『正法眼蔵』を読んでみます

      ~『現代語訳の試み』と読書ノート

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。
説いて聞かせようとして書かれたものである、
という一点を信じて、…。

四禅比丘

1 父母等の七人の頭を

 列伝に云はく、
 喜、周の大夫と為り星象(セイショウ)を善くす。因みに異気を見て、東にして之を迎ふ。果たして老子を得たり。請うて書五千有言を著さしむ。喜、亦自ら書九篇を著し、関令子と名づく。化胡経(ケコキョウ)に準ず。
 老、関西(カンセイ)に過(ユ)かんとす、喜、耼(タン)に従ひて去(ユ)くことを求めんと欲(ネガ)ふ。耼云はく、「若し志心に去くことを求めんと欲はば、当に父母等の七人の頭を将(モ)ち来るべし。乃ち去くことを得べし。」
 喜、乃ち教えに従ふに、七頭、皆 猪頭(チョトウ)に変ず。
 古徳云はく、
「然(シカ)あれば俗典の孝儒は尚木像を尊ぶ、老耼(ロウタン)は化(ケ)を設けて、喜をして親を害せしむ。如来の教門は、大慈を本と為す、如何(イカン)が老氏の逆を化原(ケゲン)と為さんや。」
 

【現代語訳】
 老荘の列伝に言うことには、
 尹喜(インキ)は周の国の大夫となり星の吉凶に詳しかった。ある日、特異な気配を見て東に行きこれを迎えると、予期した通り老子という人物を得た。そこで請うて五千言余りの書物を書いてもらった。
 尹喜は又、自ら九編の書を著して関令子と名づけた。
これは道家の化胡経(老子が仏となり仏教の基となったと説く)に準ずるものである。
 ある時、老耼(老子)は函谷関の西へ行こうとした。そこで尹喜は老耼に同行したいと願い出た。
 老耼が言うには、「もし本当に私と行きたいのなら、父母ら七人の頭を持ってきなさい。そうすれば同行を許す。」と。
 そこで尹喜が教えに従うと、七人の頭は皆猪の頭に変わったという。
 そこで古聖の言うには、
「老子と仏は同じと言うが、俗典の孝経儒教でも父母の木像を尊んでいるのに、老耼は猪を父母らに変化させて尹喜に親を害させた。如来(仏)の教えは大慈悲を根本としているのであり、どうして老耼の教えた逆罪を教化の基本とすることがあろうか。」と。
 

《冒頭の「列伝」については、『提唱』は『史記』の「列伝」編としていますが、『全訳注』は先にあった「止観輔行伝弘決」(第十二章)からの引用としています。孫引きと言うことになりますが、後の「古徳云はく」を含めて、そういうことなのでしょう。
 さて、そこに老子のエピソードが載っていました。初めは尹喜という人が老子に会って、心酔したという話、次いで、尹喜が老子に同行を求めた際の驚くべき出来事が語られます。
 「古徳」は、ここも「止観輔行伝弘決」の著者湛然でしょうが、その解説は、さすがにそれを「老氏の逆」と呼んでいます。
 ところで、父母等七人の頭を持って来いと言ったことも、それをそのとおりにしたことも、そしてその頭が豚だか猪だかに変じたことも、それは大変なことで、どれをとっても、何か一言あるべきところではないでしょうか。
 老子の「無為自然」とは余りにかけ離れたエピソードですが、一体どういう考えがあって、「当に父母等の七人の頭を将ち来るべし」などということを言ったのでしょうか。
 手がかりがほしくて『提唱』を読みますが、全く淡々と読み進めていて、とりつくしまもなく、それにも驚いてしまいました。》

