復(マタ)次に、出家して戒を修(シュ)すれば、無量の善律儀(ゼンリツギ)一切を具足して満ずることを得。是を以ての故に、白衣(ビャクエ)等応当(マサ)に出家して具足戒を受くべし。
 復次に、仏法中出家の法は第一に修し難し。閻浮呿提梵志(エンフカダイボンジ)の舎利弗(シャリホツ)に問ふが如し。「仏法の中に於いて何者か最も難き。」
 舎利弗 答へて曰く、「出家を難しと為す。」
 又問う、「出家には何等の難きことか有る。」
 答へて曰く、「出家は内楽を難しと為す。」
 「既に内楽を得ば、復次に何者をか難しと為す。」
 「諸の善法を修すること難し。是を以ての故に、応に出家すべし。」
 復次に、若し人 出家する時、魔王驚愁して言く、
「此の人諸の結使(ケッシ)薄らぎなん、必ず涅槃を得て、僧宝の数中に堕すべし。」

 

【現代語訳】
 また次に、出家して戒を修めれば、無量の善き生活法のすべてを具足して満たすことができる。このために、在家の人たちは是非出家して その戒を受けるようにしなさい。
 また次に、仏法の中で出家の法は、先ず第一に修め難いものである。これについて、バラモンの閻浮呿提が舎利弗に尋ねている。
 バラモン、「仏法の中では何が最も困難ですか。」
 舎利弗答えて、「出家することが困難である。」
 バラモン又問う、「出家の人には どのような困難がありますか。」
 舎利弗答えて、「出家の人は、心の平安を得ることが困難である。」
 バラモン、「それでは、心の平安を得れば、次には何が困難ですか。」
 舎利弗、「多くの善行を修めることが困難である。これらのことにより、是非出家をしなさい。」
 また次に、もし人が出家する時には、魔王が驚き愁えて言うのである。
「この人は煩悩の束縛が薄いので、必ずや涅槃(煩悩の火を吹き消すこと)を得て、すぐれた僧の仲間に入るであろう。」と。

《出家功徳の第三、四、五です。
 第三の「無量の善律儀」については、噂に聞く、またはNHKのドキュメンタリーなどで見る永平寺の生活は、規律正しく、厳しいもので、求道の生活としては、これ以上はないだろうという気がします。
 第四は、「出家の法は第一に修し難し」の意味がよく分かりませんが、『提唱』が「社会生活を離れる、家庭生活を離れるということは非常に難しい」と解していて、『全訳注』の訳もそのように解せます。
 そこでさらに、出家のどこが難しいのかというと、出家の生活を心の中で(ということは、本心から、ということでしょうか)楽しむことが難しいとされます。それは前節にあった話に帰った感じです。
 野球をすることの難しさは何かというと、まず野球チームに入ることだ、その難しさはどういう点にあるかというと、チームの練習を楽しむことができるかどうかということだ、次の段階で難しいのは、「諸の善法を修すること」つまりコーチに教えられたことを身につけることだ、といった具合に考えられるでしょうか。
 前節のことを繰り返すことになりますが、もともと出家の生活になじむことのできる人とそうでない人があるのではないでしょうか。昔、武者小路実篤の本でか、彼についての本で読んだのか、「恋は誰にでもできるわけではない、恋をするのには能力が必要なのだ(大抵の恋は、人まねをしているだけだ)」という言葉がありましたが、出家もそんなところがあるのではないかという気がします。もっとも、出家の方は、結婚と同じように、勤めているうちになじんでくるということがあるかも知れません。
 最後に、だから出家するのがよいのだ、と言われると、なにか堂々巡りになりそうですが、やはり、その「なじむ」ということが大きいのでしょうか。禅師がそんな生やさしい話をしているのかどうか、そのへんは気になりますが、…。
 第五の「魔王驚愁」は、どうもおとぎ話のように聞こえます。》


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