『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

菩提薩埵四摂法

2 利行~2

 むかしの人、ひとたび沐浴するに、みたびかみをゆひ、ひとたび飡食(サンジキ)するに、みたびはきいだせしは、ひとへに他を利せしこころなり。ひとのくにの民なれば、をしへざらんとにはあらざりき。
 しかあれば、怨親ひとしく利すべし、自他おなじく利するなり。
 もしこのこころをうれば、草木風水にも利行のおのれづから不退不転なる道理、まさに利行せらるるなり。ひとへに愚をすくはんといとなむなり。
 

【現代語訳】
 昔、周公という人は、来客があれば、一度の入浴に三度でも髪を結い直して迎え、一度の食事に三度でも吐き出して応対したといわれるのは、ひたすら他を利益しようという心からでした。地方の国の民だから教えないというのではなかったのです。
 ですから、憎い人でも親しい人でも区別せずに、等しく利益しなさい。そうすれば自他同じく利益があるのです。
 もしこの平等の心を得れば、草木や風水にも、利行の自ずから不退転に行われている道理があるように、まさに利行されるのです。ですから、ひたすら衆生の愚を救おうと営みなさい。
 

周公のエピソードは『史記』にある話のようで、「封国魯の国へ子の伯禽をつかわす時にいましめて言った言葉」(『文学』)だそうです。
 ここでも「怨親ひとしく利すべし」が肝要のところで、次の「自他」は自分と相手という二人の関係ではなくて、「他」は自分以外のすべてを指すと考えるところなのでしょう。
 その事が解れば草木風水にも利行のおのれづから不退不転なる道理、まさに利行せらるるなり」といいます。解りにくいのですが、『全訳注』が「草や木や風や水にまで、利行がおのずから及ぶというものであって、それこそまさに利行というものである」と訳しています。
 一つの利行によって幸せになるのは人間だけではないようです。
 先に、布施の話の中で、「はなを風にまかせ、鳥をときにまかするも、布施の功業なるべし」(第二章4節)とありましたが、布施が鳥や花に及ぶように、利行も草木風水に及ぶし、また利行を返しても来る、…。
 最後の「ひとへに愚をすくはんといとなむなり」を『文学』が、「ただただ道理に暗い愚かさを正そうと、努めるべきである」と言います。「愚」は「利行のおのれづから不退不転なる道理」を体得していないこと、でしょうか、そのことさえ解れば、まさに「おのれづから」働いていくのだ、と言っているようです。
 やはり世界は、それ自体が動的なもののようです。》


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1 利行~1

 利行(リギョウ)といふは、貴賤の衆生におきて、利益(リヤク)の善巧(ゼンギョウ)をめぐらすなり。たとへば、遠近(オンゴン)の前途をまぼりて、利他の方便をいとなむ。
 窮亀をあはれみ、病雀(ビョウジョク)をやしなふべし。窮亀をみ、病雀をみしとき、かれが報謝をもとめず、ただひとへに利行にもよほさるるなり。
 愚人おもはくは、「利他をさきとせば、自(ミズカラ)が利はぶかれぬべし。」と。しかにはあらざるなり。利行は一法なり、あまねく自他を利するなり。
 

【現代語訳】
 利行とは、貴賤の人々のために、利益となるよい手だてをめぐらすことです。たとえば、遠近の行く先を見守って、他を利益する方策に励むのです。
 むかし功愉が籠の中の亀を哀れんで放してやったことや、楊宝が傷ついた雀を養い助けたという故事に学びなさい。彼等が、その亀や雀を見て助けた時は、その報いや感謝を求めずに、ただひたすら利行の思いにせきたてられたのです。
 愚かな人の思うには、「他の利益を優先すれば、自分の利益が除かれてしまう。」と。そうではありません。利行は仏法の一つであり、広く自他を利益するものなのです。
 