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2 小臣にして帝位にのぼらず

  振旦一国に、なほ小臣(ショウジン)にして帝位にのぼらず、三千大千世界に王たる如来に比すべからず。如来は梵天、帝釈、転輪聖王等、昼夜に恭敬侍衛(クギョウジエ)し、恆時(コウジ)に説法を請(ショウ)したてまつる。
 孔老かくのごとくの徳なし、ただこれ流転の凡夫なり。いまだ出離解脱のみちをしらず、いかでか如来のごとく、諸法実相を究尽(グウジン)することあらん。もしいまだ究尽せずば、なにによりてか世尊にひとしとせん。孔老内徳なし、外用なし、世尊におよぶべからず。三教一致の邪説をはかんや。
 孔老、世界の有辺際(ウヘンザイ)、無辺際を通逹(ツウダツ)すべからず。広をしらずみず、大をしらずみざるのみにあらず、極微色(ゴクビシキ)をみず、刹那量をしるべからず、世尊あきらかに極微色をみ、刹那量をしらせたまふ、いかにしてか孔老にひとしめたてまつらん。
 孔老、荘子、恵子等は、ただこれ凡夫なり、なほ小乗の須陀洹(シュダオン)におよぶべからず。いかにいはんや第二、第三、第四の阿羅漢におよばんや。
 しかあるを、学者くらきによりて、諸仏にひとしむる、迷中又深迷(ウジンメイ)なり。孔老は三世をしらず、多劫(タゴウ)をしらざるのみにあらず、一念しるべからず、一心しるべからず。
 なほ日月天(ニチガツテン)に比すべからず、四天王、衆天(シュテン)におよぶべからざるなり。世尊に比するは、世間、出世間に迷惑するなり。
 

【現代語訳】
 中国一国に、小臣のままで帝位に上らなかった孔子老子と、三千大千世界(宇宙)の王である如来(仏)とを比べてはいけません。如来は、天界の梵天や帝釈天、統治者の王である転輪聖王などが昼夜に敬って護衛し、常に説法を請い求めるのです。
 孔子老子にこのような徳はなく、ただの生死流転する凡夫なのです。まだ生死を出離解脱する道を知らないのであり、それでどうして如来のように諸法実相(すべてのものは、そのまま真実の姿である)を究め尽くすことが出来ましょうか。もしまだ究め尽くしていないのなら、何をもって世尊(仏)と同じであると言うのでしょうか。孔子老子には内徳が無く、外の働きも無いのであり、世尊には及ばないのです。ですから、三教(仏教 儒教 道教)の教えは一致するというような邪説を言ってはいけません。
 孔子老子は、世界の有限、無限を詳しく知らないので、世界の広さ大きさを知らないし見たことも無いだけでなく、極微の世界も見ていないし、刹那の分量も知らないのです。しかし世尊は、はっきりと極微の世界を見ているし、刹那の分量を知っているのです。これでどうして孔子老子と同等にすることが出来ましょうか。
 孔子や老子、荘子、恵子などは、ただの凡夫であり、小乗の最初の悟りである須陀洹にさえ及ばないのです。ましてその第二の悟り、第三の悟り、第四の悟りである阿羅漢には到底及ばないのです。
 それなのに、仏道を学ぶ者が無知で、孔子老子などを諸仏と同列に並べることは、迷いの上にまた深く迷いを重ねる行為です。孔子老子は三世(過去現在未来)を知らず、多くの劫(測り知れない長い時間)を知らないだけでなく、刹那の一念を知らず、一心を知らないのです。
 彼らを日天子(太陽)月天子(月)にさえ、なぞらえてはいけません。彼らは四天王(東方持国天、西方広目天、南方増長天、北方多聞天)や多くの天神にも及ばないのです。彼らを世尊(仏)になぞらえることは、世の人々や出家の人々を惑わすことなのです。
  

《「小臣にして帝位にのぼらず」として孔子老子を軽んずるというのはちょっと意外な話で、現世での栄達を煩悩と切り捨てる(例えば「出家功徳」巻十九章)禅師の言葉とは思えない気がしますが、ご愛敬といったところでしょうか。
 それに、「三千大千世界」を認識の内に収める仏法と、基本的に現世における生き方を説く孔老とでは、どちらが偉いか、というような問題設定も、長編小説と短編小説ではどっちがおもしろいか、という問題と似ているような気がします。ドストエフスキーとエドガー・ポーとどっちが偉いか、と言われても、にわかには返事ができません。というより、そういう比較はしない方がいいのではないかと思います。
 もちろん、「三教」が一致するというのは、それ以上に大きな誤りで、それぞれの教えを歪曲しなければ成り立たない考え方だろうと思われますから、偉そうに言えば、禅師はその無意味さを説く方がよかったような気がします。
 禅師の話の進め方は、そういう理論よりも、何か憤りといったようなものが先に立っているような感じです。》


