『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

四禅比丘

如来世尊、はるかに一切を超越しまします

いま世尊の金言(キンゴン)、それかくのごとし。東土愚闇の衆生、みだりに仏教に違背(イハイ)して、仏道とひとしきみちありといふことなかれ。すなはち謗仏(ボウブツ)謗法となるべきなり。
  西天の鹿頭(ロクトウ)、ならびに論力(ロンリキ)、乃至(ナイシ)長爪(チョウソウ)梵志、先尼梵志等は、博学の人たり、東土にむかしよりいまだなし。孔老さらにおよぶべからざるなり。これらみなみづからが道(ドウ)をすてて、仏道に帰依す。
 いま孔老の俗人(ゾクニン)をもて仏法に比類せんは、きかんものもつみあるべし。いはんや阿羅漢、辟支仏も、みなつひに菩薩となる、一人としても小乗にしてをはるものなし。いかでかいまだ仏道にいらざる孔老を、諸仏にひとしといはんや。大邪見なるべし。
 おほよそ如来世尊、はるかに一切を超越(チョウオツ)しましますこと、すなはち諸仏如来、諸大菩薩、梵天帝釈、みなともにほめたてまつり、しりたてまつるところなり。西天二十八祖、唐土六祖、ともにしれるところなり。おほよそ参学の力あるもの、みなともにしれり。
 いま澆運(ギョウウン)のともがら、宋朝愚闇のともがらの、三教一致の狂言もちゐるべからず。不学のいたりなり。

 正法眼蔵 四禅比丘 第十

建長七年 乙卯(キノトウ)夏安居の日、御草案本を以て書写し畢(オワ)る。 懐弉


【現代語訳】
 ただ今の世尊(釈尊)の金言(仏の言葉)は、それこのようであります。中国の愚かな人々よ、みだりに仏教に背いて、仏道と等しい道があると言ってはいけません。それは仏を謗り法を謗ることになると言うべきです。
 インドの鹿頭や論力、また長爪梵志、先尼梵志などは、博学の人であり、これに匹敵する人は、中国には昔からまだ出ていないのです。孔子老子は決して及ぶことが出来ない人たちなのです。これらが皆、自らの道を捨てて仏道に帰依しました。
 今、孔子老子という俗人の教えをもって、仏法に比べることは、それを聞き入れる者にも罪があります。まして仏法では、小乗の阿羅漢や辟支仏も、皆最後には大乗の菩薩となるのであり、一人も小乗で終る者はいないのです。それなのに、どうしてまだ仏道に至らない孔子老子を、諸仏に等しいと言えましょうか。それは大きな邪見です。
 およそ世尊(釈尊)が、遥かに一切の人々を超越しておられることは、諸仏や諸大菩薩、梵天や帝釈天などが、皆共に褒めておられ、知っておられるのです。インドの二十八代の祖師たちや中国の六代の祖師たちも、共に知っているのです。およそ師に参じて学ぶ力のある者は、皆共に知っているのです。
 今の末世の修行者たちは、宋国の愚かな者たちの説く三教(仏教 儒教 道教)は一致するという、でたらめな説を信用してはいけません。それはまったく仏道を学んでいない者の言うことです。

 正法眼蔵 四禅比丘 第十

建長七年、夏の禁足修行期間に御草案本を書写し終る。懐弉


《四禅比丘批判を枕にして、延々と続いてきた三教一致説批判の終わりです。
 孔老荘の説くところと仏法の最も大きな違いは、前者がもっぱら現世を語るのに対して、仏法は過現未の三世を見通して、その間に因果のつながりを見ているという点と言えばいいでしょうか。
 しかし、『全訳注』は「鋭い批判」と言っていますが、厳しいとは言えても、あまり鋭く核心を突いた批判のようには感じられないのですが、どうなのでしょうか。
 ただ、孔老荘と釈尊を同日に論ずることに我慢がならなかったようだということは、その言葉の激しさからよく分かります。
 ともあれ、この巻は、人を、現実世界だけにおける存在と考えず、永遠の時間の中において、そこでの因果因縁での繋がれ、生まれ変わり生き変わるもの、と考えることの大切さを強調する話となっている、と考えれば、禅師の当初の趣旨に添うものと考えていいのではないでしょうか。》

