雪峰真覚(シンガク)大師義存和尚、かつて発心(ホッシン)よりこのかた、掛錫(カシャク)の叢林および行程の接待、みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禅おこたることなし。雪峰草創の露堂々(ロドウドウ)にいたるまで、おこたらずして坐禅と同死す。
咨参(シサン)のそのかみは、九上洞山(キュウジョウトウザン)、三到投子(トウス)する、希世の辨道なり。行持の清厳をすすむるには、いまの人、おほく雪峰高行(コウギョウ)といふ。
雪峰の昏昧(コンマイ)は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は諸人のおよぶところにあらず。これ行持のしかあるなり。いまの道人(ドウニン)、かならず雪峰の澡雪をまなぶべし。
しづかに雪峰の諸方に参学せし筋力(キンリキ)をかへりみれば、まことに宿有(シュクウ)霊骨の功徳なるべし。
【現代語訳】
雪峰山の真覚大師義存和尚は、昔、発心して以来、入門の道場や旅先で炊事係を務めて、遥か遠くまで行脚しましたが、どこであろうと日夜の坐禅を怠ることはありませんでした。雪峰山に道場を開いて真の面目を発揮するに至るまで、怠ることなく坐禅と生死を共にしたのです。
雪峰が教えを学んでいた当時、九度、洞山に上り、三度、投子を訪れて教えを乞うたことは、希世の精進でした。修行の清潔で厳格なことを勧めるのに、今の人の多くが、雪峰は立派な修行者であると言って推薦します。
雪峰の愚かなところは世の人々と同じであっても、雪峰の怜悧なところは世の人々の及ぶ所ではありません。これは雪峰の修行が優れているからです。ですから、今、仏道を学んでいる人は、必ず雪峰の修行を学びなさい。
静かに雪峰が諸方に学んだ体力を顧みると、それは実に生得の優れた精神力の功徳によるものと思われます。
《前の第三十一章からいきなり三十四章になりましたが、お断りしたように、宣宗の話が三章に渡っていたのを、区切り方が分かりにくく、読む都合上、一章にまとめたからです。
さて、二十四人目、上巻最後の人は雪峰義存、先に出てきた大慈寰中、洞山悟本(第二十四章)に教えを受けた人で、前章の宣宗とほぼ同世代の人です。
「雪峰草創の露堂々にいたるまで」が分かりにくいのですが、「露堂々」は、圜悟克勤(エンゴコクゴン)という人の『圜悟語録』にある「明歴々露堂々」が出典のようで、意味は「堂々と現れること」、すると、おおよそここの訳のようになります。(『提唱』はこれを、この義存が残した言葉で、「われわれの住んでおる世界」のことを言うのだとして、縷々語っていますが、ちょっと話に無理があるような気がします)。
次の「洞山」、「投子」は山の名前で、それぞれ良价、大同という和尚がいたところ、「九山」・「三到」は、「三登九至」などという成語になっているようで(『行持』)、それは「求法の激烈さ」を表しており、禅師は、その時のこの人の修行の様を称揚しているのだと、『行持』は言います。
「雪峰の昏昧は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は諸人のおよぶところにあらず」というのが、当たり前のことではありますが、何ともいい言葉です。人にある卓越した点があると、すべてをそこに収斂し、またはそこから、その人の人間性のすべてを称揚したくなりますが、「昏昧は諸人とひとし」と言われると、急にこの人が人間味を帯びて感じられます。
もっとも私などはすぐに、その「昏昧」はどのようなものだったのだろうかと、関心が横道にそれてしまいそうですが、それは俗人の性としてご容赦を願うことにします》