洪州江西(コウゼイ)開元寺大寂(ダイジャク)禅師、諱(イミナ)道一(ドウイツ)、漢州十方県人なり。南嶽に参侍すること十余載なり。
あるとき、郷里にかへらんとして、半路にいたる。半路よりかへりて焼香礼拝(ライハイ)するに、南嶽ちなみに偈をつくりて馬祖にたまふにいはく、
「勧君(カンクン)すらく帰郷すること莫れ、
帰郷は道(ドウ)行われず。
並舎(ヘイシャ)の老婆子(ロウバス)、
汝が旧時の名を説かん。」
この法語をたまふに、馬祖うやまひたまはりて、ちかひていはく、「われ生々(ショウジョウ)にも漢州にむかはざらん。」と誓願して、漢州にむかひて一歩をあゆまず。江西に一住(イチジュウ)して、十方を往来せしむ。
わづかに即心是仏を道得するほかに、さらに一語の為人(イニン)なし。しかありといへども、南嶽の嫡嗣(テキシ)なり、人天(ニンデン)の命脈なり。
【現代語訳】
洪州江西開元寺の大寂禅師(馬祖・バソ)は、名を道一といい、漢州十方県の人です。この師は南嶽懐譲(エジョウ)に仕えて学ぶこと十数年でした。
ある時、郷里に帰ろうとして途中まで行くと、また引き返して焼香礼拝しました。そこで南嶽は偈を作って馬祖に与えました。
「君に勧める、帰郷してはならない。帰郷すれば仏道は行われない。家々の老婆が、お前の昔の名を呼ぶであろうから。」
この詩を与えると、馬祖は敬い頂戴して、自ら誓って言いました。「私は今後、何度生まれ変わろうとも、故郷の漢州には向かいません。」と誓い、再び漢州に向かって一歩も歩むことはありませんでした。そして、専ら江西に住して、諸方の修行者が往来したのです。
馬祖は、ただ即心是仏と説くだけで、他には何も説きませんでした。しかしながら馬祖は、南嶽の仏法の嫡子であり、人間界天上界の命となった人でした。
《時代がまた大きく後返りして八世紀の人、馬祖道一のエピソードです。この人はすでに五人目として語られたことのある人(『行持』上巻第八章2節)で、再度の登場ですが、一応三十三人目としておきます。先にはほんの数行の話でしたが、ここはしっかり語られます。
まず、この節ですが、話の展開は分かりやすいのですが、二つ疑問が残ります。
一つは、どうして「半路よりかへりて」ということになったのか、…。
諸注、触れてくれませんが、わずかに『提唱』が「故郷に帰っているのも時間の無駄だ」とか「お寺にいて坐禅の修行をしていたほうがどうも自分に合っている」とか「感じたのかも知れない」と言います。
そうだとすると、道一は故郷に帰る道中で、帰ることに疑問を抱いて、その答えを求めて師の前に現れたことになります。
もう一つは、道一は、帰ろうと思ったときに、当然師に許可を求めたでしょうが、師は、後返りをしてきた弟子に「帰郷すること莫れ」と言うくらいなら、どうして初めにそれを言わないで、黙って帰したのか、…。
この二つの疑問を解く道は、実は師は初めから帰ることに反対だったのだが、自分の方から一方的にそれを止めてしまうのはよくないと考え、かつ、道一が帰る道中で必ずや自分の行動に疑問を抱いて後返りしてくることを確信していて、その疑問を抱いたときに道を示してやるのがよいと考えていたのだ、というストーリーです。それならそうと語ってくれればよさそうなものだと思うのですが、…。
ともあれ、道一は、修行と故郷へ帰ることの選択を迫られたわけです。
ところでこの話は、『実存主義とは何か』(仏・サルトル)の中で語られている、よく知られたエピソードとよく似ています。慧能の話(上巻第八章1節)の中でも挙げましたが、それは、一人で母の世話をしていた青年がパルチザンに参加すべきではないかと、選択に迷って、サルトルに自分の道を尋ねたときに、サルトルは「あなたは完全に自由だ」と答えたという話でした。
さて、…。》