のちに杭州塩官斉安国師の会(エ)にいたりて、書記に充(ジュウ)するに、黄檗禅師、ときに塩官の首座(シュソ)に充す。ゆゑに黄檗と連単なり。
 黄檗ときに仏殿にいたりて礼仏(ライブツ)するに、書記いたりてとふ、
「仏に著(ツ)いて求めず、法に著いて求めず、僧に著いて求めず、長老礼(ライ)を用いて何にかせん。」
 かくのごとく問著(モンヂャク)するに、黄檗便掌(ビンショウ)して、沙弥書記にむかいて道(ドウ)す、
「仏に著いて求めず、法に著いて求めず、僧に著いて求めず、常に如是(ニョゼ)の事を礼す。」かくのごとく道しをはりて、又掌(ショウ)すること一掌す。
 書記いはく、「太麁生(タイソセイ)なり。」
 黄檗いはく、「遮裏(シャリ)は是れ什麽(ナニ)の所在なれば、更に什麽の麁細(ソサイ)をか説く。」
 また書記を掌すること一掌す。書記ちなみに休去(キュウコ)す。

 

【現代語訳】
 宣宗は、後に杭州の塩官斉安国師の道場に行って書記に当てられましたが、黄檗禅師は、その時 塩官の首座(修行僧の頭)に当てられていました。そのために、宣宗は黄檗と僧堂で席を並べていました。
 黄檗がある時、仏殿に行って仏を礼拝していると、書記の宣宗が来て尋ねました。
「仏に執して求めることなく、法に執して求めることなく、僧に執して求めることがないのなら、長老は何のために礼拝しているのですか。」
 このように尋ねると、黄檗はすかさず平手打ちして沙弥の書記に言いました。
「仏に執して求めることなく、法に執して求めることなく、僧に執して求めることなく、いつもこのように礼拝しているのだ。」そう言って、また平手打ちしました。
 書記は「荒っぽいな。」と言いました。
 そこで黄檗が言うには、「ここにどんなことがあって、荒っぽいとか親切とかを言うのか。」
 そしてまた書記を平手打ちしました。書記はそこで黙りました。
 

《またしても「荒っぽい」話が出てきました。
 『提唱』によれば、「仏・法・僧というふうな三つの宝はいずれも尊いものではあるけれども、それに執着してはならないという教えが仏教には伝えられておる」のだそうで、宣宗は仏殿で「礼仏」する黄檗に、そのことを問うたのですが、黄檗はそれに対して三度の平手打ちで答えたのでした。
 『提唱』は、ここの三度目の平手打ちの後、宣宗は「おやおや、これではどうにも手がつけられない、ということでその場はおさまった」と言っていますが、それでは、これによって宣宗は納得したわけでもないということになり、それでは、宣宗は何も悟らなかったことになってしまって、ここに他の仏祖と並んで語られる意味がないように思われます。
 やはり『行持』の言うように「三度打たれて、やっと、その真意を悟って、それ以上黄檗を追及することをやめてしまった」というくらいには考えなくてはならなのではないでしょう。
 では黄檗が教えた、その「真意」とは何か。
 黄檗が「礼仏」したのは、仏法僧に対して何かを求めるということではなく、自分が行持を行おうとする前に仏の姿があったから礼したまでで、自分の振る舞いは仏法僧のあるなしに関わらず、同じことをするのだ、と言っているのでしょう。「純一に辨道する」(第三十章1節)ことの大切さではないでしょうか。
 ではなぜ「便掌」したのか。先に黄檗が臨済に六十棒を食らわしたという話があり(第三十章1節)、そこではそのたたかれた痛みによって、実存的自己に気づかしめたのではないか、と考えてみたのでしたが、ここも同じように、そういう理屈にこだわらないで、もっと生の自分、裸の自分になれ、と言っている、ということでしょうか。
 ちなみに「太生」の「麁」は俗字でもとは「麤」、鹿が集まっている形で、「しかの群は羊のように密集しないところから、遠くはなれる、あらいの意味をあらわす」(『漢語林』)のだそうです。》


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