先師の会(エ)に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは、道家流なり。徒党五人、ともにちかうていはく、「われら一生に仏祖の大道を辨取すべし、さらに郷土にかへるべからず。」
 先師ことに随喜して、経行道業(キンヒンドウゴウ)、ともに衆僧(シュゾウ)と一如ならしむ。その排列のときは、比丘尼のしもに排立(ハイリュウ)す。希代の勝躅(ショウチョク)なり。
 又福州の僧、その名善如、ちかひていはく、「善如平生さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず、もはら仏祖の大道を参ずべし。」
 先師の会に、かくのごとくのたぐひあまたあり、まのあたりみしところなり。余師のところになしといへども、大宋国の僧宗(ソウシュウ)の行持なり。
 われらにこの心操なし、かなしむべし。仏法にあふときなほしかあり、仏法にあはざらんときの身心、はぢてもあまりあり。
 

【現代語訳】
 先師の道場に、西蜀綿州の人で、道昇という道家の人がいました。道昇は仲間五人と共に誓って言うことには、「我等は、この一生の中に仏祖の大道を会得するつもりです。それまでは決して郷土に帰りません。」と。
 先師はそれを特に喜んで、日常の修行を修行僧たちと同じにしました。又その者たちが並ぶ時には、尼僧の下に並ばせました。これは世にも希な優れた行いでした。
 又 福州の僧で、善如と名乗る者も誓って言いました、「私は平生、決して一歩たりとも南の故郷に向いません。専ら仏祖の大道を学ぶつもりです。」と。
 先師の道場には、このような人たちが多数いたことを、私は目の当たり見てきました。他の師の所にこのような人物はいないけれども、これが大宋国の僧家の行持なのです。
 我等にこの志操のないことを、悲しまねばなりません。仏法に出会った時でさえそうなのですから、仏法に出会わなかった時の我々の身心は、恥じても余りあります。

《以前、南嶽と馬祖との間で交わされたことのある(第三十章)帰郷の問題ですが、ここでは帰るか帰らないかという問題ではなくて、「如浄の家風・教化が会下の修行者たちにも浸透していった跡」(『行持』)を語っていると見るのがいいようです。
 「道家」の人でさえ、それも五人も揃って、そうだったのだと挙げることで、そのことを強調しようとしているのでしょう。
 同書は更に続けて、この二人のエピソードによって「如浄の天童山景徳寺の修行者が、いかに緊張し、充実した辨道生活を送っていたかが身に沁みてくる」といいますが、確かに「先師ことに随喜して、経行道業、ともに衆僧と一如ならしむ」という喜び方には、師弟の緊密な交感が感じられて、微笑ましく思われます。
 「その排列のときは、比丘尼のしもに排立す」がよく分かりません。『行持』が「仏教では、四衆といって、比丘(出家男性)・比丘尼(出家女性)・優婆塞(在家男性)・優婆夷(在家女性)という仏弟子の階級が決められている」と言いますが、そうすると道昇たちは男性としては下位に置かれたわけで、先の「ことに随喜して」とは食い違う扱いのように思えます。弟子に加えられただけでよしとすべきだということなのでしょうか。
 終わりの「われら」は、「『大宋国』に対する『日本国』の僧侶のこと」で、禅師自身を含む言い方ですが、謙遜の気持ちからというのではなくて、そのように言うことによって他に言うとともに、無論自分を戒める気持ちを示したものだ、と考だえたいところです。》

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