「四禅比丘」巻 おわり
 次は、「受戒」巻を読んでみます。



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2 虚も無く亦実も無し

 是の時、仏義品(ギボン)の偈を説いて言(ノタマ)はく、
「各各(オノオノ)究竟と謂ひて、而(シカ)も各(オノオノ)自ら愛著(アイジャク)し、各自らを是(ゼ)として他を非とす、是れ皆究竟に非ず。
 是の人論衆(ロンジュ)に入りて、義理を辨明する時、各各相ひ是非し、勝負して憂喜(ウキ)を懐(イダ)く。
 勝者は慢坑(マンギョウ)に堕(ダ)し、負者(フジャ)は憂獄(ウゴク)に堕す。
 是の故に有智(ウチ)の者は、此の二法に堕せず。
 論力、汝当に知るべし、我が諸の弟子の法は、虚も無く亦実も無し。
 汝何(イズ)れの所をか求めんと欲(オモ)ふ。
 汝我が論を壊せんと欲はば、終(ツイ)に已(スデ)に此の処(コトワリ)無し。
 一切智明らめ難し、還って是れ自ら毀壊(キエ)せん。」
 

【現代語訳】
 この時、仏は義品経の詩句を論力に説いた。
「おのおのが究極と考えて、そしておのおの自ら愛著し、おのおの自分が正しく他を誤りとするならば、これは皆究極ではない。
 この人たちは、論議の人々の中で道理の是非を論じる時、おのおの互いに是非し合ってその勝負に一喜一憂する。
 勝者は慢心におちいり、敗者は憂いの地獄に沈む。
 このために智慧ある者は、この勝ち負けの二法に堕ちることはない。
 論力よ、おまえは知らなければならない、私の弟子たちの法は、無いとも言わず、又有るとも言わないのである。
 おまえは何を求めようとしているのか。
 おまえが私の論を破ろうとしても、もはやこの勝ち負けというものは無いのである。
 一切を知る智慧は明らかにし難い。勝ち負けを争えば、かえって自分を壊してしまうことだろう。」と。
 

《「帰依入道」した論力に釈尊は改めて教えを説きます。
 是非を言い合っているうちは、まだ「究竟」に到達しているとは言えない、「我が諸の弟子の法は、虚も無く亦実も無し」、…。
 以前引いたことのある文章を再度書いてみます。
「皆が肩をよせあって、こうだこうだ、そうだそうだ、といっている間は、それはまだ個別的な教養習得の過程に過ぎない。…皆が直接的に同一性を確かめあえる次元こそが、実は個別的なのである。普遍は次の段階にあらわれてくる。…ほとんど絶望的な孤独地獄の中に暗室にさしこむ一筋の光りのようにおとずれるものだ」(高橋和巳『自立と挫折の青春像』)
 「虚も無く亦実も無し」を『提唱』は「何かを否定するという風な態度もなければ、何かだけを取り上げて固執するというふうな態度もない」と訳しています(『全訳注』はそのまま「虚もなく実もない」)が、虚実は非と是ではないように思われます。語ろうとして語れない、しかし確実なものとしてその人の中に光が差し込むように入ってくる、または表れてくるもの、というようなことを言っているのではないでしょうか。香厳撃竹の逸話のように、また『風景開眼』の画家のように。
 なお、「義品の偈」は、ここではそういう名前の経があるような訳になっていますが、『提唱』は「さまざまな教えの優劣」を説いた詩としていますし、『全訳注』は「義理を説いた韻文」と訳しています。
 そうして、さて、禅師の結びの言葉になります。》