《「利行」というのは、博愛の精神とでも言えそうです。ただ、ここにあるのは、「精神」ではなくて行動です。
 例に挙げられた功愉と楊宝とは、それぞれ後に「余不亭という土地の長官」に任ぜられ、また「三公の位に上った」(『提唱』)のだそうですが、彼ら自身はそういう「報謝」を求めていたのではなかった、ただ、「利行は、…あまねく自他を利する」のだと言います。
 「情けは人のためならず」という諺があって、人に情けをかけておくと、それは巡り巡って自分のところによい報いとなって帰ってくるものなのだというのですが、ここでは、そういう意味で言っているのではなく、「あまねく自他を利するなり」、つまり巡り巡ってではなくて、一つの「利行」によって、その辺り一帯、ひいては世界全体が、喜びに包まれるのだ、というような意味なのではないでしょうか。そしてそういう動的な関係(因縁)こそが「世界」そのもの(つまり法)だというように、禅師は考えているのではないでしょうか。
 電車で若者が老人に席を譲れば、その二人は共々に幸せになりますが、同時にそれを見ていた周囲の人も含めて、車内全体が幸せになる、その時世界は輝きに満ちたものになる、一隅を照らすことは、ひいては、ではなくて、同時に、またはすなわち、世界を照らすことであるといったような感覚、と言えばいいでしょうか。
 初めのところ、「遠近の前途をまぼりて」がよく分かりません。
 『全訳注』は「遠いまた近いさきざきのことまで見守って」、『提唱』は「遠く離れておる場合の方法、…近くにおるときには、近くの人同士で与えることのできる利益の方法…」としていますが、いずれもしっくりしない気がします。
 「前途」とありますから、「遠近」は時間的なことを言っているのでしょうが、そうすると、後の「報謝」を求めているように思えてきます。
 「利行」を施す相手の将来と今をよく考えて、というようなことでしょうか。
 しかし、後の功愉と楊宝の例は、雀や亀の将来をよく考慮したというようなことは入っておらず、その場において「ただひとへに」もよおした惻隠の情からのものと思えます。
 どうもよくわかりません。》


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2 愛語~2

 怨敵を降伏(ゴウブク)し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。
 むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。 むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。
 しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子(シュウジ)とせり。
 愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、ただ能を賞するのみにあらず。
 

【現代語訳】
 怨敵を降伏し、君子を和睦させることも、愛語を根本とするのです。
 向き合って愛語を聞けば、顔を喜ばせ、心を楽しくします。向き合わずに愛語を聞けば、肝に銘じ魂に銘じるものです。
 知ることです、愛語は愛心から起こり、愛心は慈悲心を種子としていることを。
 このように、愛語には天を回らすほどの力があることを学びなさい。それはただ能力を褒めるだけのものではないのです。
 

《「怨敵を降伏…」はそうであろうと思われますが、「君子を和睦…」はよく解りません。君子(「徳のあるりっぱな人」・『漢語林』)ならそんな言葉に関わりなく「和睦」できる、いやそれができてこそ「君子」だという気がしますが、あるいはここでの「君子」は、同書の「②官職にある人、在位者」、または「③君主、為政者」というだけの意味なのかも知れません。
 次の第二、三文が、普通のことですが、面白い、いい言葉です。
 褒められ、優しい言葉を掛けられれば、もちろん嬉しくなり、自信が湧きます。それも悪くはありませんが、それが直接のことばの場合は照れくさかったり、お世辞かも知れないと疑わしかったりして、必ずしも素直には喜べないことがあります。それを、あの人が褒めていたよと、第三者を通じて聴くと、真実味が一段と増して聞こえます。
 ともあれ、いずれにしても、「愛語」は人を喜ばせます。それは、優しい言葉の裏には慈しみの心があるからだ、と禅師は言います。
 そういう言葉には「廻天のちから」があると言います。先に、禅師は世界を動的なものとして考えているのではないか、ということを言いました(前章1節)が、一つの優しい言葉はこの世界で相手をそういうふうに動かしていく、その二人の間のある一つの関係が動くと、その二人の間の別の関係も変化し、それによってさらに二人のそれぞれの周囲の関係が流動して変化し、それは波紋の広がりのように、さらに広く伝播していって、そこに新たな世界が開けていく、そういうふうに禅師はイメージしているのではないでしょうか。
 その時、「愛語」は、単にある一人の人のある能力を褒めるという一点の問題ではなくなって行くのだ、…。》


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1 愛語~1

 愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語(ゴンゴ)をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。
 世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。
 慈念衆生、猶如赤子(ヨウニュシャクシ)のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。
 徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、ようやく愛語を増長するなり。
 しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。現在の身命(シンミョウ)の存せらんあひだ、このんで愛語すべし、世世生生にも不退転ならん。
 

