『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

三十四

雪峰義存

 雪峰真覚(シンガク)大師義存和尚、かつて発心(ホッシン)よりこのかた、掛錫(カシャク)の叢林および行程の接待、みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禅おこたることなし。雪峰草創の露堂々(ロドウドウ)にいたるまで、おこたらずして坐禅と同死す。
 咨参(シサン)のそのかみは、九上洞山(キュウジョウトウザン)、三到投子(トウス)する、希世の辨道なり。行持の清厳をすすむるには、いまの人、おほく雪峰高行(コウギョウ)といふ。
 雪峰の昏昧(コンマイ)は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は諸人のおよぶところにあらず。これ行持のしかあるなり。いまの道人(ドウニン)、かならず雪峰の澡雪をまなぶべし。
 しづかに雪峰の諸方に参学せし筋力(キンリキ)をかへりみれば、まことに宿有(シュクウ)霊骨の功徳なるべし。
 

【現代語訳】
 雪峰山の真覚大師義存和尚は、昔、発心して以来、入門の道場や旅先で炊事係を務めて、遥か遠くまで行脚しましたが、どこであろうと日夜の坐禅を怠ることはありませんでした。雪峰山に道場を開いて真の面目を発揮するに至るまで、怠ることなく坐禅と生死を共にしたのです。
 雪峰が教えを学んでいた当時、九度、洞山に上り、三度、投子を訪れて教えを乞うたことは、希世の精進でした。修行の清潔で厳格なことを勧めるのに、今の人の多くが、雪峰は立派な修行者であると言って推薦します。
 雪峰の愚かなところは世の人々と同じであっても、雪峰の怜悧なところは世の人々の及ぶ所ではありません。これは雪峰の修行が優れているからです。ですから、今、仏道を学んでいる人は、必ず雪峰の修行を学びなさい。
 静かに雪峰が諸方に学んだ体力を顧みると、それは実に生得の優れた精神力の功徳によるものと思われます。
 

《前の第三十一章からいきなり三十四章になりましたが、お断りしたように、宣宗の話が三章に渡っていたのを、区切り方が分かりにくく、読む都合上、一章にまとめたからです。
 さて、二十四人目、上巻最後の人は雪峰義存、先に出てきた大慈寰中、洞山悟本(第二十四章)に教えを受けた人で、前章の宣宗とほぼ同世代の人です。
 「雪峰草創の露堂々にいたるまで」が分かりにくいのですが、「露堂々」は、圜悟克勤(エンゴコクゴン)という人の『圜悟語録』にある「明歴々露堂々」が出典のようで、意味は「堂々と現れること」、すると、おおよそここの訳のようになります。(『提唱』はこれを、この義存が残した言葉で、「われわれの住んでおる世界」のことを言うのだとして、縷々語っていますが、ちょっと話に無理があるような気がします)。
 次の「洞山」、「投子」は山の名前で、それぞれ良价、大同という和尚がいたところ、「九山」・「三到」は、「三登九至」などという成語になっているようで(『行持』)、それは「求法の激烈さ」を表しており、禅師は、その時のこの人の修行の様を称揚しているのだと、『行持』は言います。
 「雪峰の昏昧は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は諸人のおよぶところにあらず」というのが、当たり前のことではありますが、何ともいい言葉です。人にある卓越した点があると、すべてをそこに収斂し、またはそこから、その人の人間性のすべてを称揚したくなりますが、「昏昧は諸人とひとし」と言われると、急にこの人が人間味を帯びて感じられます。
 もっとも私などはすぐに、その「昏昧」はどのようなものだったのだろうかと、関心が横道にそれてしまいそうですが、それは俗人の性としてご容赦を願うことにします

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2 正伝の糞掃衣

 かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず。金銀(コンゴン)珠玉、綾羅錦繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。
 この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ仏法のためなり。
 これを用著(ヨウチャク)する、すなはち三世の諸仏の皮肉骨髄を正伝せるなり、正法眼蔵を正伝せるなり。
 この功徳(クドク)、さらに人天に問著(モンジャク)すべからず、仏祖に参学すべし。

 正法眼蔵 袈裟功徳

【現代語訳】
 このようなぼろ切れや、清浄な生活で得たものは、絹でも麻や綿でもありません。金銀 珠玉や綾羅 錦繍などでもなく、もっぱらこれは糞掃衣と言うべきものです。
 この糞掃衣は、破れ衣のためでも美服のためでもなく、ただ仏法のためにあるのです。
 これを着用することは、過去現在未来の仏たちの皮肉骨髄を正しく伝えることであり、仏法の真髄を正しく伝えることなのです。
 この袈裟の功徳を学ぶには、決して人々に尋ねてはいけません。このことは仏や祖師に学びなさい。
 

さて、このようにして得られた布は、ぼろ布であろうと、綾羅錦繍であろうと、そういう布の名前を失って、ただ糞掃衣なのだ、…このことも先の第十一章2、3節にありました。
 そういう袈裟を身にまとうことは、それはそのまま直ちに「正法眼蔵を正伝せる」ことなのだ、と禅師は言います。形が人を作る、ということでしょうか、その糞掃衣を身につけることが彼を仏徒にするということでしょう。
 先にも書きましたが、人は心をただそうとしても、心に直接的に働きかけることは、実は大変難しい、むしろ形から入る方が易しいし、それさえしておればいいという安心感があります(第三十一章)。もちろんそれは、ただ形だけに終わってしまう恐れもありますが、形はただすがって立つ杖なのであって、行く先を目指して歩を進めるのは自分だということを忘れなければ、そうした過ちに陥ることはないでしょう。
 ところで、これまで幾度か見てきたように、このようにこの巻には、重複する内容があちこちにあります。『読む』によれば「道元禅師は『伝衣』巻に手を入れ、書き加えて『袈裟功徳』を書かれた」のだそうで、二つの巻の末尾にある日付は同じ日になっていますから、あるいはそういうことが理由なのかもしれません。
 
この袈裟功徳の巻は一応ここまでが本文であるようで、この後は禅師の感慨が語られています。


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