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1 生知者

 孔子の書に生知者(ショウチシャ)あり、仏教には生知者なし。仏法には舎利の説あり、孔老、舎利の有無をしらず。ひとつにして混雑せんとおもふとも、広説の通塞つひに不得ならん。
 論語に云はく、「生まれながらにして之を知るは上(ジョウ)なり、学んで之を知るは次なり、困(クル)しみて之を学ぶは又其の次なり、困しみて学ばざるは、民斯を下(ゲ)と為す。」
 もし生知あらば、無因のとがあり。仏法には無因の説なし。四禅比丘は、臨命終(リンミョウジュウ)の時、たちまちに謗仏(ボウブツ)の罪に堕(ダ)す。
 仏法をもて孔老の教にひとしとおもはん、一生のうちより謗仏の罪ふかかるべし、学者はやく仏法と孔老と一致なりと邪計する解(ゲ)をなげすつべし。この見(ケン)たくはへてすてずば、つひに悪趣におつべし。
 学者あきらかにしるべし、孔老は三世の法をしらず、因果の道理をしらず、一洲(イッシュウ)の安立(アンリュウ)をしらず、いはんや四洲の安立をしらんや。
 六天のこと、なほしらず、いはんや三界九地の法をしらんや。小千界をしらず、中千界をしるべからず。三千大千世界をみることあらんや、しることあらんや。
 

【現代語訳】
 孔子の書に生知者(生まれながらに知っている者)という言葉がありますが、仏教には生知者という言葉はありません。仏法には舎利(仏の遺骨)の説がありますが、孔子老子は舎利の有無を知りません。これを一つに混同しようと思っても、その広説の通用は遂に得られないのです。
 論語には「生まれながらにこれを知っている者は上等の人である。学んでこれを知る者は次の人である。行きづまってからこれを学ぶ者は、又その次の人である。行きづまっても学ばない者は、人として下等である。」とあります。
 もし生まれながらに知っているというのであれば、因果を無視する咎があります。仏法には無因果の説はありません。そのために四禅比丘(四禅定を得たことで、阿羅漢を得たと思った比丘。)は、臨終の時に仏を謗った罪により、すぐに阿鼻地獄に堕ちたのです。
 仏法を、孔子老子の教えと同じと思うことは、一生の内から仏を謗る罪が深いと言うべきです。仏法を学ぶ者は、仏法と孔子老子の教えは一致するという邪まな考えを早く投げ捨てなさい。この考えを蓄えて捨てなければ、遂には地獄、餓鬼、畜生などの悪趣(悪道)に堕ちることになるのです。
 仏法を学ぶ者は明白に知りなさい。孔子老子は三世(過去現在未来)の法を知らず、因果の道理を知らず、一つの世界の安心立命を知らないのです。ましてや全世界の安心立命を知っているでしょうか。
 六天(欲界の六天神)のことを又知らず、ましてや三界(凡夫の住む欲の世界、物の世界、心の世界。)や九地(九つの凡夫の境地)の法を知っているでしょうか。小千界(須弥山を中心とする天上界と地上界の一団を一世界として、それらが千集まった世界。)を知らず、中千界(小千界が千集まった世界。)を知らないのです。ましてや三千大千世界(中千界が千集まった世界を大千世界といい、小千界と中千界と大千世界を合わせて三千大千世界という。宇宙のこと。)を見たことがありましょうか、知っているでしょうか。

 

《ここの『論語』の言葉は季氏十六にあるものです。これだけを読むと、なるほどそうだ、と思ってしまいますが、確かに「生まれながらにして之を知る」(「之」は特に何を指すのではなく、要するに知者ということのようです)ということは、ないように思われます。

