す、と考えるのが普通のようですが、訳し方は諸注、様々です。
 『全訳注』・とはいいながら、他人のことは他人の得手にまかせるがよいというもの。
 『行持』・そうではあるが、他人の師家が、もっと、それぞれの長処に従って、相手を救うこともあるであろう。
 『提唱』・このように時間というものは非常にもったいないものではあるけれども、人によってはそれぞれ、時間というものが結構長いというふうに感じておる場合もある。
 これは是の如く」が「時光箭に似たり、深く為に惜しむ可し」を指すと考えているのでしょう、「你を教ふる」も「時間というものの意味」を教えると解しています。
 そうして以下の偈に行くのですが、そこでは、ここにおれば、お互いにおのれの「軟弱」と向き合わねばならないが、よそに行って他の師に出会えば、お前の長所を見つけてくれて、お互いに助け合うことがあるやも知れぬ(「東西するに任す」、別の師匠を求めようと思うならそうするがよい、という主旨かと思われます)、と語って、長い道楷の説示(第二十四章2節に始まりました)が終わります。
 しかし、どうもこの説示の終わり方は、これまでの人の決然たる姿とは随分遠く、禅師が見習わなくてはならないというのが那辺なのか、ちょっと戸惑う感じです。》


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香厳智閑

 香厳(キョウゲン)の智閑(シカン)禅師は、大潙(ダイイ)に耕道せしとき、一句を道得せんとするに、数番つひに道不得(ドウフトク)なり。これをかなしみて、書籍(ショジャク)を火にやきて、行粥飯僧(ギョウシュクハンゾウ)となりて、年月を経歴(キョウリャク)しき。
 のちに武当山にいりて、大証の旧跡をたづねて、結草為庵(イアン)し、放下(ホウゲ)幽棲す。一日わづかに道路を併浄(ヘイジョウ)するに、礫(カワラ)のほとばしりて、竹にあたりて声をなすによりて、忽然として悟道す。
 のちに香厳寺に住して、一盂一衲(イチウイチノウ)を平生(ヘイゼイ)に不換なり。奇巌(キガン)清泉をしめて、一生偃息(エンソク)の幽棲とせり。
 行跡おほく本山にのこれり。平生に山をいでざりけるといふ。
 

【現代語訳】
 香厳寺の智閑禅師は、大潙禅師(潙山霊祐)の下で修行していた時、大潙に生まれる前の自己を問われて、幾度も答えようとしましたが、遂に答えることが出来ませんでした。智閑はこれを悲しんで、持てる書物を焼いて、粥飯を給仕する僧となって月日を送りました。
 後に武当山に入り、大証国師の旧跡を訪ねて草庵を結び、全てを捨てて静かに住んでいました。ある日のこと、少し道路を掃き清めていると、小石が飛び散って竹に当たり、音を立てたことで、たちまち仏道を悟りました。
 智閑は、後に香厳寺に住んで、平生 一衣一鉢を換えない簡素な生活を送りました。山中の奇岩や清泉を場所として、一生安息の住み処としたのです。
 智閑禅師の行跡は、武当山に数多く残っています。禅師は平生、山を出ることはなかったといいます。
 

《二十人目、香厳智閑(八九八年沒)のエピソードです。
 初めの「書籍を火にやきて、行粥飯僧となりて」は、前章の一知半解なくとも、無為の絶学」の話の流れと思われます。
 「悟道」の時の話は、「香厳撃竹」と称される名高い話で、この書の中でも先の「渓声山色」巻で詳しく語られています(第四、五章)。
 私はそこで「静寂の中の乾いた澄んだ音によって、周囲の山荘の光景が、突然太初の原風景に変わり、智閑はその中に佇んでいる原初の自己の姿を感じたのだ、と思ってみたい気がします」と書きました。
 ここでは、そのことよりも、前の「放下幽棲」、後の「一盂一衲」が話の中心かと思われます。
 なお、大潙が問うたのは「父母未生以前」の消息の「一句」だったのですが、香厳はこの経験の後に師に「一撃に所知を亡ず」に始まる偈を以て応え、師から「此の子、徹せり」と認可を得ました。これもまた、前節の「説似一物即不中」に通じる認識です。