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1 如来在世に外道あり、論力と名づく

 如来在世に外道あり、論力(ロンリキ)と名づく。自ら謂(オモ)へり、論議与(トモ)に等しき者無く、其の力最大なりと。故に論力と云ふ。
 五百梨昌(リショウ)の募(ボ)を受けて、五百の明難を撰し、来って世尊を難ぜんとして、仏所に来至(ライシ)し、仏に問いたてまつるに云はく、
「一究竟道(イチクキョウドウ)とやせん、衆多(シュタ)究竟道とやせん。」
 仏言(ノタマ)はく、「唯一究竟道なり。」
 論力言はく、「我等が諸師は、各(オノオノ)究竟の道有りと説く。外道の中、各自らを是(ゼ)と謂(オモ)ひ、他人の法を毀訾(キシ)して、互いに相ひ是非するを以ての故に、多道有り。」
 世尊其の時、已(スデ)に鹿頭(ロクトウ)を化(ケ)し、無学果を成じて、仏辺に在りて立つ。
 仏論力に問ふ、「衆多の道の中、誰をか第一と為す。」
 論力 云はく、「鹿頭第一なり。」
 仏言(ノタマ)はく、「其れ若し第一ならば、云何(イカン)ぞ其の道を捨てて、我が弟子となり、我が道中に入るや。」
 論力見已(ミオワ)りて、慙愧低頭(テイヅ)して、帰依入道す。
 

【現代語訳】
 如来(釈尊)が世に在りし時に、論力という名の外道がいた。その外道は、自ら論議することに於て同等の者は無く、その力は最も勝ると思っていたので、論力と名乗っていたのである。
 論力は、五百人のビシャリ国民の募金を受けて、五百の難問を選び、世尊(釈尊)を非難しようと仏(釈尊)の所にやって来て質問した。
「究極の道は一つですか、それとも多数ありますか。」
 仏は答えて、「究極の道は唯一つです。」
 論力が言うには、「我等の諸師は、おのおの究極の道があると説いています。外道の中では、おのおの自分の説が正しいと考えて他人の法を謗り、互いに是非し合っているので多くの道があります。」
 世尊(釈尊)はその時、すでに鹿頭を教化し、鹿頭は阿羅漢の悟りを得て仏(釈尊)のそばに立っていた。
 仏は論力に尋ねた、「その多くの道の中では、誰が一番勝れていますか。」
 論力が言うには、「鹿頭が一番勝れています。」
 仏が言うには、「もし鹿頭が一番勝れているのなら、どうして鹿頭はその道を捨てて私の弟子となり、私の道の中に入ったのでしょうか。」
 その時論力は、鹿頭の姿を見て自らを恥じて頭を垂れた。そして仏に帰依し仏道に入った。
 

《ずいぶん他愛のない話のように思えます。「梨昌」は「離車族という。毘舎離を構成していた部族」(『全訳注』)だそうで、その一族の応援を受けて釈尊のところに論戦を挑んできた、論力という者がいました。彼は「一究竟道とやせん、衆多究竟道とやせん」という大変な問いをぶっつけます。
 現代人なら間違いなく「衆多究竟道」と答えるところでしょうが、釈尊は、これまた当然ながら「唯一究竟道なり」と答えました。
 それに対する論力の質問が、我々の仲間ではお互いに自分が正しいと言って、他を批判し合っている(のだから)、「多道」と言うべきではないのか、…という、何とも他愛のないもので、驚いてしまいます。
 自分たちそうだからと言って、それが究極のものであるという保証は何もないわけで、質問になっていないと言うべきではないでしょうか。
 それに、自分たちを「外道」と呼んでどうするか、という気もします。
 また、後段のやり取りも、どうも子供じみた感じが拭えません。募金を受けるなど周到な準備をして出かけたであろう論力が、仲間の中で一番と目していた鹿頭がすでに釈尊の門に入っていたことを知らなかったというのも変ですし、それで最後には「帰依入道」したというのですから、何とものどかなやり取りだという気がします。
 これも先にあった「止観輔行伝弘決」からの引用だそうです。