「舎利の説」というのは、『提唱』が「人が死んでも、その人の生涯における営々とした努力というものは非常に価値があるのであって、そのような価値のある生涯から残された遺骨というものについても、十分の尊敬を払わなければならない」という考え方を言うと言いますが、生前の努力が価値があるという以上に、自分の身につけたもののすべてが、そういう過去の人から受け継いだものだという意味で、過去の人に敬意を払うべきだという考え方をするのでしょうか。
 孔子も「死しては之を葬むるに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす」と言っています(『論語』為政)から、決して過去の人を軽んじていたわけではないでしょうが、得道において師から弟子へという関係を絶対的な要件として考える仏法の立場から見れば、「生知者」などという考え方は容認できないことであろうと思われます。
 もっとも、孔子も、「生知者」を最上としてはいますが、それはものの順序として挙げただけで、言おうとするところは、その後の「学んで」以下に挙げた、学ぶということへの態度、学ぶことに喜びを感じるようでなくてはならない、ということだったのだろうと思われます。彼にとっては、学ぶということが大切なのであって、生まれながらにして知っている人は、もしそういう人がいるとしても、孔子はさしたる関心はなかったのではないでしょうか。》



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ひとり先師天童古仏のみ

 古徳云はく、
「今時(コンジ)多く還俗の者有り、王役(オウヤク)を畏憚(イタン)して、外道の中に入る。仏法の義を偸(ヌス)み、竊(ヒソ)かに荘老を解(ゲ)して、遂に混雑を成し、初心の孰(イヅ)れか正、孰れか邪なるを迷惑す。是を韋陀法(イダホウ)を発得するの見と為す。」
 しるべし、仏法と荘老と、いづれか正、いづれか邪をしらず、混雑するは、初心のともがらなり。いまの智円、正受(ショウジュ)等これなり。ただ愚昧のはなはだしきのみにあらず、稽古なきのいたり、顕然(ケンネン)なり、炳焉(ハイエン)なり。
 近日宋朝の僧徒、ひとりとしても、孔老は仏法におよばずとしれるともがらなし。名を仏祖の児孫にかれるともがら、稲麻竹葦(トウマチクイ)のごとく、九州の山野にみてりといふとも、孔老のほかに仏法すぐれいでたりと暁了(キョウリョウ)せる一人半人あるべからず。ひとり先師天童古仏のみ、仏法と孔老とひとつにあらずと暁了せり、昼夜に施設(セセツ)せり。
 経論師(キョウロンジ)また講者の名あれども、仏法はるかに孔老の辺(ホトリ)を勝出せりと暁了せるなし。近代一百年来の講者、おほく参禅学道のともがらの儀をまなび、その解会(ゲエ)をぬすまんとす、もともあやまれりといふべし。
 

【現代語訳】
 古聖の言うことには、
「この頃、多数還俗する者がいる。国王による懲役を恐れて、外道の中に入っているのである。そして仏法の教えを盗んで密かに荘子や老子を解釈し、遂にはそれを混ぜこぜにして、初心の者の正邪の分別を迷わせている。これを外道の法を起こす考えと言うのである。」と。
 このことから知りなさい、仏法と荘子老子の教えと、どちらが正しくどちらが正しくないかを知らず、混ぜこぜにしてしまうのは、初心の出家のすることであり、今の智円や正受などがまさにそうなのです。これはただ暗愚の甚だしいだけでなく、全く仏道を稽古しない結果であることは極めて明らかです。
 近頃の宋国の僧は、一人として、孔子老子の教えは仏法に及ばないと知っている者がいません。仏祖の児孫と言われる者たちは、数え切れないほど中国全土の山野に満ちていますが、孔子老子よりも、仏法が優れていることを明らかに知っている者は、一人も半人もいないのです。ただ一人、先師、天童如浄和尚だけが、仏法と孔子老子の教えは同じでないことを明らかに知り、それを昼夜に説いていたのです。
 経師、論師、また講師の名声ある者でも、仏法は遥かに孔子老子の教えを抜きん出ていることを、明らかに知っている人はいません。近代百年来の講師の多くが、参禅学道の出家の威儀を学んで、解明会得したことを盗もうとしたことは、いかにも誤りであったと言えます。
 