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3 八~十

 八つには、身に袈裟を著せば、罪業(ザイゴウ)消除し、十善業道(ゴウドウ)、念々に増長す。
 九つには、袈裟は猶良田の如し、よく菩薩の道(ドウ)を増長するが故に。
 十には、袈裟は猶甲冑の如し、煩悩の毒箭(ドクセン)、害すること能はざるが故に。
 智光(マサ)に知るべし、是の因縁を以て、三世の諸仏、縁覚声聞、清浄(ショウジョウ)の出家は、身に袈裟を著し、三聖(サンショウ)と同じく解脱の宝牀(ホウショウ)に坐す。
 智慧の劔を執り、煩悩の魔を破り、共に一味の諸涅槃界に入る。
 

【現代語訳】
 八つには、身に袈裟を着ければ、悪しき行いは除かれて、十の善き行いが一念一念ごとに増していくのである。
 九つには、袈裟は多くの収穫を与える良田のようなものである。これを身に着ければ、菩薩の六波羅蜜(布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧)の道をよく増していくからである。
 十には、袈裟は甲冑のようなものである。身に着ける人を、煩悩の毒矢で害することは出来ないからである。
 智光よ、知りなさい。袈裟にはこのような優れた因縁があるから、過去 現在 未来の諸仏や縁覚(縁起の法を観じて覚る者)、声聞(仏の説法を聞いて悟る者)などの清浄な出家者たちは、袈裟を身に着けるのであり、この功徳によって、三聖(釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩)と同じように解脱の宝座に坐し、智慧の剣を取って煩悩の魔を破り、皆共に平等の涅槃の世界に入ることが出来るのである。
 

《八は、また七と同じことのように見えます。「罪業消除し」は「煩悩を断じて」とほぼ同じでしょう。ただ、「十善業道」(「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不両舌、不悪口、不綺語、不貪欲、不瞋恚、不邪見」・『読む』)は一歩進んだ実践を言っているとも言えます。
 九は四から八までの総まとめのような言い方ですが、「菩薩の道」は前の「十善業道」よりもまた一歩進んでいるのかもしれません。
 また別に言えば、前項までが袈裟をつけた当人の意識の問題であったのに対して、この二項は、袈裟自身の持つ力を言っているとも見えます。
 最後の十は、あまり最後らしくなく、また六、七に返った感じです。
 総括してみると、結局は袈裟を「尊重敬礼」することがすべての始まりであって、それがあれば、あとはいわば自動的に展開していくといった趣で、とすれば、十はその総まとめとして復活してくると言えます。
 とは言え、それは、そのように言えば言えるという程度の全体像で、たとえば、第十条は、単なる比喩であって、新しい項目として挙げるに足るものではないように見えます。
 挙げられた一つ一つはまことにもっともな、さもありなんと思われる項目ですが、私などには、どうも無秩序に挙げられた感がしてなりません。
 この書の中でこのように箇条的に挙げられた話は、しばしばそうなのですが、その一貫性をもう少し分かりやすく語ってもらえたら、という思いを拭えません。》

 


2 四~七

 四つには、袈裟は即ち是れ人天の宝幢(ホウドウ)の相なり。尊重敬礼(ソンジュウキョウライ)すれば、梵天に生じることを得。
 五つには、袈裟を著する時、宝幢(ホウドウ)の想を生じ、能く衆罪(シュザイ)を滅し、諸の福徳を生ず。
 六つには、本(モト)袈裟を制するには、染めて壊色(エシキ)ならしむ。五欲の想を離れ、貪愛(トンアイ)を生ぜず。
 七つには、袈裟は是れ仏の浄衣(ジョウエ)なり。永く煩悩を断じて、良田と作(ナ)るが故に。
 

【現代語訳】
 四つには、袈裟は、人間界や天上界の宝(仏法)の旗印である。これを尊重し敬って礼拝すれば、梵天界に生まれることが出来る。
 五つには、袈裟を着ける時には、自らが仏法という宝の旗印であるという思いが生じて、多くの罪が滅し、多くの福徳が生じるようになる。
 六つには、本来、袈裟は壊色(くすんだ色)に染めて作るものである。これを身に着ければ、五つの欲(名誉欲 色欲 食欲 財欲 睡眠欲など)の思いを離れて、それを貪り愛する心が生じることはない。
 七つには、袈裟は、仏が身に着ける清浄な衣である。これを着ければ、永久に煩悩を断って、幸福の収穫を得る良田となる。
 