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二祖毎に歎いて曰く

 伝燈録に云はく、
 二祖毎(ツネ)に歎いて曰く、「孔老の教は、礼術風規なり、荘易(ソウエキ)の書は、未だ妙理を尽くさず。近く聞く、達磨大士、少林に住止(ジュウシ)せりと。至人(シジン)遠からず、当に玄境に造(イタ)るべし。」
 いまのともがら、あきらかに信ずべし、仏法の振旦に正伝せることは、ただひとへに二祖の参学の力なり。
 初祖たとひ西来せりとも、二祖をえずば、仏法つたはれざらん。二祖もし仏法をつたへずば、東地いまに仏法なからん。おほよそ二祖は、余輩に群すべからず。
 伝燈録に云はく、
 僧神光は、曠達(コウタツ)の士なり。久しく伊洛(イラク)に居して、群書を博覧し、善く玄理を談ず。
 むかし二祖の群書を博覧すると、いまの人の書巻をみると、はるかにことなるべし。得法伝衣ののちも、むかしわれ孔老之教、礼術風規とおもひしは、あやまりなりとしめすことばなし。しるべし、二祖すでに孔老は仏法にあらずと通達せり。
 いまの遠孫(オンソン)、なにとしてか祖父に違背して、仏法と一致なりといふや。まさにしるべし、これ邪説なり。
 二祖の遠孫にてあらば、正受(ショウジュ)等が説、たれかもちゐん。二祖の児孫たるべくば、三教一致といふことなかれ。
 

【現代語訳】
 景徳伝燈録(過去七仏からインド中国の祖師1701人の言行を収録。景徳元年成立。)には次のように記されている。
 中国の二祖、慧可は常に嘆いていた。「孔子老子の教えは礼儀作法であり、荘子易経の書はまだ奥深い真理を尽くしていない。近頃聞くことには、インドから来た達磨大師が少林寺に住しているという。仏道に達した人は遠くではない。その玄妙の境地を学びに行かなければならない。」と。
 今、仏道を学ぶ者たちは明かに信じなさい、仏法が中国に正しく伝わったことは、ただひとえに二祖慧可の、祖師に参じて学ぶ力のおかげであることを。
 中国の初祖達磨が、たとえインドから渡って来たとしても、達磨が二祖慧可を得なければ、その仏法は伝わらなかったことでしょう。又、二祖がもし達磨の仏法を伝えなければ、今の東地中国にその仏法は無かったことでしょう。およそ二祖慧可は、我々とは比べものにならない抜群の人物なのです。
 景徳伝燈録には、
「僧神光(慧可の名)は、心の広い人物であり、久しく伊川と洛水に住み、様々な書物を広く読んで、いつも玄妙な道理を論じていた。」とある。
 昔、二祖が様々な書物を広く読んだことと、今の人が書物を読むこととは、きっと遥かに内容が異なるに違いありません。その二祖が、達磨の法を得てその衣を伝えた後にも、昔自分が孔子老子の教えを礼儀作法であると思ったことは誤りであったと言うことはありませんでした。このことから知りなさい、二祖は既に孔子老子は仏法ではないことを明らかにしていたのです。
 今の二祖の遠孫が、どうして祖父に背いて仏法と孔子老子は一致すると言うのでしょうか。知らなければなりません、これは邪説なのです。
 二祖の遠孫であれば、正受等の説を誰が用いるものでしょうか。二祖の児孫であるならば三教(仏教 儒教 道教)は一致すると言ってはなりません。
 

