『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

帰依三宝

未曾有経~毗摩大国徙陀山の中に、一の野干あり ~2

 これを天帝拝畜為師(テンタイハイチクイシ)の因縁と称す。あきらかにしりぬ、仏名(ブツミョウ)、法名(ホウミョウ)、僧名(ソウミョウ)のききがたきこと、天帝の野干を師とせし、その証なるべし。
  いまわれら宿善のたすくるによりて、如来の遺法(ユイホウ)にあふたてまつり、昼夜に三宝の宝号をききたてまつること、時とともにして不退なり。これすなはち法要なるべし。
 天魔波旬(ハジュン)、なほ三宝に帰依したてまつりて患難(ゲンナン)をまぬかる。いかにいはんや余者(ヨシャ)の、三宝の功徳におきて、積功(シャック)累徳せらん、はかりしらざらめやは。
 おほよそ仏子の行道(ギョウドウ)、かならずまづ十方の三宝を敬礼(キョウライ)したてまつり、十方の三宝を勧請(カンジョウ)したてまつりて、そのみまへに焼香散華して、まさに諸行を修(シュ)するなり。これすなはち古先の勝躅(ショウチョク)なり、仏祖の古儀なり。
 もし帰依三宝の儀いまだかつておこなはざるは、これ外道の法なりとしるべし、または天魔の法ならんとしるべし。仏仏祖祖の法は、かならずそのはじめに帰依三宝の儀軌あるなり。
 

 正法眼蔵 帰依三宝 第六

 建長七年 乙卯(キノトウ)夏安居の日、先師の御草本を以て書写し畢(オワ)る。未だ中書、清書等に及ばず、定んで御再治の時、添削有る歟、今に於て其の儀、叶ふべからず。仍(ヨ)って御草、此(カク)の如く云う。
 

弘安二年己卯(ツチノトウ)夏安居 五月二十一日、越宇中浜新善光寺に在って之を書写す。                               義雲
 

【現代語訳】
 これを、帝釈天が畜類を礼拝して師とした因縁と言います。この話から明らかに知られることは、仏(仏陀)という呼び名、法(仏法)という呼び名、僧(僧団)という呼び名は、この世界では聞くことが難しいということです。これは、帝釈天が仏の名を称えた狐を師としたことが、その証拠と言えましょう。
 今我々は、過去世の善行の助けによって、釈尊の残されたみ教えに会うことができ、昼夜に仏、法、僧という三宝の尊い呼び名を聞いて止む時がありません。これが仏法の大切なところなのです。
 天界の魔王でさえ、三宝に帰依して悩み苦しみを免れるのです。ましてその他の者が、三宝の功徳を積み重ねたならば、その果報は計り知れないことでしょう。
 およそ仏弟子の仏道修行とは、必ず最初に、十方の三宝を恭敬礼拝して十方の三宝をお迎えし、その御前で香を焚き、華を散らして供養してから、まさに様々な行を修めるのです。これは古聖先哲が行ってきた勝れた足跡であり、仏や祖師の古来の決まりなのです。
 もし、三宝に帰依する儀式を一度も行ったことがないのであれば、これは外道の法であると知りなさい。又は、人を惑わす天魔の法であろうとわきまえなさい。仏から仏、祖師から祖師へと伝えられた法は、必ずその初めに三宝に帰依するという儀式があるのです。
  

 正法眼蔵 帰依三宝 第六 

 建長七年、夏安居(夏期九十日修行)の日に、先師(師の道元)の残された原稿を書写した。まだ清書されておらず、きっと御病気が治られた時には添削されたことであろう。今ではその事は叶わないので原稿のままである。
 