【現代語訳】
 愛語とは、衆生を見る時に先ず慈愛の心を起こし、愛顧の言葉をかけることです。およそ暴悪な言葉を口にしないことです。
 世俗には、相手の安否を尋ねる礼儀があり、仏道にも珍重(お体大切に)の言葉や、不審(ご機嫌宜しゅうございますか)という師を敬う挨拶があります。
 このように、衆生に対して、赤子を慈しむような思いをためて語ることが愛語です。
 徳のある人に会えば褒めなさい。徳のない人に会えば哀れみの心を起こしなさい。愛語を好むことによって、次第に愛語を増していくのです。
 そうすれば、日頃知られず見えなかった愛語も現れてくるのです。現在の身命のある間に好んで愛語しなさい。そして、未来永劫に退かないようにしなさい。
 

《「愛語」というのは、普通には「語を愛す」という意味のように思われますが、ここでは、いわば「やさしい言葉」(『提唱』)というような意味で使われているようです。言葉を大事にするという意味だと考えれば、そういう意味にもなるでしょう。
 「衆生を導く」のに布施が大切であるように、優しい言葉が必要だというような考え方と思われます。
 その言葉は、もちろん特別なものではなく、自分の中に「慈愛の心」を起こせば、言葉は自然と優しくなる、そこで、ただ普通にある挨拶の言葉や、子供をあやすときの言葉をおもいだせば、それが愛語である、…。
 また立派な人だと思えば、素直に褒めればよい、徳のない人だと思えば、哀れみの心を起こせばよい、そうすれば自然と優しい言葉が出てくるだろう、…。
 優しい言葉を使おうと心がげていれば、自然に優しい言葉が出てくるようになり、自分でも思いがけない優しい言葉が出てくるだろう、…。
 言葉が先か、心が先か、そんなことはどっちでもよいことだ、…。》


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2 布施~6

 転じがたきは衆生のこころなり。一財をきざして衆生の心地(シンチ)を転じはじむるより、得道にいたるまでも転ぜんとおもふなり。
 そのはじめ、かならず布施をもてすべきなり。かるがゆゑに、六波羅蜜のはじめに、檀波羅蜜あるなり。
 心の大小ははかるべからず、物の大小もはかるべからず。されども、心転物(シンテンモツ)のときあり、物転心(モツシンテン)の布施あるなり。
 

【現代語訳】
 変え難きは人々の心です。一つの財をきっかけにして人々の心を変え始め、仏道の悟りに至るまで変えていこうと願うのです。
 その始めには、必ず布施をするべきなのです。そのために、六波羅蜜(菩薩の六つの修行)の最初に檀波羅蜜(布施)があるのです。
 心の大小は量ることが出来ません。物の大小も量ることが出来ません。しかし、心が物を動かす時があり、また物が心を動かすという布施があるのです。
 

《ここは随分現実的な話です。
 平たく言うと、人は話して聞かせても、なかなか考えを変えるということはないのだが、ちょっとした物を与えることで変わることもあるのだ、と、そういうふうに聞こえます。
 さっきまでの、布施ということに深遠な意味を与えていた話とは、うって変わった俗な話になった感じですが、そういう意味よりも、ここは「便宜をすごさざるべし」(前章4節)ということを言っているのだと考えなくてはならないのでしょう。それが例え俗な手段であろうとも、得道の機会となるのなら、それで構わない、という現実的な選択です。
 大切なことは得道へ向かうことなのであって、「嘘も方便」ではありませんが、こうして物で導くこともありだし、修行とあれば殴り飛ばすという暴力だってあり、なのです。
 物が人の心を変えれば、その物もまた、それまでとは違った姿に見えて来る、布施としてもらった食べ物が、普段食べているものと同じ物でも、余計においしく思われる、ありがたい物に思われるようであれば、それもまた得道への道であるとも言える、ということでしょうか。
 以上が、布施の話で、次に「愛語」を説きます。
 ところで、前節で「禅師にはそういうダイナミックな(存在するものがそれぞれの立場において活性化する動的な)世界観」があったのではないかといいましたが、実はそれは仏教の基本的な考え方なのかも知れないという気がします。
 中国では儒教が生まれましたが、これは秩序を第一とする世界観です。もちろん恕とか仁とかも重んじますが、それも君臣、親子、長幼の序の中でのそれで、世界観としては秩序が重んじられているように思います。それは区別の世界観であり、仏教の他者との交感こそが求められる、融合の世界観とは、全く異質な考え方だと言えそうな気がします。》


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