《初めの慧可の言葉は達磨に会う前のもので、その時彼は「孔老」、「荘易」を学んで、それに飽き足らなく思っていた、ということのようです。
 孔子、老子は世の処し方を語っているというのは、これまでにも言いましたが、荘子、易経はそれよりワンランク上の扱いになっているようです。荘子は宇宙を語り、易経はこの世の目に見えない因果を語っているという点で、現世とは一線を画しているということでしょうか。
 そして仏法はさらにその上を行くのだと、あの慧可が言っている、これは信用できると禅師は言います。》


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2 順次生業

 むかしは老耼をもて世尊にひとしむる邪党あり、いまは孔老ともに世尊にひとしといふ愚侶(グリョ)あり、あはれまざらめやは。孔老なほ転輪聖王の十善をもて世間を化するにおよぶべからず。
 三皇五帝、いかでか金銀(コンゴン)銅鉄諸輪王の七宝千子具足して、あるいは四天下(シテンゲ)を化し、あるいは三千界を領せるにおよばん。孔子はいまだこれにも比すべからず。
 過現当来の諸仏諸祖、ともに父母、師僧、三宝に孝順し、病人等を供養するを化原とせり。害親を化原とせる、いまだむかしよりあらざるところなり。
 しかあればすなはち、老耼と仏法と、ひとつにあらず。父母を殺害(セツガイ)するは、かならず順次生業にして、泥犁(メイリ)に堕すること必定(ヒツジョウ)なり。たとひ老耼みだりに虚無を談ずとも、父母を害せんもの、生報(ショウホウ)まぬがれざらん。
 

【現代語訳】
 昔は老耼を世尊(仏)と同列に並べる邪党がいました。今では孔子老子も共に世尊と同じであると言う愚かな僧侶がいます。哀れなことです。孔子老子は、転輪聖王(三十二の好相を具えた偉大な世俗の王)が十の善行で世の中を治めることにさえ及ばないのです。
 たとえ太古の聖天子と呼ばれた三人の皇帝や五人の皇帝であっても、どうして金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王などの転輪聖王たちが七宝や千人の子息を具備して、ある人は四天下(東西南北の国土)を導き、ある人は三千界(宇宙)を治めていることに及ぶものでしょうか。孔子はまだ、この太古の聖天子にもなぞらえることは出来ないのです。
 過去 現在 未来の諸仏や諸祖師は、皆ともに父母、師僧、三宝(仏、法、僧団)に孝を尽くし、病人等を供養することを教化の基本としているのであり、親を害することを教化の基本とすることは昔から無かったのです。
 ですから、老耼と仏法は同じではありません。父母を殺害する者は、必ず次の生にその報いを受けて、必ず阿鼻地獄に堕ちるのです。たとえ老耼がむやみに虚無を説いたとしても、父母を害した者は、次の報いを免れることは出来ないのです。
 

《さて、そういう驚くべき話について解説です。禅師はこれを「かならず順次生業にして、泥犁に堕すること必定なり」と批判します。それはもちろんそうでしょうが、「父母を殺害」させる、また、実行する、という行為自体の非道さについては、何も触れず、そういうことをしたという事実を「順次生業」の例として取り上げるだけで、この出来事の驚くべき残虐さの度合いについてはあまり関心がないようです。
 たまたま昨日、禅師とほぼ同時代の『宇治拾遺物語』の絵仏師良秀の話(芥川龍之介の『地獄変』の種本)を読むことがあったのですが、そこでも、火事で焼け死ぬ妻子のことはほとんど問題にされず、もっぱら家が燃え上がっていることだけが取り上げられています。
 人が死ぬということに対しての感覚が、現代とはずいぶん違っていたのでないか、とそんな気がしてきます。ちなみに、『地獄変』の方は、火の回った車に閉じ込められた娘を中心に語られています。
 もちろんここでは「父母を殺害する」ことは否定されているのですが、それは、「順次生業」となるということ以前に、そのこと自体が十分に大罪である、ということが、もっと強調されていいような気がするのですが、…。》


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