弘安二年、夏安居の五月二十一日、越前中浜新善光寺にてこれを書写する。 義雲
 

《「あきらかにしりぬ、仏名、法名、僧名のききがたきこと、天帝の野干を師とせし、その証なるべし」というのは、帝釈天が「孤露にして導師無く、…」と言ったことについて言っているのでしょう。
 心から「南無帰依十方仏」と唱える者こそ師とするにたるのであって、その声を聞いたなら、狐にさえも頭を下げて師事しなくてはならない、それほどに、普通にはまれなことなのだ、という教えだと思われます。
 ところが、幸いなことに私たち(禅師とその弟子たち)は、どういう因縁か、その道に入ることができている、である以上は、帰依三宝ということを実践していかなければならないのだ、と説いて、この巻を終わります。
 なお、建長七年は一二五五年、弘安二年は一二七九年で、「義雲」は永平寺第五世です。懐弉が書き写しておいたものを、さらに写したものであるようで、この弘安二年のことは、『全訳注』、『提唱』ともに書かれていません。

 次は「深信因果」巻を読んでみます。》


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未曾有経~毗摩大国徙陀山の中に、一の野干あり ~1

未曾有経(ミゾウウキョウ)に云(イハ)く、
 仏言(ノタマ)はく、過去無数劫(ムシュコウ)の時を憶念(オクネン)するに、毗摩大(ビマタイ)国徙陀山(シダセン)の中に、一の野干(ヤカン)あり。而も師子(シシ)の為に逐(オ)はれて、食(ク)はれなんとす。奔走して井に堕ち、出づること得る能はず。
 三日を経るに開心して死を分(ワキマ)へ、而も偈を説いて言はく、
「禍ひなる哉、今日苦に逼(セマ)られて、
 便ち当に命を丘井(キュウセイ)に没(モッ)せんとす。
 一切万物皆無常なり、
 恨むらくは身を以て師子に飴(ク)らはさざりしことを。
 南無帰依十方仏、我が心浄にして己(オノ)れ無きことを表知したまへ。」

時に天帝釈、仏の名(ミナ)を聞いて粛然として毛豎(タ)ち、古仏を念(オモ)ふ。自ら惟(オモ)ふらく、「孤露にして導師無く、五欲に耽著(タンジャク)して自ら沈没(チンモツ)す。」と。
 即ち諸天八万衆と与(トモ)に、飛下(ヒゲ)して井に詣(イタ)り、問詰せんと欲(オモ)ふ。乃ち野干の井底(セイテイ)に在りて、両手もて土を攀(ヨ)づれども出づること得ざるを見る。
 天帝、復自ら思念して言はく、
「聖人(ショウニン)応に方術無からんと念(オモ)ふべし。我今野干の形を見ると雖も、斯(コ)れ必ず菩薩にして凡器に非ざらん。仁者(ニンジャ)向説するは凡言(ボンゴン)に非ず、願はくは諸天の為に法要を説きたまへ。」
 時に野干、仰いで答へて曰く、
「汝、天帝として教訓無し、法師(ホッシ)は下に在りて自らは上に処(オ)る、都(スベ)て敬を修(シュ)せずして法要を問う。法水清浄(ホッスイショウジョウ)にして能く人を済(スク)ふ、云何(イカン)が自ら貢高なることを得んと欲(オモ)ふや。」
 天帝、是を聞いて大いに慚愧(ザンギ)す。
 給侍の諸天愕然として笑ふ、「天王降趾(コウシ)すれども大いに利無し。」と。
 天帝、即時に諸天に告ぐ、
「慎んで此れを以て驚怖を懐くこと勿れ、是我頑蔽(ガンペイ)にして徳称はず、必ず当に是に因って法要を聞くべし。」
 即ち為に天の宝衣(ホウエ)を垂下(スイゲ)して、野干を接取して上に出だす。諸天為に甘露の食(ジキ)を設け、野干食することを得て活望(カツモウ)を生ず。
 意(オモ)はざりき、禍中に斯(コ)の福を致さんとは。心に踴躍(ユヤク)を懐きて慶ぶこと無量なり。野干、天帝及び諸天の為に、広く法要を説く。
 

