かくのごとくの供養、かならず誠心(ジョウシン)に修設(シュセツ)すべし。諸仏かならず修しきたりましますところなり。その因縁、あまねく経律にあきらかなれども、なほ仏祖まのあたり正伝しきたりまします。
執侍(シツジ)服労の日月、すなはち供養の時節なり。形像(ギョウゾウ)舎利を安置し、供養礼拝し、塔廟をたて支提(シダイ)をたつる儀則、ひとり仏祖の屋裏(オクリ)に正伝せり、仏祖の児孫にあらざれば正伝せず。
またもし如法(ニョホウ)に正伝せざれば、法儀相違す。法儀相違するがごときは供養まことならず。供養まことならざれば、功徳おろそかなり。かならず如法供養の法、ならひ正伝すべし。
令韜(レイトウ)禅師は曹谿の塔頭(タッチュウ)に陪侍して年月をおくり、盧行者は昼夜にやすまず碓米供衆(ツイメイクジュ)する、みな供養の如法なり。これその少分なり、しげくあぐるにいとまあらず。かくのごとく供養すべきなり。
正法眼蔵 供養諸仏 第五
建長七年 夏安居(ゲアンゴ゙)の日
弘安第二 己卯(ツチノトウ)六月二十三日 永平寺衆寮(ジュリョウ)に在って之を書写す。
【現代語訳】
このような供養を、必ず真心で行いなさい。これは諸仏が必ず修めてこられたものなのです。その供養の因縁は、広く経や律に明らかに説かれていますが、さらに仏祖(仏と祖師)は、それを直接
正しく伝えてこられたのです。
諸仏に仕える月日とは、つまり供養の日々のことなのです。仏像や舎利(仏の遺骨)を安置して供養礼拝すること、塔廟や霊廟を建てる作法などは、ただ仏祖の教えの中だけに正しく伝えられてきたのであり、仏祖の児孫(門弟)でない者はそれを正しく伝えていないのです。
又、もし法の通りに正しく伝えなければ、作法は違ったものになります。作法が違えばその供養はまことのものになりません。供養がまことのものでなければ功徳は劣ります。ですから、必ず法の通りに供養の法を学んで正しく伝えていきなさい。
令韜禅師は曹谿(六祖慧能)の墓塔に仕えて年月を送り、また盧行者(六祖慧能)は五祖弘忍のもとで、昼夜に休まず米を搗いて僧衆に供養したことは、皆供養の作法であったのです。これはその少しの例であって多くを取り上げることはできませんが、我々はこのように供養するべきなのです。
正法眼蔵 供養諸仏 第五
建長七年(1255)夏安居の日
弘安二年(1279)六月二十三日、永平寺衆寮に於いてこれを書写する。
《禅師の結びの言葉です。
ここでは、「執侍服労の日月、すなわち供養の時節なり」という言葉が全てでしょうか。仏道において行う振る舞いは、全てが供養ということだ、という意味と思われます。それを伝えられてきているとおり、正しい作法で行わなければならない、逆にそれがまた仏道と言うことなのだ、ただし、その供養は、「かならず如法供養の法、ならひ正伝すべし」というものでなければならない、…。
かくして修行は定められた型のとおりに、日夜繰り返されます。
永平寺の日課は開山以来その形を変えることなく続けられていると聞きます。