《最初の引用は「止観輔行伝弘決」という書からのものだそうで、したがって「古徳」はその著者湛然(中国天台宗第六祖のようです)ということになります(『全訳注』)。「711- 782年」(ウィキペディア)の人だそうですから、唐の中期ごろ、禅師よりも500年も前の話ということになりますが、ここに書かれたようなこが、すでにその頃からあったもののようです。
 「王役を畏憚して、外道の中に入る」云々がよく分かりませんが、『提唱』は「国家における国民の義務として様々の課税その他が掛けられるのをおそれ嫌って、仏教ではない、他の宗教に入り込んで」と言っています。そういう学堂・僧院に入ると免税されるというようなことがあったのでしょうか。そういう動機不純の人たちが、言葉面だけを学んで、様々な教えを都合よく組み合わせるようなことをしていた、ということかと思われます。
 そういう人たちなら、何か不都合なことがあれば、すぐに学問を投げ出すこともあったでしょう。
 また、三教一致論は政治的な意図を持って行われたようで(第六章2節)、しかも「その第1型は,修己・治人論を最も調和的に主張した儒教を中心的位置におき、道・仏の二教を左右に配して儒教の不備欠陥を補強させようとする」(コトバンク)というものだったようですから、当時、仏教を見限って「還俗」する者も多くいたのかも知れません。もっとも、三教一致説は日本の江戸期にも行われていて、その時は逆に多くは仏教者から主張されたのだそうです(同)。
 さて、その湛然が「混雑を成し、初心の孰れか正、孰れか邪なるを迷惑す」と言っているとおりだと禅師は言い、禅師が訪れた宋代の中国は、師・如浄を除いて「ひとりとしても、孔老は仏法におよばずとしれるともがらなし」という案配だったと言います。》

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3 振旦に二福有り

 真諦(シンタイ)三蔵云はく、
「振旦に二福有り、一には羅刹(ラセツ)無く、二には外道無し。」
 このことば、まことに西国の外道婆羅門の伝来せるなり。
 得道の外道なしといふとも、外道の見(ケン)をおこすともがらなかるべきにあらず。
 羅刹はいまだみえず、外道の流類(ルルイ)はなきにあらず。小国辺地のゆゑに、中印度のごとくにあらざることは、仏法をわづかに修習(シュジュウ)すといへども、印度のごとくに証(ショウ)をとれるなし。
 

【現代語訳】
 真諦三蔵の言うことには、
「中国には二つの幸福がある。一つは羅刹(悪鬼)がいないこと、二つには外道(仏教以外の教えを信奉する者)がいないことである。」と。
 これは実にインドの外道、バラモンの言葉を伝えたものです。
 中国には、道を得た外道はいないとは言っても、外道の考えを起こす出家がいない訳ではありません。
 羅刹はまだ見たことがなくても、外道の部類は無い訳ではないのです。この国が小国辺地のために、中央インドと同じでないことは、仏法をほんの少し学習しても、インドのように悟りを得る者がいないことからも明らかです。
 

《中国には「外道」や「羅刹」はいないという人もいるが、そうとは言わないまでも似たような誤った考えを持つ人は、やはりいるのだ、という話のようで、前節で、「大宋国に(誤った説をなす者が)稲麻竹葦のごとく、朝野に遍満せり」と言ったことについての補説だと思われます
 「得道の外道」というのがよく分かりません。『全訳注』は「神通を得た外道」と訳していますが、外道でも神通を得ることができるのでしょうか。『提唱』は「十分理解した状態で、仏教以外の教えを正しいと信じて生活しておる」人、と言います。そうなると、筋金入りの外道とでも言いましょうか。しかしまあそれなら分からなくはありません。
 中国を、「辺地」というのは、どこを中心と考えるかという相対的な問題ですから分かるとしても、「小国」というのは不思議です。当時にあってもインドよりは広かったのではないかと思いますが、禅師にとってまだ見ぬインドは、憧れの故にそのように思えていたのでしょうか。》


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