【現代語訳】
 未曾有経には次のように説かれている。
 仏(釈尊)は言われた、遥か遠い昔、毗摩大国の徙陀山の山中に一匹の狐がいた。ある日、その狐は獅子に追われて食われそうになった。彼は逃げ回って井戸に落ち、出られなくなった。そうして三日がたち、彼は死を覚悟して次のような詩句を唱えた。
「なんという災難であろうか。私は今日にも苦しんで、井戸の中で命を落とすことであろう。この世のすべてのものは皆無常である。今になって残念に思うことは、この身を飢えた獅子に施して食わせなかったことである。私は心からすべての仏たちに帰依いたします。どうか私の心に汚れなく私心のないことをお察しください。」と。
 その時に帝釈天は、仏の名を称える声を聞いて粛然として毛が立ち、いにしえの仏たちのことを思った。そして自らを省みて、「私は孤独で導いてくれる師も無く、様々な欲に引かれて自ら欲に溺れている。」と思った。
 そこで八万の様々な天神たちと共に、下界に飛び下りて井戸に行き、声の主に教えを問いただそうとした。すると狐が井戸の底にいて、両手で土を攀じ上ろうとしても出られない様を見た。
 そこで帝釈天はまた次のように考えた。
「この聖人は、おそらく井戸を抜け出す方法は無いと観念しているのであろう。私は今、狐の姿を見ているが、これはきっと菩薩であり、凡庸な器量の持ち主ではない。」と。
 そこで彼に呼び掛けた。「あなたの先ほどの言葉は凡人の言葉ではありません、どうか我等多くの天神のために仏法の要旨を説いてください。」と。
 その時に狐は井戸の底から仰いで答えた。
「あなたは帝釈天でありながら教養が身についていません。何故なら法を説く師が下に居り、あなた自身は上にいて、師に対してまったく敬意なく法を尋ねているからです。仏法の甘露の水は清浄でよく人々を救うものです。あなたはどうして自ら尊大に構えたがるのですか。」と。
 帝釈天は彼の言葉を聞いて深く自らを恥じた。それを聞いたお供の天神たちは驚いて笑って言った。「はるばる天界の王が天から降りてやって来たが、大して利益はなかった。」と。
 帝釈天は、そこで諸々の天神たちに告げた。
「天神たちよ、決してこのようなことで驚いてはいけない。これは私が愚かで徳が無いからである。必ず彼から法を聞かねばならない。」と。
 そこで、狐のために宝玉をちりばめた天衣を下げ降ろし、狐を引き上げて井戸の上に出した。そして天神たちは狐のために御馳走を設け、狐は食べることによって元気を取り戻した。
 狐は災難の中でこのような福が得られるとは思いもしなかったので、心は勇躍し喜びは無量であった。そこで狐は、帝釈天や多くの天神たちのために、様々に仏法を説いたのである。」と。
 

《少し長くなりましたが、以上が引用されたエピソードです。
 野狐が死地に臨んで大変なことを言いました。その一つは「一切万物皆無常なり」です。「奔走して井に堕ち」たにしては、ずいぶん達観した感じで、そんな悠長なことを言っている場合かと思ってしまいますが、そういうキツネもたまにはいるかもしれません。
 しかし、さらに驚くべきは、「恨むらくは身を以て師子に飴らはさざりしことを」で、こんなふうに穴の底で朽ち果てるくらいなら、せめて獅子の飢えを満たしてやればよかった、というのですが、自分をこういう事態に追い込んだ相手に対して、なかなかそういうふうには思えません。
 そういう「偈を説」いて、最後に「南無帰依十方仏、我が心浄にして己れ無きことを表知したまへ」と唱えました。
 このすべてが善根となったのでしょう、帝釈天の心を打って、救いの手を得たのでしたが、やってきた帝釈天が助ける前に穴の上から声をかけたことにキツネは毅然としてその非礼をとがめました。
 ところで、この話において、このキツネはどうしてキツネでなければならなかったのでしょか。普通に一人の僧侶でもそのまま話が進みそうで、むしろその方が自然な話になって、リアリテイも増したのではないか、…。
 以下に禅師の解説です。もちろん、そのことは問題にされません。