《前節の三つの功徳は、現実的、実際的な効用で、ここからは、当人の精神的な支えとしての効用と言えるようです。
 四と五は、確かに「正伝」であることが大切でしょう。「正伝」であることで、「尊重敬礼」できるし、「宝幢の想」を抱くことにもなります。
 しかし、この四と五を分けて二条にしたのは、どういう意味があるのでしょうか。例えば、「梵天に生じる」ことと「諸の福徳を生ず」るのは、ほとんど同じ意味なのではないでしょうか。
 また、順序としては「尊重敬礼」すれば「宝幢の想」を生じることになり、それによって「諸の福徳」を生じ、そののち「梵天」に生じる、ということになるのではないかと思うのですが。
 六もやはり正伝であることが必要でしょう。正伝と心得、それを尊重礼拝する中で、その「壊色」になじみ、その色を「尊重礼拝」することによって、「五欲の想を離れ」ることになるのでしょう。
 七の「煩悩」は六の「五欲の想」や「貪愛」と同じことを言っているように見えます。ただ、六の状態を「良田」と考えるという点が一歩進んでいると言えば言えそうです。》

1 法衣は十勝利

 世尊 智光比丘に告げて言はく、
「法衣(ホウエ)は十勝利(ジュッショウリ)を得るなり。
 一つには、能く其の身を覆うて、羞恥を遠離(オンリ)し、慚愧を具足して、善法を修行す。
 二つには、寒熱および蚊蟲(ブンチュウ)悪獣毒蟲(ドクチュウ)を遠離して、安穏に修道(シュドウ)す。
 三つには、沙門出家の相貌を示現(ジゲン)し、見る者 歓喜して、邪心を遠離す。
 

【現代語訳】
 釈尊は、僧の智光に教えて言われました。
「袈裟を身に着ければ、十の優れた利益を得ることが出来る。
 一つには、その身を覆うことで恥ずかしい思いをせず、慚愧の心が具わって善き法を修行することが出来る。
 二つには、暑さ寒さ、また、蚊や悪獣、毒虫などから身を守り、安穏に道を修めることが出来る。
 三つには、出家僧の姿を現わすことで、それを見る者は歓喜して邪心が無くなる。
 

《ここから次章の終わりまで、原文は漢文で、『心地観経』からの引用だそうです。
 以下、袈裟の功徳(効用)の十箇条が列挙されるわけですが、各条、いろいろなことを思います。
 一では、「羞恥」とは何を指すのか、単に裸を恥じるというのなら、特に袈裟である必要はなさそうですし、そのために「身を覆う」ことが大切なら、第七章「搭袈裟法」にありましたが、右肩が丸出しというのは頷けません。
 また「慚愧」は何に対する慚愧なのか。『提唱』は「様々の悪を恥じる」と言いますが、前が裸を隠すという現実的なことであり、次の二、三も大変現実的な効用ですので、その間にあるここがそういう抽象的な悪の話であるのは変に思われます。いや、逆に、私たちは自らの悪を、蚊に刺されるのと同じくらいに実感として生々しく感じ取らなければならない、ということでしょうか。
 また、二では、ここにいう効用を考えるなら、やはり右肩は丸出しだというのは、むしろ不適切ではないかと思ってしまいます。
 三もまた現実的効用で、袈裟をつけると、馬子にも衣装で、坊さんらしい姿になって、見る人が心惹かれ、その姿に感銘して悪い心を捨てる、ということのようですが、少なくとも、この三条のためには、特に「正伝」の袈裟でなければならないという必要はなさそうです。
 いや、けちをつけておもしろがっているわけではありません。誰もがすぐに疑問に思ってしまうようなそういうことを、どういうふうに考えているのか、そしてこの十箇条はどういう論理で構成されているのか、と考えているのです。
 ただ思いつきを羅列したら十になったというのではなく、きっと何か思想、哲学が、あるいはなにか暗示的な意味が、あるのではないかと思うのですが。》

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