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2 法句経~2

 おほよそ世間の苦厄をすくふこと、仏世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎(ロタイ)に生ず。
 帰仏の功徳により、驢母(ロモ)の鞚(クツワ)やぶれて、陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ。驢母の身いたみて、託胎(タクタイ)の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。仏説をききて初果をうる、帰依三宝の功徳力(クドクリキ)なり。
 しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかにはなれて、無上菩提を証得せしむること、かならず帰依三宝のちからなるべし。
 おほよそ三帰のちから、三悪道をはなるるのみにあらず、天帝釈の身に還入(ゲンニュウ)す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀洹(シュダオン)の聖者(ショウジャ)となる。まことに三宝の功徳海、無量無辺にましますなり。
 世尊在世は、人天(ニンデン)この慶幸(ケイコウ)あり。いま如来滅後、後五百歳のとき、人天いかがせん。しかあれども、如来形像(ギョウゾウ)舎利等、なほ世間に現住しまします。これに帰依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。
 

【現代語訳】
 およそ世間の苦難を救うことに於て、仏に及ぶ者はいません。それでこの帝釈天は、急いで仏の所に参ったのです。そして地に伏して礼拝する間に命が終わり、驢馬の胎内に生まれました。
 そして仏に帰依した功徳によって、驢馬の母の手綱が切れて瀬戸物屋の陶器を壊し、店主が驢馬を打って驢馬の母の身は傷み、胎の驢馬が傷ついて帝釈天の身に帰ることが出来ました。そして仏の教えを聞いて最初の聖者の悟りを得たのは、三宝に帰依した功徳力のおかげでした。
 このように、世間の苦難を速やかに離れて、無上の悟りを得させるものは、三宝に帰依する功徳力なのです。
 およそ三宝帰依の功徳力によって、地獄餓鬼畜生などの三悪道を離れるだけでなく、帝釈天の身に帰ったのです。天上界に生まれる果報を得るだけでなく、須陀洹(最初の悟りを得た者)の聖者となったのです。まことに三宝の功徳の海は広大で計り知れません。
 仏(釈尊)が世に居られた時には、人間界や天上界の人々に、このような幸せがありました。しかし今は仏の滅後、五百年の時であり、人間界や天上界の人々は一体どうすればよいのでしょうか。しかしながら、仏像や舎利(仏の遺骨)などが今も世間にあり、これに帰依すれば、またこのような功徳が得られるのです。
 

《禅師の解説です。
 やはり、「託胎の驢やぶれぬ」から「天帝の身にかへりいる」となる経過が分かりにくいのですが、そういう細かいことはおいて、ともかく、ロバになってしまうところを、無事にもとの帝釈天の姿で生まれたのだった、という話のようです。
 それもこれも、「帰依三宝」の賜だというわけです。
 なお、「後五百歳」は、ここの訳では分かりにくいですが、「『大集経』にいう五つの五百年のうち、第五の五百年をいう。末法のことである」(『全訳注』)のだそうです。》


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1 法句経~1

 法句経(ホックキョウ)に云(イハ)く、
 昔、天帝(テンタイ)有り、自ら命終(ミョウジュウ)して驢中(ロチュウ)に生ぜんことを知り、愁憂(シュウ)すること已(ヤ)まずして曰く、「苦厄を救はん者は、唯仏世尊のみなり。」
 便ち仏の所に至り、稽首伏地して、仏に帰依したてまつる。未だ起きざる間に、其の命便ち終って驢胎(ロタイ)に生ず。
 母の驢、鞚(クツワ)断たれて陶家(トウカ)の坏器を破る。器主之を打つ。遂に其の胎を傷つけ、天帝の身中に還り入る。
 仏言(ノタマ)はく、
「殞命(インミョウ)の際、三宝に帰依す、罪対已(スデ)に畢(オワ)りぬ。」
 天帝之を聞き、初果を得 たり。

 

【現代語訳】
 法句経には次のように説かれている。
 昔ある帝釈天が、自分の命が終ると来世は驢馬に生まれることを知って、憂い悲しんで言った。
「私のこの苦難を救ってくれるものは仏(釈尊)しかいない。」と。
 そこですぐに仏の所に行き、地に伏して礼拝し、仏に帰依した。帝釈天は、礼拝からまだ起き上がらない間に命が終り、驢馬の胎内に生まれた。
 すると、母の驢馬の手綱が切れて瀬戸物屋の陶器を壊し、店屋の主が怒って驢馬を打った。それで驢馬の胎が傷ついて、また帝釈天の身に帰ることが出来た。
 そこで仏が言われるには、
「命を落とす際に三宝(仏陀、仏法、僧団)に帰依したので、罪に対することが終ったのである。」と。
 帝釈天はこの言葉を聞いて、聖者の最初の悟りを得た。
 

《ある帝釈天が、生まれ変わる時に、ロバになりそうだと知って、仏に懇願し帰依したところ、その功徳でロバに生まれず、再び帝釈天として生まれることができた、という話です。
 帝釈天なら、仏教の守護神であるはずですから、とっくに帰依していたのではないかと思うのですが、そうでない帝釈天もあるのでしょうか。
 「遂に其の胎を傷つけ、天帝の身中に還り入る」は、何が「還り入る」のか、分かりにくいのですが、「命が」とでも考えるのでしょうか。ただ、命と形、精神と肉体というような分類は、仏教では取らないように書かれてあったと思うのですが、…(「辨道話」第十四章)。》


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何をか名づけて優婆塞と為す也

 仏、迦毗羅衛尼拘陀林(カビラエニクダリン)に在りし時、釈摩男(シャクマナン)、仏の所に来至(ライシ)して、是の如くの言(ゴン)を作(ナ)して云(イハ)く、
「何をか名づけて優婆塞(ウバソク)と為(ナ)す也(ヤ)。」
 仏即ち為に説きたまふ、
「若し善男子善女人有って諸根完具し、三帰を受けん、是を即ち名づけて優婆塞と為す。」
 釈摩男 (イ)はく、
「世尊、云何(イカン)が名づけて一分(イチブン)の優婆塞と為すや。」
 仏 (ノタマ)はく、
「摩男(マナン)、若し三帰を受け、及び一戒を受けんには、是を一分の優婆塞と名づく。」
 仏弟子となること、かならず三帰による。いづれの戒をうくるも、かならず三帰をうけて、そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、三帰によりて得戒(トッカイ)あるなり。
 

【現代語訳】
 仏(釈尊)がカビラエ国のニクダ林に居られた時に、釈迦族の摩訶男(マカナン)が仏の所にやって来て、次のように尋ねた。
「どのような人を優婆塞(仏道に帰依し五戒を守る在家信者)と呼ぶのでしょうか。」
 仏は摩訶男のために説かれた。
「善良な男女で諸根(感覚器官である眼 意の六根)を満足に具え、三帰依を受けた人を優婆塞と呼ぶ。」
 さらに摩訶男は尋ねた。
「世尊よ、それではどのような人を優婆塞の仲間と呼ぶのでしょうか。」
 仏は答えた。
「摩訶男よ、三帰依を受け、そして在家の五戒(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)の中の一つを受けたならば、この人を優婆塞の仲間と呼ぶのである。」と。
 このように、仏弟子となる者は、必ず三帰依を受けるのです。どの戒を受けるにも、必ず三帰依を受けてから、その後に諸戒を受けるのです。ですから、三帰依によって戒が得られるということです。
 

《「大般涅槃経」にあるエピソードだそうで、終わりの「仏弟子となる」以下が禅師の解説です。
 「優婆塞」とはどういう人を言うのかという問いですが、そう言われれば、在家信者というのは大きな幅のある括りです。
 そこでもともかく「三帰を受」けているかどうかが境目だという明快な答えで、つまり「三宝に帰依している」ことが、それほどに大きなこととされるわけです。
 同様に「一分の優婆塞」ということもあるようです。「一分の」とあるので、普通の優婆塞よりはランクが下のようにも見えますが、ここの解釈に従えば、「三帰を受け」た上にさらに「一戒を受け」ている人のことのようですから、逆にワンランク上の人ということになりそうです。
 いずれにしても、「三帰」を受けることが重要で、戒を受けるにしてもその後である、という話です。
 さてここから、以下、同様に、さらに経典からエピソード二つが引用され、それへの禅師の解説が語られて、この巻の終わりになります。》


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